(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2018年4月) 新潟県新潟市

番外編の隣県の県庁所在地を訪れるシリーズ。今回は新潟県新潟市である。日本海側(裏日本などという表現をすると新潟市民に怒られるのだろうか)最大の都市でありまた日本海側唯一の政令指定都市でもあるのだが、郡山からは仙台に比べ距離的にやや遠いと事を勘案しても、その距離以上に遠さを感じさせる都市でもある。
新幹線なら一旦東北新幹線で大宮まで行き、上越新幹線の乗り換えとなるがおかげで運賃が高いし、かといって磐越西線ではとんでもなく時間がかかる(ヤフーの乗換案内で調べたら6持52分発の11持55分着で所要時間5時間3分と出た)。高速道路も磐越道が会津若松ICから西が片側1車線の対面通行となり地味に不便を感じさせる。高速バスも設定されているが、朝夕にそれぞれ1便のみで使い勝手が悪い。そのせいもあってか新潟の会社と付き合いがあるなんて話しはあまり聞かないし、確かに繋がりが薄い感は否めないものだ。そんな新潟県な為、僕にはなんだか凄く雪が降るところとか全くもってその程度の認識しかないのだが(隣の県なのに申し訳ない…新潟市民に言わせれば雪はそれ程でもないが天気は悪いそうだ)、今回あらためて訪れてその現状を探ってみようと思った次第である。

さて、例によって移動は公共交通機関という事で高速バスの郡山~新潟線である。当日はゴールデンウイークという事もあってか乗客は満員で比較的若い人が多かったけど、中年のオジサンもいたし高齢者いるといった具合で年齢の分布はある程度バラツキがあったように見えた。特に連休でもない普通の週末だと夕方発の新潟行は大体14~5人といったところだが、連休となるとそれなりの利用がるようだ。まぁそこまでする人はいないだろうが、予約をするのが出遅れたとかで乗れないなら一旦会津若松まで行き、会津若松発の新潟便という手もある。
当日はちょうど郡山シティマラソンの日で市役所前のさくら通りが規制された為、さくら通り、内環状線、うねめ通り、R49、郡山ICという経路だったが、最近高速バスはこの新潟便をはじめ、仙台便、会津若松便、福島便がさくら通り、R49と経路が変更されている(以前の郡山郵便局脇は通らなくなった)。それはこっちのほうが利用があるからという事なのだろうけど、何だろう郡山女子大関連の需要なのかな。

高速バス郡山・新潟線 GWの昭和の日とあって満員だった
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運航自体は概ね順調で磐越道も連休初日だったにも関わらず渋滞もなく、ほぼ定刻通りに新潟の万代シティバスセンターへ到着。仙台便が片道約130kmで往復3,400円、新潟便が片道約160kmで往復5,550円というのは、時間はともかくとしてもやっぱりちょっと距離以上の差を感じてしまうものだ。
バスセンターの建屋に入り中を歩いていくと、何だかカレー臭い一角がある。そうえいばここカレーが有名なんだっけ?と思ったら、みんな必死にカレーを食べているではなかw。なんでもルーから手造りし、和風だしととんこつベースのスープで伸ばしてつくられるとの事でそういう自分もカレーを食べる訳だが、まぁカレーですよ位の感想。個人的には隣のどんぶりブッチャーという店が気になるなぁ。

万代シティバスセンターの一角がカレー臭くなるくらいみんながカレーを食べている
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これが万代そばのカレーライス まぁカレーですよ
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腹ごなしを終えてまずは、新潟駅である。日本海側唯一の政令指定都市である新潟の表玄関はどれ程のものかと期待して来たのだが、なんだが古めかしい駅ビルが建っていてそれ程でもない印象だった。その古めかしい駅ビルの中に入れば通路が狭く歩きにくいし地下のテナントは時間が止まったかのような昭和の雰囲気であるが、それもその筈この駅ビルはすでに50年を経過し数年後には取り壊される予定だから、今更どうこうという事もないのだろう。

新潟駅ビルは築50年以上が経過し政令指定都市にそぐわぬ昭和な雰囲気
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新潟駅のバスターミナルは、屋根付きだが車庫のようだ。雪国ゆえ屋根付きは有難いだろうが、バスがバックで入るターミナルなんて初めて見た。しかし笛でバックするバスを誘導するおじいさんは中々大変だ。今のバスはまだマシだけど昔のバスは排ガスがさぞ酷かったことだろう。

屋根付きだがバスがバックで入るターミナル
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新潟駅であれこれ撮影していると連接バスがやってきた。実は今回の目的の一つであるのがこの連接バスを使ったBRTのツインくるである。これは明日じっくり乗ってみることにしよう。

連接バスの愛称はツインくる
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さて、先ほど新潟駅ビルは数年後に取り壊されると書いたが、その理由がこの新潟駅連続立体交差事業にある。簡単に言うと新潟駅近辺の在来線を高架化し、ついでに新幹線ホームと並べて乗り換えの利便性を向上させるものだ。2018年春にその一部が完成し、従来の地上にあるプラットホームが廃止されている。引き続き残りの高架を増設し全ての高架化が完了するのが2021年の予定でその後、新潟駅ビルを撤去した上で新しい新潟駅広場を整備するとともに、駅の両側を往来出来る道路も整備するとの事だ。そういう訳でまずは新潟駅連続立体交差事業の完了待ちという状態なのである。

