(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2018年4月) 新潟県新潟市

番外編の隣県の県庁所在地を訪れるシリーズ。今回は新潟県新潟市である。日本海側(裏日本などという表現をすると新潟市民に怒られるのだろうか)最大の都市でありまた日本海側唯一の政令指定都市でもあるのだが、郡山からは仙台に比べ距離的にやや遠いと事を勘案しても、その距離以上に遠さを感じさせる都市でもある。
新幹線なら一旦東北新幹線で大宮まで行き、上越新幹線の乗り換えとなるがおかげで運賃が高いし、かといって磐越西線ではとんでもなく時間がかかる(ヤフーの乗換案内で調べたら6持52分発の11持55分着で所要時間5時間3分と出た)。高速道路も磐越道が会津若松ICから西が片側1車線の対面通行となり地味に不便を感じさせる。高速バスも設定されているが、朝夕にそれぞれ1便のみで使い勝手が悪い。そのせいもあってか新潟の会社と付き合いがあるなんて話しはあまり聞かないし、確かに繋がりが薄い感は否めないものだ。そんな新潟県な為、僕にはなんだか凄く雪が降るところとか全くもってその程度の認識しかないのだが(隣の県なのに申し訳ない…新潟市民に言わせれば雪はそれ程でもないが天気は悪いそうだ)、今回あらためて訪れてその現状を探ってみようと思った次第である。

さて、例によって移動は公共交通機関という事で高速バスの郡山~新潟線である。当日はゴールデンウイークという事もあってか乗客は満員で比較的若い人が多かったけど、中年のオジサンもいたし高齢者いるといった具合で年齢の分布はある程度バラツキがあったように見えた。特に連休でもない普通の週末だと夕方発の新潟行は大体14~5人といったところだが、連休となるとそれなりの利用がるようだ。まぁそこまでする人はいないだろうが、予約をするのが出遅れたとかで乗れないなら一旦会津若松まで行き、会津若松発の新潟便という手もある。
当日はちょうど郡山シティマラソンの日で市役所前のさくら通りが規制された為、さくら通り、内環状線、うねめ通り、R49、郡山ICという経路だったが、最近高速バスはこの新潟便をはじめ、仙台便、会津若松便、福島便がさくら通り、R49と経路が変更されている(以前の郡山郵便局脇は通らなくなった)。それはこっちのほうが利用があるからという事なのだろうけど、何だろう郡山女子大関連の需要なのかな。

高速バス郡山・新潟線 GWの昭和の日とあって満員だった
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運航自体は概ね順調で磐越道も連休初日だったにも関わらず渋滞もなく、ほぼ定刻通りに新潟の万代シティバスセンターへ到着。仙台便が片道約130kmで往復3,400円、新潟便が片道約160kmで往復5,550円というのは、時間はともかくとしてもやっぱりちょっと距離以上の差を感じてしまうものだ。
バスセンターの建屋に入り中を歩いていくと、何だかカレー臭い一角がある。そうえいばここカレーが有名なんだっけ?と思ったら、みんな必死にカレーを食べているではなかw。なんでもルーから手造りし、和風だしととんこつベースのスープで伸ばしてつくられるとの事でそういう自分もカレーを食べる訳だが、まぁカレーですよ位の感想。個人的には隣のどんぶりブッチャーという店が気になるなぁ。

万代シティバスセンターの一角がカレー臭くなるくらいみんながカレーを食べている
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これが万代そばのカレーライス まぁカレーですよ
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腹ごなしを終えてまずは、新潟駅である。日本海側唯一の政令指定都市である新潟の表玄関はどれ程のものかと期待して来たのだが、なんだが古めかしい駅ビルが建っていてそれ程でもない印象だった。その古めかしい駅ビルの中に入れば通路が狭く歩きにくいし地下のテナントは時間が止まったかのような昭和の雰囲気であるが、それもその筈この駅ビルはすでに50年を経過し数年後には取り壊される予定だから、今更どうこうという事もないのだろう。

新潟駅ビルは築50年以上が経過し政令指定都市にそぐわぬ昭和な雰囲気
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新潟駅のバスターミナルは、屋根付きだが車庫のようだ。雪国ゆえ屋根付きは有難いだろうが、バスがバックで入るターミナルなんて初めて見た。しかし笛でバックするバスを誘導するおじいさんは中々大変だ。今のバスはまだマシだけど昔のバスは排ガスがさぞ酷かったことだろう。

