駅前に残る3病院跡

郡山駅前で丸井跡(但しここは既に解体され新しいビルを建設するようだ)、ダイエー跡と並んでさらに三つ程塩漬けになっている建物がある。それは中町の太田総合病院、駅前の寿泉堂総合病院、大町の星総合病院の元病院跡だ。元病院跡というとおりそれぞれの病院は新しい病棟を建設移転し診療を続けている。ここで各病院の移転時期を振り返ってみよう。

太田病院は1989年に本体機能を市内西ノ内へ移転後、中町の方を太田記念病院と改称してしばらくは診療を続けるものの2009年に太田記念病院を閉院。余談ではあるがこの事は2008年の丸井撤退とあわせて駅前~中町にかけて人通りの大幅減少につながる。

太田西ノ内病院:西ノ内に移転してもう20数年経つ
太田西ノ内病院:西ノ内に移転してもう20数年経つ

太田記念病院跡:閉鎖されたとはいえ寂れた印象が中心市街地の沈下を物語るようだ
太田記念病院跡:閉鎖されたとはいえ寂れた印象が中心市街地の沈下を物語るようだ

寿泉堂は郡山駅前一丁目市街地再開発事業として、先ず「第一地区」としてうすいの隣に地下1階地上21階建ての新病院を建設移転し(11階までが病院、12階以上が分譲マンション)、さらに移転後「第二地区」として空いた古い建て屋を解体し地下1階地上19階建の複合ビルを建設する予定だったが運悪く再開発事業中にリーマンショックが発生。どうにか「第一地区」の新病院の完成にはこぎつけたもののここにあるとおり、「第二地区」の計画が頓挫してしまった。他の2病院跡と違い跡地の再開発計画があっただけにつくづく残念に思う。

寿泉堂総合病院:病院一体型マンションは新しいカタチとなるか
寿泉堂総合病院:病院一体型マンションは新しいカタチとなるか

寿泉堂総合病院跡:第二地区の計画再開を望む
寿泉堂総合病院跡:第二地区の計画再開を望む

最後に星病院であるが、2011年の震災により旧病院が損傷(ここに記録がある)。元々移転計画を進めていはいたのだが、震災直後から新病院の建設を開始し2013年に移転し診察を開始している。

星総合病院:看護学校併設など施設が充実
星総合病院:看護学校併設など施設が充実

星総合病院跡:震災で渡り廊下が壊れた後も新病院完成迄の2年弱この状態で診療を続けていた
星総合病院跡:震災で渡り廊下が壊れた後も新病院完成迄の2年弱この状態で診療を続けていた

星総合病院跡:壊れた渡り廊下
星総合病院跡:壊れた渡り廊下

移転した病院そのものは新しくなり機能も向上しているだろうから、何もいう事はないのであるがそれに対し跡地は活用されず放置のままだ。もう20年くらい前になるのかも知れないが、郊外に有った郡山総合病院や本多記念病院は閉院後それぞれ専門学校やマンションになっているから(まさか病院跡で怨念があるという訳でもないだろう…)駅前に位置するのが何かネックであるという事なのだろうか。

しかし、この3病院跡これからある意味可能性を秘めているとも言える。じつは郡山市では郡山市中心市街地活性化基本計画として平成26~30年にかけて中心市街地の再生に向けた事業を行っていくようだがある程度まとまった敷地があるこの3病院跡地の活用がポイントになるのではないかと思う。
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郡山駅前ペデストリアンデッキ拡張の我が私案

前回ペデストリアンデッキの現状などを書いてみたが、もう少し役に立つように成らないものかと思うので今回は盲想を含めてペデストリアンデッキの拡張案について考えてみる事にする。赤い部分がペデストリアンデッキ拡張部分で、オレンジ色がエレベーターを表す。

ペデストリアンデッキ拡張案
ペデストリアンデッキ拡張案

A地点
現在のペデストリアンデッキの端点から南へ延長する。現在ここには駅ビルのひさしが付いているが、これを取っ払いこの部分にペデストリアンデッキを構築。地上部分はペデストリアンデッキ自体がひさし変わりになるようにし、2階部分は方支持タイプの屋根をつける。モルティの店員さんが言うように雨でも傘を差さなくていいのはありがたいものだ。