使用が停止された地上のプラットホーム
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新しい高架に車両がやって来た
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今度は渡り廊下を歩いて新潟駅の南口にやって来た。こちらはいわゆる新幹線側の駅ビルで、一応駅ビル内にもある程度のテナントが存在するが、100万都市の規模から考えるとお店の数がやや寂しい印象がある。駅ビル直結のCoCoLo新潟南館があってビックカメラ等も入っているのだが、人の数は万代口に比べるとだいぶ少ない。
ただ、訪れた日は昭和の日で広場でチューリップの花びらを使って絵にするイベントが行われていて、イベント自体にはある程度の人が居たのだけど、やはり地方都市で駅の両側を発展させるというのは中々難しい事なのだろう。

新潟駅 南口(新幹線口)
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チューリップの花びらで作った絵
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新潟駅直結のCoCoLo新潟南館
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実際その新潟駅の南口周辺には、プラーカと称する複合施設が存在する。1985年にプラーカ123の3棟が商業施設として同時開業したのだが、結局万代や古町との競争に負け経営破綻になったとの事で、JRがCoCoLoにそれ程注力してないような印象を感じるのもこう言った事実があったからなのかもしれない。
ただ、プラーカにとって不幸だったのは、テナントの西友誘致が取りやめになった事や、それに新潟駅南口には新幹線開業後もしばらく車両基地があって(ようは今の駅前広場がなかった)、線路が邪魔してアクセスが悪いというのもあったようだ。

経営破綻したプラーカ123
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さて新潟駅南口からは一旦バスに乗って郊外店のイオンモール新潟南へ向かう。ほぼ新潟亀田インターに直結と言ってもいい場所に立地しておりまさに地方にある郊外店のイオンその物の姿である。御覧の通り車は一杯で結構な混雑ぶりだった。店舗の内部についてはもう言わずもがなでありそれは紛うことなきイオンモールなのだが、僕のようにあっちこっちのイオンモールを見ているとその金太郎飴的な退屈さというかそういうものを感じてしまうようになってしまっている。当面は安泰だろうが、しかし早晩このあたりの対策を講じていかなければならないそんな時期に来ているのではないだろうか。

イオンモール新潟南
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このイオンモール新潟南店で特筆するとすれば、高速道路を挟んだ向こう側にホームセンターを中心としたアークランドサカモトが存在し、さらに目と鼻の先にはアピタ新潟亀田店がある事だ。直接的にはこれらは競合店と言う事になるだろうが、しかし新潟亀田インター周辺の巨大店舗群の集積によって、郊外へ人を引き付けるという視点から考えるならそれは絶大な相乗効果を発揮したといえるだろう。ただこちらも、そのライバル店であるアピタの運営するユニーがファミマと統合しさらに、ドン・キホーテと資本提携をしていて、GMSの改革に乗り出している、今のところはドンキとの融合店は一部店舗に限られるがライバルもまた動き始めているのだ。

イオンモール新潟南
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イオンを見て回った後は、再び新潟駅に戻ってくると、さっきのイベントで今度はキャンドルを灯して何やら駅前広場で雰囲気を醸し出していた。ちょっと調べてみても何のイベントだったのかは分からなかったけど何だったんだろう。

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暗くなってきたので、少し寄り道でメディアシップによって新潟の夜景を見てこよう。この新潟日報のビルは展望階が解放されていて新潟市内を一望できるのだ。さすが夜景となるとにF2.8の手振れ補正付のレンズでも手持ちは中々厳しいが、縮小して見れそうな奴を張っておこう。夜景そのものは地方都市としてはまぁまぁだと思うけど、中心部にあるこのビルより映っている朱鷺メッセの方からこちらを望んだほうが奇麗なのかもしれない。

新潟港方面
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古町方面
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さて、今回の主たる目的のひとつであるのが萬代橋ラインラインと名付けられたこのBRTである。新潟では元々新潟駅万代口から万代シティ、古町、市役所あたりまで、物量作戦というか数に任せて路線バスをジャンジャン運行していて、実際この区間はバス停も数分間隔で運行みたいな事が記載されており、古町に行きたいなどというと大概のバスはそこを通るから来た奴に乗れ的な結構乱暴な案内だったりした位なのだけど、さすがに運転手不足や団子状態による運行の非効率さなどを改める為、要はBRTを基幹として通し、各方面向けに支線を分けるなどして効率化しようとした訳だ。

ただそのBRTの導入にあたり、その事前準備が稚拙だった事で、運行開始から運賃徴収にトラブルが発生(そのせいでしばらく運賃がタダになった)、しかも新潟日報の元記者だったという市長はトラブル収束の為に陣頭指揮をとらず、そうこうしていること今度は連接バス車両の接触事故まで起きるなど、散々なデビューとなってしまったようだ。