屋根付きだがバスがバックで入るターミナル
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新潟駅であれこれ撮影していると連接バスがやってきた。実は今回の目的の一つであるのがこの連接バスを使ったBRTのツインくるである。これは明日じっくり乗ってみることにしよう。

連接バスの愛称はツインくる
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さて、先ほど新潟駅ビルは数年後に取り壊されると書いたが、その理由がこの新潟駅連続立体交差事業にある。簡単に言うと新潟駅近辺の在来線を高架化し、ついでに新幹線ホームと並べて乗り換えの利便性を向上させるものだ。2018年春にその一部が完成し、従来の地上にあるプラットホームが廃止されている。引き続き残りの高架を増設し全ての高架化が完了するのが2021年の予定でその後、新潟駅ビルを撤去した上で新しい新潟駅広場を整備するとともに、駅の両側を往来出来る道路も整備するとの事だ。そういう訳でまずは新潟駅連続立体交差事業の完了待ちという状態なのである。

使用が停止された地上のプラットホーム
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新しい高架に車両がやって来た
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今度は渡り廊下を歩いて新潟駅の南口にやって来た。こちらはいわゆる新幹線側の駅ビルで、一応駅ビル内にもある程度のテナントが存在するが、100万都市の規模から考えるとお店の数がやや寂しい印象がある。駅ビル直結のCoCoLo新潟南館があってビックカメラ等も入っているのだが、人の数は万代口に比べるとだいぶ少ない。
ただ、訪れた日は昭和の日で広場でチューリップの花びらを使って絵にするイベントが行われていて、イベント自体にはある程度の人が居たのだけど、やはり地方都市で駅の両側を発展させるというのは中々難しい事なのだろう。

新潟駅 南口(新幹線口)
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チューリップの花びらで作った絵
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新潟駅直結のCoCoLo新潟南館
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実際その新潟駅の南口周辺には、プラーカと称する複合施設が存在する。1985年にプラーカ123の3棟が商業施設として同時開業したのだが、結局万代や古町との競争に負け経営破綻になったとの事で、JRがCoCoLoにそれ程注力してないような印象を感じるのもこう言った事実があったからなのかもしれない。
ただ、プラーカにとって不幸だったのは、テナントの西友誘致が取りやめになった事や、それに新潟駅南口には新幹線開業後もしばらく車両基地があって(ようは今の駅前広場がなかった)、線路が邪魔してアクセスが悪いというのもあったようだ。

経営破綻したプラーカ123
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さて新潟駅南口からは一旦バスに乗って郊外店のイオンモール新潟南へ向かう。ほぼ新潟亀田インターに直結と言ってもいい場所に立地しておりまさに地方にある郊外店のイオンその物の姿である。御覧の通り車は一杯で結構な混雑ぶりだった。店舗の内部についてはもう言わずもがなでありそれは紛うことなきイオンモールなのだが、僕のようにあっちこっちのイオンモールを見ているとその金太郎飴的な退屈さというかそういうものを感じてしまうようになってしまっている。当面は安泰だろうが、しかし早晩このあたりの対策を講じていかなければならないそんな時期に来ているのではないだろうか。

イオンモール新潟南
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このイオンモール新潟南店で特筆するとすれば、高速道路を挟んだ向こう側にホームセンターを中心としたアークランドサカモトが存在し、さらに目と鼻の先にはアピタ新潟亀田店がある事だ。直接的にはこれらは競合店と言う事になるだろうが、しかし新潟亀田インター周辺の巨大店舗群の集積によって、郊外へ人を引き付けるという視点から考えるならそれは絶大な相乗効果を発揮したといえるだろう。ただこちらも、そのライバル店であるアピタの運営するユニーがファミマと統合しさらに、ドン・キホーテと資本提携をしていて、GMSの改革に乗り出している、今のところはドンキとの融合店は一部店舗に限られるがライバルもまた動き始めているのだ。

イオンモール新潟南
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イオンを見て回った後は、再び新潟駅に戻ってくると、さっきのイベントで今度はキャンドルを灯して何やら駅前広場で雰囲気を醸し出していた。ちょっと調べてみても何のイベントだったのかは分からなかったけど何だったんだろう。