ひさしの部分にペデストリアンデッキ設置
ひさしの部分にペデストリアンデッキ設置

この様な片支持タイプの屋根をつける
この様な片支持タイプの屋根をつける

B地点
アーケード商店街と駅前広場を繋ぐ横断歩道は現状のままとし、後述するC地点の階段を昇り降りしたくない場合はこの横断歩道を利用する。

駅前アーケードの横断歩道は存続
point_b.jpg

C地点
地上部分の横断歩道は交通渋滞を引き起こしているので廃止し、ペデストリアンデッキで横断してもらう事とする。また、現在の降車場とオーバーラップするようにペデストリアンデッキを設置し降車場のひさしを兼ねる。

ローソン前横断歩道は廃止
この横断歩道は廃止

降車場部分をなぞるようにペデストリアンデッキを設置しひさし代わりに
point_c2.jpg

D地点
地上とペデストリアンデッキを繋ぐ階段およびエスカレーターを設置し、緑の窓口へ直行できるように。

この場所に階段とエスカレータを設けダイレクトに駅ビルの2階へ
point_d.jpg

E地点
駅ビル中央口の2階部分に出入り口をつけ、渡り廊下で直接2階部分(びゅうプラザ正面)とを繋ぐ。柱と柱の間に梁が渡してあるが、それを跨ぐように渡り廊下を設置すれば可能な筈だ。

渡り廊下で出入り口を確保
渡り廊下で出入り口を確保

F地点
E地点の出入り口の他に、美味餐庁(メイウェイサンチン)脇にも出入り口をつける。写真のように元々メンテナンス用の出入り口があるのでそれを流用しすこし手直しする。レストランゾーンとなっているこのあたり、やや人通が寂しいので新たな人の動線をつくればテナントの売り上げ増も期待できるのではないか?

レストランゾーンに出入り口を作り新たな動線を作る
レストランゾーンに出入り口を作り新たな動線を作る

G地点
西口と東口を結ぶ連絡通路から直接ペデストリアンデッキに行き来できるようにする。ただしここは建て屋の構造的に少々難しいかもしれないので、2階にあるコインロッカーやトイレを潰して通路を確保するしかないかもしれない。

東口連絡通路とペデストリアンデッキの連結は難しいか?
point_g.jpg

H地点
ここは地上部分の横断歩道も残し、地上部分ペデストリアンデッキ部分どちらでも道路を渡れるようにする。その他、Atiや丸井跡に新しく建つビルの2階からも出入りできるようにする。

地上とペデストリアンデッキの両方で道路を渡れるように
point_h.jpg

I地点
とりあえず横断歩道のままとするが、将来的にはペデストリアンデッキで繋ぐことが出来る構造としておく。ここは横断者による渋滞がそれ程酷くならないので、大丈夫だと思うがやぱりそれじゃ片手落ちかなぁ(一気につくれるなら作ってしまえばいいんだけど)。

思い切ってここもペデストリアンデッキにできればいいが
point_i.jpg

最後に仙台のような幅の広いペデストリアンデッキで地上部分を覆ってしまわなかったのは、滝のモニュメントがある駅前広場が意外と広々として開放感があるからそれを崩さないようにする為だ。無駄なスペースだと感じる人もいるかもしれないが、僕はこの開放感あふれる駅前広場が結構気に入っているのだ(ちょっとしたイベントなども実施できるしね)。

開放感のある駅前広場

とまぁこんなところでどうだろうか。僕が利用者側の視点から考えてみた勝手な案ではあるが、人とクルマの両方の流れを遮らない事に重きを置いているから、実現すればきっと利便性の向上や回遊性が生まれ渋滞の緩和にもなる筈だ。中心市街地の衰退が言われて久しいが、はじまりは妄想であってもあれこれと考え具体案として発展させれば対策を施す事も出来るし、こうやってここにペデストリアンデッキを設置すれば人の流れがこう変わるだろうとか考えるだけもで中々楽しではないか。元々郡山は開拓の街なのであるから先人達の偉業にすがるのではなく、自分達も開拓していく事こそが、先人達に報いる事なのではないかと思う。ただ人がいないと嘆くばかりでは決して解決しないのだから。

さて、余談だけど将来日の出通りの大町区画整理が完了すれば、こちらのほうもペデストリアンデッキを拡張すぺきとかいやいやスクランブル交差点を設けるべきだとかいろいろ考えなくてはなりませんね。(ただの盲想などいらないといわれそうですが…)
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あさか野

Author:あさか野
郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

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