しかし、僕はBRTの導入に関しては将来に向けて必要との考えから肯定的な立場なのである。分野は違うけど技術者の立場から語るならば、新しいものをサービスインするにあたっては、事前に相当の検証を行ったとしても何かしらのトラブルというのはどうしても発生してしまうものだ。
一例をあげるとすれば、あの天下のJRだって山手線の新型車両が運行開始直後にトラブルが発生しその後3ヶ月もかけて検証し直しているのだ。しかし、こういったトラブルをやり玉にあげるのはマスコミな訳だが、そのマスコミ出身の新潟市長サマは責任は新潟交通とレシップ(運賃箱の製造会社)にあるとして、逃げ回っていたようなのだ。
自分が推進してきたBRTプロジェクトなのだから、トラブルが出たら自分が矢面に立つべきで、ただ選挙の時の実績作りの為などというセコイ考えは捨て、正々堂々と表に出て発信すればいいのである。そのいい事例は博多駅前陥没事故の際の福岡市の高島市長が上げられる。僕はトップに立つ人間は聖人君子ある必要はなくいざというときに仕事をしてくれればいいし、またそういうものだと思っているのだ。

新潟駅万代口のBRT用バス停 連接バスは全長18m追い越し注意だ
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新潟駅万代口を発車する連接バス こうして見ると確かに長い
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さて、実際にその連接バスに乗ってみる。行きは連結の前部車両に乗り終点の青山まで、帰りは連結の後部車両に乗り古町まで戻ってみたが、率直な感想はそのまんまだけどまぁ路線バスだなぁと。でもどうせ乗るならエンジンの音が前の車両まで伝わってこないので断然前側の車両のほうが快適である。後ろの車両はエンジン音がうるさいし、意外と通路が狭く窮屈な印象だったのだ。
ただ特筆すべき点としては運賃の支払いにSUICAなどの交通系ICカードが片利用できるようになっているのは評価したい。仙台の地下鉄ではSUICAと相互利用を実施したようだけど、地方の交通事業者なら片利用で十分だろう。地元の人間じゃない者にとっては、SUICAのような一般的なもので支払いできるのは非常にありがたいものだ。

終点の青山に到着のツインくる 乗るなら連接前部のほうが快適
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折り返し青山からの発車となるツインくる
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このBRT萬代橋ラインは、現時点で未だ道半ばと言ったところだ。連接バスで運行されるのはごく一部で、そのほとんどは通常のバス車両で運行されているから連接バスの増備もしなければならないし、そもそもBRTといっても一般道を走るので定時運行に難があることから、道路中央側にBRT専用レーンを設けさらに現在の歩道側にあるバス停から中央分離帯的な島式ホームへの移行もしなければならない。さらに先の新潟駅連続立体交差事業で駅のあちらとこちらで往来可能となった際には延伸する計画もあるといった具合にこれから実施する課題は多い。そして今後それらを実施していく過程では、当然様々な批判が出るだろうがそこは腹を決めて取り組んでいくしかない。ただそれを先の市長サマが実施できるのかといったところなのである。まぁ将来は市長が別の人に代わってるかもしれないけどね。

追記:その市長サマは引退を表明し、5選目はないとのことだ。

万代シティへ到着のツインくる 現状は歩道側にバス停がある
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万代シティを発車するツインくる 萬代橋ラインの未来を背負って走れ!
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次はBRTから降りて古町である。少し前から中心市街地として衰退してしまった印象の古町であるが、確かに一つ一つ見て回るとそれを裏付けるものだった。まずはかつて新潟で地価の最高地点だった大和新潟店跡である。大和といえば石川、富山、新潟の三県で百貨店を営んでいたが、リーマンショック後の赤字転落や建物の老朽化などもあり金沢と富山に経営資源を集中し新潟県の3店舗が閉店となったものだ。閉店後は暫く建物が残っていたが、それも解体され2020年の竣工ににむけて再開発ビル建設工事が始まっている。この大和撤退に対して先の市長サマが書いた文章がこれである。