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暗くなってきたので、少し寄り道でメディアシップによって新潟の夜景を見てこよう。この新潟日報のビルは展望階が解放されていて新潟市内を一望できるのだ。さすが夜景となるとにF2.8の手振れ補正付のレンズでも手持ちは中々厳しいが、縮小して見れそうな奴を張っておこう。夜景そのものは地方都市としてはまぁまぁだと思うけど、中心部にあるこのビルより映っている朱鷺メッセの方からこちらを望んだほうが奇麗なのかもしれない。

新潟港方面
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古町方面
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さて、今回の主たる目的のひとつであるのが萬代橋ラインラインと名付けられたこのBRTである。新潟では元々新潟駅万代口から万代シティ、古町、市役所あたりまで、物量作戦というか数に任せて路線バスをジャンジャン運行していて、実際この区間はバス停も数分間隔で運行みたいな事が記載されており、古町に行きたいなどというと大概のバスはそこを通るから来た奴に乗れ的な結構乱暴な案内だったりした位なのだけど、さすがに運転手不足や団子状態による運行の非効率さなどを改める為、要はBRTを基幹として通し、各方面向けに支線を分けるなどして効率化しようとした訳だ。

ただそのBRTの導入にあたり、その事前準備が稚拙だった事で、運行開始から運賃徴収にトラブルが発生(そのせいでしばらく運賃がタダになった)、しかも新潟日報の元記者だったという市長はトラブル収束の為に陣頭指揮をとらず、そうこうしていること今度は連接バス車両の接触事故まで起きるなど、散々なデビューとなってしまったようだ。

しかし、僕はBRTの導入に関しては将来に向けて必要との考えから肯定的な立場なのである。分野は違うけど技術者の立場から語るならば、新しいものをサービスインするにあたっては、事前に相当の検証を行ったとしても何かしらのトラブルというのはどうしても発生してしまうものだ。
一例をあげるとすれば、あの天下のJRだって山手線の新型車両が運行開始直後にトラブルが発生しその後3ヶ月もかけて検証し直しているのだ。しかし、こういったトラブルをやり玉にあげるのはマスコミな訳だが、そのマスコミ出身の新潟市長サマは責任は新潟交通とレシップ(運賃箱の製造会社)にあるとして、逃げ回っていたようなのだ。
自分が推進してきたBRTプロジェクトなのだから、トラブルが出たら自分が矢面に立つべきで、ただ選挙の時の実績作りの為などというセコイ考えは捨て、正々堂々と表に出て発信すればいいのである。そのいい事例は博多駅前陥没事故の際の福岡市の高島市長が上げられる。僕はトップに立つ人間は聖人君子ある必要はなくいざというときに仕事をしてくれればいいし、またそういうものだと思っているのだ。

新潟駅万代口のBRT用バス停 連接バスは全長18m追い越し注意だ
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新潟駅万代口を発車する連接バス こうして見ると確かに長い
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さて、実際にその連接バスに乗ってみる。行きは連結の前部車両に乗り終点の青山まで、帰りは連結の後部車両に乗り古町まで戻ってみたが、率直な感想はそのまんまだけどまぁ路線バスだなぁと。でもどうせ乗るならエンジンの音が前の車両まで伝わってこないので断然前側の車両のほうが快適である。後ろの車両はエンジン音がうるさいし、意外と通路が狭く窮屈な印象だったのだ。
ただ特筆すべき点としては運賃の支払いにSUICAなどの交通系ICカードが片利用できるようになっているのは評価したい。仙台の地下鉄ではSUICAと相互利用を実施したようだけど、地方の交通事業者なら片利用で十分だろう。地元の人間じゃない者にとっては、SUICAのような一般的なもので支払いできるのは非常にありがたいものだ。

終点の青山に到着のツインくる 乗るなら連接前部のほうが快適
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折り返し青山からの発車となるツインくる
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このBRT萬代橋ラインは、現時点で未だ道半ばと言ったところだ。連接バスで運行されるのはごく一部で、そのほとんどは通常のバス車両で運行されているから連接バスの増備もしなければならないし、そもそもBRTといっても一般道を走るので定時運行に難があることから、道路中央側にBRT専用レーンを設けさらに現在の歩道側にあるバス停から中央分離帯的な島式ホームへの移行もしなければならない。さらに先の新潟駅連続立体交差事業で駅のあちらとこちらで往来可能となった際には延伸する計画もあるといった具合にこれから実施する課題は多い。そして今後それらを実施していく過程では、当然様々な批判が出るだろうがそこは腹を決めて取り組んでいくしかない。ただそれを先の市長サマが実施できるのかといったところなのである。まぁ将来は市長が別の人に代わってるかもしれないけどね。