許されない大和新潟店の撤退姿勢 最終更新日:2012年6月1日 新潟市サイトより引用
先週、大和デパートが新潟県に展開している3店を「来年6月までに撤退する」との発表がありました。
 1県に出店してきた3店を一斉に撤退することなど前代未聞でありますし、事前に県や3市に対し何の協議もなかったことは大変遺憾です。新潟市として「まず撤退を撤回するよう」大和に申し入れています。
 20日には大和新潟店のある古町地区の商店街の代表から市役所にお出でいただき、「撤退の撤回」について改めて要請を受けました。地元や経済界と連携して、大和に良識ある行動を求めていきます。
 大和新潟店は昭和30年代~50年代まで、大和の中でも最大の稼ぎ頭でした。しかし、新潟店への投資は限定的で、大きな投資をした香林坊店(金沢市)や富山店とは好対照です。新潟の経済界は、「新潟店にもっと投資を」と繰り返し要請してきました。
 私が新聞記者だった頃、あるいは市長になってからも、折に触れて「大和の経営資源を金沢と富山に集中しろ」という動きが大和の内外にあることを感じていました。大和が新潟県内から安易に撤退しないよう牽制するとともに、4年前には具体的な支援もしていこうと、行政サービスコーナーや子育て支援施設などを併設した「なかなか古町」を新潟店内に設置。年間11万人が利用しています。
 にもかかわらず一昨年の4月、「大和の新潟県内からの撤退も選択肢のうち」との報道が一部でなされ、騒ぎになったことがありました。そのときは大和の幹部が飛んできて「そういう気持ちはない」と明言していたにもかかわらず、今回の事態となりました。
 NHK大河ドラマ「天地人」にあった直江兼続の「長谷堂城の撤退戦」を例に引くまでもなく、どの世界でも撤退が一番難しいわけですが、今回の大和の撤退表明は戦 略も戦術もない拙劣なものです。何よりもこれまで大和を受け入れてきた地元や、支持してきた新潟市民に対して極めて礼を欠く対応は許せないと思っていま す。
 大和の宮社長は先月、石川県の新聞社のインタビューに対して新潟撤退に言及し「責任を取れと言われたら責任を取る。それくらいの覚悟」と語っています。しかし、宮社長は新潟撤退の大決断をしたにもかかわらず、新潟に姿さえ見せず、新潟県民に撤退の説明責任も果たしていません。
 「責任を取る覚悟」を大和には具体的に示してもらわなければなりません。私たちが求める責任は、まず無責任な撤退の撤回です。どうしても撤退なさるなら、最低限、雇用と新潟のまちづくりに道筋をつけた上で撤退するのが大和の責任です。
 これまでのやり方について反省され、地元に真っ当な対応をすることが、大和が今後も百貨店として生き抜いていくための最低条件と思います。このことについて、大和の最高責任者に申し入れていきます。
 一方では新潟市として、地元商店街や経済界と一体となって、古町など新潟の中心市街地の活性化に取り組んでいきます。その決意を示し、行動に結びつけるための「まちなか再生会議」を早々に立ち上げていきます。
 商業核だけでなく、これからのまちなかにはどんな機能や魅力が求められるのか、まちなか公共交通はどう改善していくべきかなどを議論し、早急に動いていきます。
 以前にダイエー新潟店が撤退したときに、「ダイエー以上の価値と機能が生まれるように」新潟市は動いていきました。今回も「まちなかの機能アップのため大きなチャンスが来た」との気概で関係者とともに取り組んでいこうと思います。
 市民の皆さまからもご意見をいただきながら、古町だけではなく「地域それぞれのまちなか再生」についても各区で練り上げていきますので、よろしくお願いします。

平成21年10月22日

新潟市長 篠田 昭


この文章をみるとなんて上から目線なんだと思う。まるで新潟で商売させてやっているのに撤退とは何事だと言わんばかりの内容だが、僕から言わせれば企業が撤退を検討する=企業にとってその都市に魅力が無い(薄れた)という事だから、それは市政を預かる市長の責任なのである。ましてや大和は上場企業だから、収益の上がらない店舗などにかまけている余裕などないのは新聞記者なら理解できる筈だし、実際この古町を少しでも歩けば誰にでも衰退が顕著な事がすぐにわかるものだ。それを棚にあげて、この上から目線の文章を書けるのだから、新聞記者というのは偉いんですねぇと、ちょっと嫌味の一つもいいたくもなるので市長サマと書いているのだ。

かつての地価最高地点の大和前は再開発ビルを建設中
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営業を停止し建屋が残っていた時期の大和跡
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2020年再開発ビルが竣工予定だがその行く末は疑問が残る
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その大和跡から続くふるまちモール5・6・7である。いわゆるアーケード商店街というやつだが、地方のシャッター商店街の例に漏れず閑散としている。流石に郡山のアーケード商店街や高崎の高崎銀座の様に小汚くはなかったけど、目ぼしい店なとないし、逆に空いているからドトールでコーヒーがゆっくり飲めるという、ただそれだけなのである。
これはやはり時代が求めている要求に対し商店街というものが対応で来ていない証拠なのだろう。日本というのはどいういう訳か、組合をつくりみんなでやりましょうとしたがるのだが、それでうまくいっているときはいいものの、調子が悪くなってくると何かの対策を打たなければならないのだが、結局商店街の組合など決定権が誰にあるのか不明で何かをやろうとして、反対意見が出てしまうと結局は何も出来ず、最後はゆでガエル状態でどうにもならなくなるといった具合だからとにかく問題解決に時間がかかるのだ。

古町モールと称するアーケード商店街 特に気になるような店はない
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次は、日本海側で唯一の地下街とされる西堀ローサである。この西堀ローサは鉄道の駅などと連結しておらず、単独で地下街として存在する珍しいものだが、その経緯は古町の駐車場不足を解消すべく地下駐車場を作るとなったので、ならばついでに地下街も作ってしまおうとの事だったようだ。
1976年の開業からしばらくは賑わいを見せたものの、バブル崩壊後から陰りが見え、さらに万代やイオンモールなどの競合や古町自体の地盤沈下もあって大分廃れてしまったとの事で、一時期などは営業している店舗も疎らで本当に悲惨な状態だったようだ。
実際に見てきた範囲だと、どうにかこうにかしてテナントを埋めている印象だが、それは新潟市が政策的にテナントの入居条件を相当に甘くして、何とか入居するテナントを手当てしている状況なのだろうというのは想像に難くないものだ。さらに開業から40年を経過し古さも目立ち、床のタイルなどいかにも昭和的な古色蒼然たる雰囲気も醸し出してしまっている。頼みの綱である連結していた商業施設も、大和とラフォーレが撤退となり、三越を残すばかりとなってしまった。おそらくこのような状況を鑑みれば、今後のリニューアルなどは叶わず終焉を迎える可能性が高いのではないか?とそんな感想を受けたと記しておこう。
なにも僕は全く適当な事を言っているのではなく、地下街などというのは相当な都市でなければ維持できないものだと感じていて、例えば東京駅八重洲地下街や川崎アゼリアなどを見ても、周辺の商業施設である大丸やグランスタ、そしてラゾーナあたりと比べると、やはり人の数にはかなりの差がある(無論それは地下街の方が少ないという事)。東京や川崎といった大都市ですらそうなのだから、地下というのは何か心理的なものが働くのか相当なハンデが存在するのだろう。こんな事を鑑みれば簡単に想像がつくことなのだ。

古色蒼然として場末感のある西堀ローサ 存続は厳しいのではないか?
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そして古町のランドマークというべきのNEXT21である。このNEXT21は数年前までラフォーレ原宿がテナントとして入っていたのだが、2016年1月31日をもって閉店となっている。実は3年前ラフォーレが撤退表明をした後に訪れたことがあるのだが、(撤退表明後の)存在意義をを失った状態のラフォーレは全ての覇気を失ってしまったかのような空気に包まれいたのを思い出す。
その後は発表通りラフォーレは閉店となって、空いたフロアには新潟市役所の一部機能が移転という形で入居することになった。訪れた日は祝日とあって、中に入るとエスカレータが動いているものの各フロアに登るとシャッターが閉まっていてそれ以上進めない状態になっていた。
元々この場所は新潟市役所が存在していて現在の場所に移転した際、再開発ビルとしてこのNEXT21が建てられたもので開業は1994年というから、バブル崩壊後ではあったものの当時とすれば、新潟一の高層ビルで三越や大和とは違った若者向けのラフォーレも入って次世代を託したものでもあったし、これで古町繁栄の持続は約束されたものだと確信していたに違いなかった筈だが、どこで歯車が狂ってしまったのかラフォーレは撤退となり、ただですら西堀ローサでテナント集めに苦労している状態ゆえ結局商業施設としての存続は諦め、出戻りというと言葉が悪いが市役所の施設で埋めることになりなんだか元の木阿弥のようになってしまった。その名前は21階建てから来ているとされるNEXT21だが、輝けたる21世紀を迎えると共に次世代への架け橋的な意味もあったのだろうと思われるが、しかしいざ実際に21世紀を迎えてみるとその輝きは無かったようなのだ。

ラフォーレは撤退後は市役所の一部機能を移転という形になった
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撤退表明後の覇気のない状態のラフォーレ
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らせん状のエスカレータを登るとフロアのシャッターが閉まっていて進めない
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その名前からも伺える通り次世代を託されたNEXT21の未来に輝きは無かった
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最後はこの古町で正に最後の砦となる三越新潟店である。さらっと見た範囲ではそれなりにお客もいるしまずますじゃないかと感じるのも束の間、客層を見れはなんだかそれも時間の問題の様に思えてきたものだ。なぜなら三越の客層に若い人がおらず年配ばかりだった事に気づいたからだ。
そもそも現在三越自体が業績不振に喘いでいて地方店舗を閉鎖する流れにあって、この三越新潟店が閉鎖の候補となっているとのウワサがくすぶり続けている。幸か不幸か同じグループの伊勢丹が万代に存在しているが、伊勢丹の方はまだ年齢層が若い人も結構来店していて、その両店舗の将来をを比較するなら間違いなく万代の伊勢丹に軍配が上がると言い切れる状態だ。
現時点では三越新潟店がどうなるかは三越の経営陣の考え一つといったところだが、百貨店の代名詞のような存在の三越だが、しかし裏を返せば古く新鮮味を感じさせないともいえる。今後しばらく三越新潟店はその高齢者達に支えられるだろうが、その役割を伊勢丹に譲りそして支えられた人々ともに静かに眠りにつくことになるのかもしれないとそんな事を考えてしまったのだ。

追記:ここまで書いたら2018年9月26日、新潟三越を2020年3月22日に閉店するとの発表があった。

古町を一通り見てみれば確かに事前情報通り大分寂れてしまっていた。直接的には郊外化の影響も大きいだろうが、しかし同じく中心市街地にある万代は中々しぶとく頑張っているのに対し、古町の一人負けというのはその歴史ゆえにこの状態へと陥ってしまったのではないだろうか?
かつては北回り航路の寄港地として発展し江戸時代は日本でも有数の歓楽街であったともされ、長きに渡り繁栄しいつの時代も常に古町は新潟の中心であった。それがゆえ古町の人々は何があろうとも古町は新潟の中心であり、万が一にも古町がその中心から外れるなどと言う事は全く持って理解できなかったのだろう。しかし現実にはその理解できない事が起きてしまいそれに気づいた時には既に遅く、時代に取り残され古く年老いて新陳代謝が出来ず一部の細胞組織が壊死つまり大和やラフォーレが閉店となってしまったようだ。それに、同じ新潟市民でも新潟島の出身ではない人にとればそんなことはどうでもいい事で、より魅力的に映ったのは万代シティであり亀田にあるイオンモールだっただけの事だろう。つまり古町はその名前のごとく街も店も人も全てが古くなってしまったのである。