追記:その市長サマは引退を表明し、5選目はないとのことだ。

万代シティへ到着のツインくる 現状は歩道側にバス停がある
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万代シティを発車するツインくる 萬代橋ラインの未来を背負って走れ!
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次はBRTから降りて古町である。少し前から中心市街地として衰退してしまった印象の古町であるが、確かに一つ一つ見て回るとそれを裏付けるものだった。まずはかつて新潟で地価の最高地点だった大和新潟店跡である。大和といえば石川、富山、新潟の三県で百貨店を営んでいたが、リーマンショック後の赤字転落や建物の老朽化などもあり金沢と富山に経営資源を集中し新潟県の3店舗が閉店となったものだ。閉店後は暫く建物が残っていたが、それも解体され2020年の竣工ににむけて再開発ビル建設工事が始まっている。この大和撤退に対して先の市長サマが書いた文章がこれである。

許されない大和新潟店の撤退姿勢 最終更新日:2012年6月1日 新潟市サイトより引用
先週、大和デパートが新潟県に展開している3店を「来年6月までに撤退する」との発表がありました。
 1県に出店してきた3店を一斉に撤退することなど前代未聞でありますし、事前に県や3市に対し何の協議もなかったことは大変遺憾です。新潟市として「まず撤退を撤回するよう」大和に申し入れています。
 20日には大和新潟店のある古町地区の商店街の代表から市役所にお出でいただき、「撤退の撤回」について改めて要請を受けました。地元や経済界と連携して、大和に良識ある行動を求めていきます。
 大和新潟店は昭和30年代~50年代まで、大和の中でも最大の稼ぎ頭でした。しかし、新潟店への投資は限定的で、大きな投資をした香林坊店(金沢市)や富山店とは好対照です。新潟の経済界は、「新潟店にもっと投資を」と繰り返し要請してきました。
 私が新聞記者だった頃、あるいは市長になってからも、折に触れて「大和の経営資源を金沢と富山に集中しろ」という動きが大和の内外にあることを感じていました。大和が新潟県内から安易に撤退しないよう牽制するとともに、4年前には具体的な支援もしていこうと、行政サービスコーナーや子育て支援施設などを併設した「なかなか古町」を新潟店内に設置。年間11万人が利用しています。
 にもかかわらず一昨年の4月、「大和の新潟県内からの撤退も選択肢のうち」との報道が一部でなされ、騒ぎになったことがありました。そのときは大和の幹部が飛んできて「そういう気持ちはない」と明言していたにもかかわらず、今回の事態となりました。
 NHK大河ドラマ「天地人」にあった直江兼続の「長谷堂城の撤退戦」を例に引くまでもなく、どの世界でも撤退が一番難しいわけですが、今回の大和の撤退表明は戦 略も戦術もない拙劣なものです。何よりもこれまで大和を受け入れてきた地元や、支持してきた新潟市民に対して極めて礼を欠く対応は許せないと思っていま す。
 大和の宮社長は先月、石川県の新聞社のインタビューに対して新潟撤退に言及し「責任を取れと言われたら責任を取る。それくらいの覚悟」と語っています。しかし、宮社長は新潟撤退の大決断をしたにもかかわらず、新潟に姿さえ見せず、新潟県民に撤退の説明責任も果たしていません。
 「責任を取る覚悟」を大和には具体的に示してもらわなければなりません。私たちが求める責任は、まず無責任な撤退の撤回です。どうしても撤退なさるなら、最低限、雇用と新潟のまちづくりに道筋をつけた上で撤退するのが大和の責任です。
 これまでのやり方について反省され、地元に真っ当な対応をすることが、大和が今後も百貨店として生き抜いていくための最低条件と思います。このことについて、大和の最高責任者に申し入れていきます。
 一方では新潟市として、地元商店街や経済界と一体となって、古町など新潟の中心市街地の活性化に取り組んでいきます。その決意を示し、行動に結びつけるための「まちなか再生会議」を早々に立ち上げていきます。
 商業核だけでなく、これからのまちなかにはどんな機能や魅力が求められるのか、まちなか公共交通はどう改善していくべきかなどを議論し、早急に動いていきます。
 以前にダイエー新潟店が撤退したときに、「ダイエー以上の価値と機能が生まれるように」新潟市は動いていきました。今回も「まちなかの機能アップのため大きなチャンスが来た」との気概で関係者とともに取り組んでいこうと思います。
 市民の皆さまからもご意見をいただきながら、古町だけではなく「地域それぞれのまちなか再生」についても各区で練り上げていきますので、よろしくお願いします。