ラフォーレ無き後、市役所の一部機能が入ったNEXT21と再開発される大和跡を抱える古町は今後どのようになるのだろうか。しかし大和の撤退時に新潟市長が発した文章を読めばその未来は暗いと言わざるをえない。なぜなら新潟市長としてなぜ大和が撤退するのか、つまり古町では商売にならないと判断されたのかといった視点が欠けているからだ。僕に言わせれば古町の衰退の原因は単純明快である。先にも書いた通り、時代に取り残され魅力的では無くなっただけの事で、大和やラフォーレの撤退はその事を教えてくれているのである。
ところが、NEXT21に市役所の一部機能を移転しさらに大和跡の再開発ビルにもなにか公的な機関を入れるような話になっていて、完全に困ったときのお役所頼みな状態に陥ってしまっている。そもそもそのお役所の市長サマも市の職員も街づくりを生業にしているだけで決して活性化させたり発展させる能力を持っている訳ではないのは認識しなければならない事だ。もし古町がかつての賑わいを取り戻したいというならば、お役所だのみではなくしてやられた万代やイオンをつぶさに観察することでその解の一助を得ていくことから始めていく必要があるだろう。

古町最後の砦となる三越新潟店 しかし閉店の噂がくすぶり続ける
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さて古町を後にし大通り沿いを歩いて万代へ向かう。途中万代橋を渡り信濃川を眺めれば確かに水辺の街並みというのは中々絵になるなどと思いながら、万代橋やメディアシップに朱鷺メッセを写真に収める。ただこの信濃川のおかげで鉄道を整備するとなった際に、この水辺という地理的要因から橋を架けるのが技術的にも金銭的にも困難で鉄道が古町から離れてしまった経緯があったようだ。そんな新潟市の欠点を補う役割を担ったのが路線バスで、物量作戦のごとく一日に2000本にものぼる大量の路線バスを走らせていたとの事だ。BRTについては先述した通りだが、人口減少時代のサスティナビリティを考えばやはり必要なことに違いない。

信濃川から万代方面の眺め
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万代橋と朱鷺メッセ
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さて、信濃川に架かる万代橋を渡ればその袂にそびえるのが地元紙新潟日報社の本社屋で有るというメディアシップである。2012年で創刊70周年の記念事業で建築されたというこのビルはまだ新しくそして人目を引くもので、新潟の中心が古町から万代へと移ったことを知らしめるには十分な効果があったと思う。
新聞などという斜陽産業がこんなビルを建てている場合なのかという疑問も感じないでもないが(なにせ若い人が新聞をホントに取っていないのだからその未来は暗い…)とりあえずそれは置いておくとして、展望フロアが朱鷺メッセやNEXT21の様に来る人を拒む様なことも無く開放されており、新潟市内を360度全方位に眺められ確かにこれは素晴らしいものだったと言っておこう。

メディアシップは万代のランドマーク
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朱鷺メッセと新潟港を望む
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信濃川と万代橋と新潟島
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万代シティを見下ろす
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そしてメディアシップから見下ろした万代シテイである。衰退する古町とは対照的でこちらは中々に賑わいが感じられる。元々この場所は新潟交通の車庫であったようだが1970年代に新潟交通がバスセンターの整備に続きダイエーをオープンさせ、80年代には伊勢丹を誘致、さらに90年代はビルボードプレイスを完成させるなど前進を続ける。2000年代に入り郊外化の流れや、経営が傾いたダイエーが撤退するさなかにおいても停滞する事なくむしろ郊外店に対抗すべく、ららぽーとを擁する三井不動産と組んでラブラ、ラブラ2を完成させた。万代地区に活気があるのは時代についていくため変化の手綱を緩めなかった結果ではなかろうか。
さらにもう一つは、その時点で考えられる店舗をすべて集積させた事もあると思う。たしかに万代シティを眺めてみると整備した時期がバラバラな為に新旧の店舗が入り乱れ、特にバスセンターの建屋自体がペデストリアンデッキとなって各店舗群が繋がっているのは迷路の様でなんだか雑然としている感は否めないが、しかし数多くの雑多な店舗群が集積している事は人々に万代シティに行けば根拠は無いけど何か期待が湧くし、それでもって何となく満足したような気分にさせられる事は間違いないだろう。

ただ、万代も万全というわけではなく8月に入り新潟アルタが2019年の3月をもって閉店との意向が伝えられた。古町に有ったラフォーレと共に若者向けの店舗であって、閉店は若者は給料が安いからとその影響を受けたと考えがちだが、むしろ若者たちのZOZOTOWNやメルカリのような新しいカタチのサービスに対する変化適応力の結果とみる方が適切なのかもしれない。
しかし、現在新潟交通は写真にも写っているレインボータワーの撤去を手始めにバスセンターの大規模改修を予定しているが、むしろこれを時代の変化に対応するチャレンジとして今後も取り組んで行くならば、万代の賑わい維持することができるだろうし、それが出来ないというならば、古町と同じ轍を踏むことになるだろう。

ラブラ バスセンター 伊勢丹と連なる
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伊勢丹から直角に曲がってビルボードプレイス1・2と続く
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万代シティは雑多な感じだがそれゆえ何か期待が湧くような気がする
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バスセンターの屋上がペデストリアンデッキとなりラブラ・ALTAを繋ぐ
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さて、万代シティを見て回って個人的な買い物も済ませたので、帰る前に腹ごしらえをしておこう。なんでもイタリアンというご当地グルメ的なものがあるようなのでこれを頂く。食べ始めてからふと思い出して、写真を撮ったので食べかけになってしまって申し訳ないが、スパゲッティというか焼きソバというか焼うどんというべきなのか、別に不味い訳じゃないけど何だか微妙な食べ物だなぁこれw。