平成21年10月22日

新潟市長 篠田 昭


この文章をみるとなんて上から目線なんだと思う。まるで新潟で商売させてやっているのに撤退とは何事だと言わんばかりの内容だが、僕から言わせれば企業が撤退を検討する=企業にとってその都市に魅力が無い(薄れた)という事だから、それは市政を預かる市長の責任なのである。ましてや大和は上場企業だから、収益の上がらない店舗などにかまけている余裕などないのは新聞記者なら理解できる筈だし、実際この古町を少しでも歩けば誰にでも衰退が顕著な事がすぐにわかるものだ。それを棚にあげて、この上から目線の文章を書けるのだから、新聞記者というのは偉いんですねぇと、ちょっと嫌味の一つもいいたくもなるので市長サマと書いているのだ。

かつての地価最高地点の大和前は再開発ビルを建設中
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営業を停止し建屋が残っていた時期の大和跡
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2020年再開発ビルが竣工予定だがその行く末は疑問が残る
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その大和跡から続くふるまちモール5・6・7である。いわゆるアーケード商店街というやつだが、地方のシャッター商店街の例に漏れず閑散としている。流石に郡山のアーケード商店街や高崎の高崎銀座の様に小汚くはなかったけど、目ぼしい店なとないし、逆に空いているからドトールでコーヒーがゆっくり飲めるという、ただそれだけなのである。
これはやはり時代が求めている要求に対し商店街というものが対応で来ていない証拠なのだろう。日本というのはどいういう訳か、組合をつくりみんなでやりましょうとしたがるのだが、それでうまくいっているときはいいものの、調子が悪くなってくると何かの対策を打たなければならないのだが、結局商店街の組合など決定権が誰にあるのか不明で何かをやろうとして、反対意見が出てしまうと結局は何も出来ず、最後はゆでガエル状態でどうにもならなくなるといった具合だからとにかく問題解決に時間がかかるのだ。

古町モールと称するアーケード商店街 特に気になるような店はない
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次は、日本海側で唯一の地下街とされる西堀ローサである。この西堀ローサは鉄道の駅などと連結しておらず、単独で地下街として存在する珍しいものだが、その経緯は古町の駐車場不足を解消すべく地下駐車場を作るとなったので、ならばついでに地下街も作ってしまおうとの事だったようだ。
1976年の開業からしばらくは賑わいを見せたものの、バブル崩壊後から陰りが見え、さらに万代やイオンモールなどの競合や古町自体の地盤沈下もあって大分廃れてしまったとの事で、一時期などは営業している店舗も疎らで本当に悲惨な状態だったようだ。
実際に見てきた範囲だと、どうにかこうにかしてテナントを埋めている印象だが、それは新潟市が政策的にテナントの入居条件を相当に甘くして、何とか入居するテナントを手当てしている状況なのだろうというのは想像に難くないものだ。さらに開業から40年を経過し古さも目立ち、床のタイルなどいかにも昭和的な古色蒼然たる雰囲気も醸し出してしまっている。頼みの綱である連結していた商業施設も、大和とラフォーレが撤退となり、三越を残すばかりとなってしまった。おそらくこのような状況を鑑みれば、今後のリニューアルなどは叶わず終焉を迎える可能性が高いのではないか?とそんな感想を受けたと記しておこう。
なにも僕は全く適当な事を言っているのではなく、地下街などというのは相当な都市でなければ維持できないものだと感じていて、例えば東京駅八重洲地下街や川崎アゼリアなどを見ても、周辺の商業施設である大丸やグランスタ、そしてラゾーナあたりと比べると、やはり人の数にはかなりの差がある(無論それは地下街の方が少ないという事)。東京や川崎といった大都市ですらそうなのだから、地下というのは何か心理的なものが働くのか相当なハンデが存在するのだろう。こんな事を鑑みれば簡単に想像がつくことなのだ。

古色蒼然として場末感のある西堀ローサ 存続は厳しいのではないか?
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そして古町のランドマークというべきのNEXT21である。このNEXT21は数年前までラフォーレ原宿がテナントとして入っていたのだが、2016年1月31日をもって閉店となっている。実は3年前ラフォーレが撤退表明をした後に訪れたことがあるのだが、(撤退表明後の)存在意義をを失った状態のラフォーレは全ての覇気を失ってしまったかのような空気に包まれいたのを思い出す。
その後は発表通りラフォーレは閉店となって、空いたフロアには新潟市役所の一部機能が移転という形で入居することになった。訪れた日は祝日とあって、中に入るとエスカレータが動いているものの各フロアに登るとシャッターが閉まっていてそれ以上進めない状態になっていた。
元々この場所は新潟市役所が存在していて現在の場所に移転した際、再開発ビルとしてこのNEXT21が建てられたもので開業は1994年というから、バブル崩壊後ではあったものの当時とすれば、新潟一の高層ビルで三越や大和とは違った若者向けのラフォーレも入って次世代を託したものでもあったし、これで古町繁栄の持続は約束されたものだと確信していたに違いなかった筈だが、どこで歯車が狂ってしまったのかラフォーレは撤退となり、ただですら西堀ローサでテナント集めに苦労している状態ゆえ結局商業施設としての存続は諦め、出戻りというと言葉が悪いが市役所の施設で埋めることになりなんだか元の木阿弥のようになってしまった。その名前は21階建てから来ているとされるNEXT21だが、輝けたる21世紀を迎えると共に次世代への架け橋的な意味もあったのだろうと思われるが、しかしいざ実際に21世紀を迎えてみるとその輝きは無かったようなのだ。

ラフォーレは撤退後は市役所の一部機能を移転という形になった
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撤退表明後の覇気のない状態のラフォーレ
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らせん状のエスカレータを登るとフロアのシャッターが閉まっていて進めない
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その名前からも伺える通り次世代を託されたNEXT21の未来に輝きは無かった
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最後はこの古町で正に最後の砦となる三越新潟店である。さらっと見た範囲ではそれなりにお客もいるしまずますじゃないかと感じるのも束の間、客層を見れはなんだかそれも時間の問題の様に思えてきたものだ。なぜなら三越の客層に若い人がおらず年配ばかりだった事に気づいたからだ。
そもそも現在三越自体が業績不振に喘いでいて地方店舗を閉鎖する流れにあって、この三越新潟店が閉鎖の候補となっているとのウワサがくすぶり続けている。幸か不幸か同じグループの伊勢丹が万代に存在しているが、伊勢丹の方はまだ年齢層が若い人も結構来店していて、その両店舗の将来をを比較するなら間違いなく万代の伊勢丹に軍配が上がると言い切れる状態だ。
現時点では三越新潟店がどうなるかは三越の経営陣の考え一つといったところだが、百貨店の代名詞のような存在の三越だが、しかし裏を返せば古く新鮮味を感じさせないともいえる。今後しばらく三越新潟店はその高齢者達に支えられるだろうが、その役割を伊勢丹に譲りそして支えられた人々ともに静かに眠りにつくことになるのかもしれないとそんな事を考えてしまったのだ。

追記:ここまで書いたら2018年9月26日、新潟三越を2020年3月22日に閉店するとの発表があった。

古町を一通り見てみれば確かに事前情報通り大分寂れてしまっていた。直接的には郊外化の影響も大きいだろうが、しかし同じく中心市街地にある万代は中々しぶとく頑張っているのに対し、古町の一人負けというのはその歴史ゆえにこの状態へと陥ってしまったのではないだろうか?
かつては北回り航路の寄港地として発展し江戸時代は日本でも有数の歓楽街であったともされ、長きに渡り繁栄しいつの時代も常に古町は新潟の中心であった。それがゆえ古町の人々は何があろうとも古町は新潟の中心であり、万が一にも古町がその中心から外れるなどと言う事は全く持って理解できなかったのだろう。しかし現実にはその理解できない事が起きてしまいそれに気づいた時には既に遅く、時代に取り残され古く年老いて新陳代謝が出来ず一部の細胞組織が壊死つまり大和やラフォーレが閉店となってしまったようだ。それに、同じ新潟市民でも新潟島の出身ではない人にとればそんなことはどうでもいい事で、より魅力的に映ったのは万代シティであり亀田にあるイオンモールだっただけの事だろう。つまり古町はその名前のごとく街も店も人も全てが古くなってしまったのである。