新潟のご当地グルメイタリアン なんだか微妙な味わいw
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新潟の旅は、帰りの郡山便に乗って終了である。本来なら他の行先のバスの利用状況なんかを見ておきたかったのだけど、夕方発のは郡山便が一番早いのでそれが出来なかったが、東京・大阪・名古屋の大都市行きを除くと、富山・金沢・郡山・山形・長野・会津・仙台の地方都市行きがあるようだ。ただ、バスの本数が朝晩の2便(高崎・富山・金沢・郡山・山形)、それに日中の2便追加で4便が(長野・会津)で、同じ政令指定都市でも東北各地のからバスが多数発着している仙台なんかとは違いって大分少ない印象だ。確かに新潟駅の人の数などは仙台との比較をするならば、東北各県から人を呼び寄せそれに伴ってその需要も存分に吸い取ってしまっているのだが、同じ政令指定都市としてみるならばややさみしい印象なのは否めないし、新幹線も北陸新幹線の開業は新潟にとって2017年問題として以前から危惧されていて、つまり上越新幹線が支線扱いになり将来的には東京・大宮間の容量の問題から東京直通便が減り高崎や大宮で乗り換えを余儀なくされるのではないかともいわれていて(ただですら車両は東北新幹線のお下がりなのに)、新潟の地位が低下しつつあるような印象をうける。
実はこのあたりが新潟の悩みの種と言ったところで、つまり他所から人を呼び寄せる求心力が弱い事だ。北は山形の庄内地方(酒田・鶴岡)あたりまでは求心力があるようにも思えるがしかし、西は上越まで行ってしまうと、長野市の方がう距離的に近いという事もあってそれ程つながりが無いようにも思える。
妄想を語れば上越新幹線を新潟駅から羽越新幹線として青森まで延伸させるとか(まず無理だろうが)、ロシアとの平和協定を締結して新潟港が対ロシアの貿易拠点になるとか(これも領土問題がこじれているからダメだろうが)、こういった事があれば更なる発展も望めるが、おそらくそんなことにはならないので一発逆転みたいなことも無いのかもしれない。

ただ、腐っても政令指定都市なわけだから、かつてダイエーの創業者である中内功は小売り業にとって「売上は全てを癒す」といったそうだが、それを都市に置き換えるならば「人口は全てを癒す」といったところで、他の地方都市に比べればその頭数は多いのだから、市政の運営においてまだまだやりようはある筈だ。それに4選の現市長も引退表明をしある意味あらたな道を歩みだす時期ということなのだろう。
今後大和跡の再開発ビルが完成するし、新潟駅を貫通する道路も開通する。閉店される三越のその後の動向なども個人的に気になるものでもあるので数年後にまた訪れてその状況を伺ってみたい所だ。とりあえず今回はこんなところで筆をおくことにしよう。

郡山新潟線へ帰路につく
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(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2017年11月)群馬県高崎市

番外シリーズ「隣県の県庁所在地を訪れる」の第三弾。2017年の文化の日の連休は群馬県の高崎市である。ちょっと待て…群馬県の県庁所在地は前橋だろうが!とのツッコミはもっともであるが、その県での一番都市と言う視点で見れば群馬県の場合はやはり高崎市だと思うのである。例えば人口や市内総生産も高崎が上で有るし、新幹線が止まる交通の要衝でもある。さらに北陸新幹線開業をもってして、それは今後とも揺るぎないものになったと言えるだろう。特に北陸新幹線の開業は高崎にプラスの影響を与えたようで、現在高崎駅周辺では再開発事業も盛んに行われている。
県としては県庁所在地が地域の一番都市であって欲しい所だろうが、現代の世の中は競争社会であってそれは都市にとっても例外ではなく、特に都市にとっては利便性というのは大きな要素であるのがこういった事からも分かるというものだ。

いつもで有れば隣県の県庁所在地を訪れる際は、鉄道や高速バスなどの公共交通機関を利用していたが、それはどれだけの人の利用(行き来)があるかとか、年齢層はいくつ位かなどそういったあたりを大まかに見る為だったのだが、今回は残念ながら公共交通機関での移動は少々厳しいものが有るので、クルマで行くことにした。新幹線の大宮乗り継ぎでは値段が高いし、東北本線を小山で乗り換え両毛線というのは時間がかかり過ぎる。昔は北関東ライナーという高崎-宇都宮-水戸を繋ぐ高速バスがあったが、高崎-宇都宮間は思った程の需要が無かったのか運航休止となったままだ(宇都宮-水戸間は運行中)。
その高崎までの経路であるが東北道を南下し佐野から北関東道へ入り所要時間は大体2時間半位だろうか。昔は群馬・栃木の県境部分で北関東道が通じておらず、群馬側の国道50号が2車線で渋滞が酷く時間がかかったものだが今はそれも解消され快適である。直接高崎へ向かっても良かったのだが、それでは前橋にあんまりなので前橋駅に程近いけやきウォークに寄り道をしてみた。