ラフォーレ無き後、市役所の一部機能が入ったNEXT21と再開発される大和跡を抱える古町は今後どのようになるのだろうか。しかし大和の撤退時に新潟市長が発した文章を読めばその未来は暗いと言わざるをえない。なぜなら新潟市長としてなぜ大和が撤退するのか、つまり古町では商売にならないと判断されたのかといった視点が欠けているからだ。僕に言わせれば古町の衰退の原因は単純明快である。先にも書いた通り、時代に取り残され魅力的では無くなっただけの事で、大和やラフォーレの撤退はその事を教えてくれているのである。
ところが、NEXT21に市役所の一部機能を移転しさらに大和跡の再開発ビルにもなにか公的な機関を入れるような話になっていて、完全に困ったときのお役所頼みな状態に陥ってしまっている。そもそもそのお役所の市長サマも市の職員も街づくりを生業にしているだけで決して活性化させたり発展させる能力を持っている訳ではないのは認識しなければならない事だ。もし古町がかつての賑わいを取り戻したいというならば、お役所だのみではなくしてやられた万代やイオンをつぶさに観察することでその解の一助を得ていくことから始めていく必要があるだろう。

古町最後の砦となる三越新潟店 しかし閉店の噂がくすぶり続ける
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さて古町を後にし大通り沿いを歩いて万代へ向かう。途中万代橋を渡り信濃川を眺めれば確かに水辺の街並みというのは中々絵になるなどと思いながら、万代橋やメディアシップに朱鷺メッセを写真に収める。ただこの信濃川のおかげで鉄道を整備するとなった際に、この水辺という地理的要因から橋を架けるのが技術的にも金銭的にも困難で鉄道が古町から離れてしまった経緯があったようだ。そんな新潟市の欠点を補う役割を担ったのが路線バスで、物量作戦のごとく一日に2000本にものぼる大量の路線バスを走らせていたとの事だ。BRTについては先述した通りだが、人口減少時代のサスティナビリティを考えばやはり必要なことに違いない。

信濃川から万代方面の眺め
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万代橋と朱鷺メッセ
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さて、信濃川に架かる万代橋を渡ればその袂にそびえるのが地元紙新潟日報社の本社屋で有るというメディアシップである。2012年で創刊70周年の記念事業で建築されたというこのビルはまだ新しくそして人目を引くもので、新潟の中心が古町から万代へと移ったことを知らしめるには十分な効果があったと思う。
新聞などという斜陽産業がこんなビルを建てている場合なのかという疑問も感じないでもないが(なにせ若い人が新聞をホントに取っていないのだからその未来は暗い…)とりあえずそれは置いておくとして、展望フロアが朱鷺メッセやNEXT21の様に来る人を拒む様なことも無く開放されており、新潟市内を360度全方位に眺められ確かにこれは素晴らしいものだったと言っておこう。

メディアシップは万代のランドマーク
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朱鷺メッセと新潟港を望む
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信濃川と万代橋と新潟島
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万代シティを見下ろす
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そしてメディアシップから見下ろした万代シテイである。衰退する古町とは対照的でこちらは中々に賑わいが感じられる。元々この場所は新潟交通の車庫であったようだが1970年代に新潟交通がバスセンターの整備に続きダイエーをオープンさせ、80年代には伊勢丹を誘致、さらに90年代はビルボードプレイスを完成させるなど前進を続ける。2000年代に入り郊外化の流れや、経営が傾いたダイエーが撤退するさなかにおいても停滞する事なくむしろ郊外店に対抗すべく、ららぽーとを擁する三井不動産と組んでラブラ、ラブラ2を完成させた。万代地区に活気があるのは時代についていくため変化の手綱を緩めなかった結果ではなかろうか。
さらにもう一つは、その時点で考えられる店舗をすべて集積させた事もあると思う。たしかに万代シティを眺めてみると整備した時期がバラバラな為に新旧の店舗が入り乱れ、特にバスセンターの建屋自体がペデストリアンデッキとなって各店舗群が繋がっているのは迷路の様でなんだか雑然としている感は否めないが、しかし数多くの雑多な店舗群が集積している事は人々に万代シティに行けば根拠は無いけど何か期待が湧くし、それでもって何となく満足したような気分にさせられる事は間違いないだろう。

ただ、万代も万全というわけではなく8月に入り新潟アルタが2019年の3月をもって閉店との意向が伝えられた。古町に有ったラフォーレと共に若者向けの店舗であって、閉店は若者は給料が安いからとその影響を受けたと考えがちだが、むしろ若者たちのZOZOTOWNやメルカリのような新しいカタチのサービスに対する変化適応力の結果とみる方が適切なのかもしれない。
しかし、現在新潟交通は写真にも写っているレインボータワーの撤去を手始めにバスセンターの大規模改修を予定しているが、むしろこれを時代の変化に対応するチャレンジとして今後も取り組んで行くならば、万代の賑わい維持することができるだろうし、それが出来ないというならば、古町と同じ轍を踏むことになるだろう。

ラブラ バスセンター 伊勢丹と連なる
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伊勢丹から直角に曲がってビルボードプレイス1・2と続く
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万代シティは雑多な感じだがそれゆえ何か期待が湧くような気がする
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バスセンターの屋上がペデストリアンデッキとなりラブラ・ALTAを繋ぐ
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さて、万代シティを見て回って個人的な買い物も済ませたので、帰る前に腹ごしらえをしておこう。なんでもイタリアンというご当地グルメ的なものがあるようなのでこれを頂く。食べ始めてからふと思い出して、写真を撮ったので食べかけになってしまって申し訳ないが、スパゲッティというか焼きソバというか焼うどんというべきなのか、別に不味い訳じゃないけど何だか微妙な食べ物だなぁこれw。

新潟のご当地グルメイタリアン なんだか微妙な味わいw
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新潟の旅は、帰りの郡山便に乗って終了である。本来なら他の行先のバスの利用状況なんかを見ておきたかったのだけど、夕方発のは郡山便が一番早いのでそれが出来なかったが、東京・大阪・名古屋の大都市行きを除くと、富山・金沢・郡山・山形・長野・会津・仙台の地方都市行きがあるようだ。ただ、バスの本数が朝晩の2便(高崎・富山・金沢・郡山・山形)、それに日中の2便追加で4便が(長野・会津)で、同じ政令指定都市でも東北各地のからバスが多数発着している仙台なんかとは違いって大分少ない印象だ。確かに新潟駅の人の数などは仙台との比較をするならば、東北各県から人を呼び寄せそれに伴ってその需要も存分に吸い取ってしまっているのだが、同じ政令指定都市としてみるならばややさみしい印象なのは否めないし、新幹線も北陸新幹線の開業は新潟にとって2017年問題として以前から危惧されていて、つまり上越新幹線が支線扱いになり将来的には東京・大宮間の容量の問題から東京直通便が減り高崎や大宮で乗り換えを余儀なくされるのではないかともいわれていて(ただですら車両は東北新幹線のお下がりなのに)、新潟の地位が低下しつつあるような印象をうける。
実はこのあたりが新潟の悩みの種と言ったところで、つまり他所から人を呼び寄せる求心力が弱い事だ。北は山形の庄内地方(酒田・鶴岡)あたりまでは求心力があるようにも思えるがしかし、西は上越まで行ってしまうと、長野市の方がう距離的に近いという事もあってそれ程つながりが無いようにも思える。
妄想を語れば上越新幹線を新潟駅から羽越新幹線として青森まで延伸させるとか(まず無理だろうが)、ロシアとの平和協定を締結して新潟港が対ロシアの貿易拠点になるとか(これも領土問題がこじれているからダメだろうが)、こういった事があれば更なる発展も望めるが、おそらくそんなことにはならないので一発逆転みたいなことも無いのかもしれない。

ただ、腐っても政令指定都市なわけだから、かつてダイエーの創業者である中内功は小売り業にとって「売上は全てを癒す」といったそうだが、それを都市に置き換えるならば「人口は全てを癒す」といったところで、他の地方都市に比べればその頭数は多いのだから、市政の運営においてまだまだやりようはある筈だ。それに4選の現市長も引退表明をしある意味あらたな道を歩みだす時期ということなのだろう。
今後大和跡の再開発ビルが完成するし、新潟駅を貫通する道路も開通する。閉店される三越のその後の動向なども個人的に気になるものでもあるので数年後にまた訪れてその状況を伺ってみたい所だ。とりあえず今回はこんなところで筆をおくことにしよう。

郡山新潟線へ帰路につく
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郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

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