前橋中心市街地にあるけやきウォーク 関東中部地方ではユニーがイオンに対抗すべくウォークやアピタを展開する
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このけやきウォークはユニーグループがイオン対抗として関東中部圏でアピタと共に展開しているものだ。(ココの他にはアクアウォーク大垣にも行った事が有る)ユニー系列の中ではこのウォークと名の付く世代の店舗からは、モール型のSCとしてはまぁまぁ及第点位の出来になって来ていて、確かに巨大なイオンモールあたりと比べればその規模では負けているものの、広過ぎないのでその分手頃で使い勝手よく、こういった店舗が近くにあれば便利な事には違いないものだ。少なくても郡山にある二つのイオン(イオン郡山フェスタ店、イオンタウン)なんかより全然マシである。つくづく残念なのは郡山の二つのイオンは出来た時期が少々早過ぎた事だろうか。

高崎市郊外にあるイオンモール高崎 けやきウォーク前橋とはクルマで30分程の距離
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軽くけやきウォークを見て回った次は、イオンモール高崎である。けやきウォークとはクルマで30分位の距離で、需要の食い合いが気になるところだが、高崎と前橋の人口を合わせれば70万人となるからそれなりにやっていけるといった所だろうか。店舗そのものは特に言うまでもなくいつも通りの金太郎飴であり、それはまごう事なきイオンモールなのである。
ただ今回訪れた際は、空いている訳ではないものの混み具合がそれ程でも無かったのだが、それは高崎OPAが開業して間もない時期だったのでそちらに人が流れていたのかもしれない。

さて、次は高崎駅前にあるその高崎OPAである。以前水戸の記事にも書いたが、イオンはOPAを足掛かりに中心市街地に進出を始めていて、ダイエーから継承した店舗を除くと、まず水戸駅南口に2017年3月18日、高崎OPAは2017年10月18日、そしてフォーラスから転換した秋田OPAが2017年10月28日と今年は3店舗を開業させている。今迄郊外の店舗を展開してきたイオンだが、OPAをもってして中心市街地に出店すると言う事は、今後の人口減少局面における中心市街地回帰やネット通販の脅威に対する施策としていわゆるイオンの本流GMS業態ではなく、ファッションビルという業態がこのような実験的な施策を実施していくのに対して都合が良かったのだろう。
初日は日も暮れて夜になってしまったので詳しい内容は明日に譲るとするが、開業して間もない事と夜21:00までの営業(飲食店は23:00)とあって結構な人出と賑わいであった。

翌日の朝は高崎駅東口から見て回る。この東口は2010年に整備されたとの事で確かにまだ新しい感じを受ける。地上部は乗降場として割り切っていてあくまで歩行者はペデストリアンデッキを利用する事を前提とした作りで、利便性を鑑みれば確かにこの方が合理的ではあるが、駅前広場が無いというのも若干物足りない感じもしないでもない。このペデストリアンデッキはぐるっと一周は出来ないけど対面まで伸びているので、回遊性はまずまずといった所だ。

高崎駅東口 2010年に整備とあるのでまだ新しい印象
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ペデストリアンデッキ直結でヨドバシやビックではなくヤマダが有るのはお膝元ゆえご当地らしいが、実はビックも高崎が発祥で少し離れた所に存在する。そのペデストリアンデッキからの街並みは、ビルが立ち並び中々立派に見えるが、ものの数分も歩けば低層の建物も多くなりごくごく普通の地方の街並みである。ただ駅と並行及び駅から正面に延びる道路が道幅を確保し整備されているのは狭い道路の郡山の現状からするとうらやましいと感じる。

高崎駅東口の地上部は乗降場に割り切って駅前広場としての役割はペデストリアンデッキが受け持つ ペデストリアンデッキ直結でヤマダが有るのはお膝元ゆえご当地ならでは
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高崎駅東口から正面を望む
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駅と並行する道路 幅の広さは立派なものだ
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ただこのペデストリアンデッキ一周は出来ないが回遊性はまずます
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冒頭で再開発が進む高崎と書いたが完成したものもあれば、これから整備が進むものもある。完成したものと言えば今回は訪れなかったが高崎駅の南にある高崎アリーナに、高崎駅西口の高崎OPAである。そしていま進められているのが、高崎駅東口周辺再開発の目玉事業として行われている高崎パブリックセンターと称するものだ。
これは高崎駅東口にあるビックカメラ周辺と、廃止された高崎競馬場の敷地を利用して高崎文化芸術センター仮称(コンサートホール的な物)と群馬県コンベンションセンターに加えビジネスゾーンとして、商業及びオフィスエリアを合わせの整備するといったものだ。
当初は今のビックカメラ周辺に高崎市が高崎文化芸術センターを整備する事を計画していたが、隣接する高崎競馬場跡地に群馬県がにコンベンション施設を整備するとしたことで大々的な中心市街地の再開発となった。
郡山市民からすれば少々イメージが掴みにくいだろうから分かりやすく例えるなら、郡山駅東口の保土谷化学の敷地に市民文化センターとビックパレットを作り、さらにATiの商業施設を併設するものだと言えば、相当のインパクトがあるものだと理解してもらえるだろうか。2019年とされる竣工に向け、高崎にとって大いに期待のかかる再開発事業となることだろう。

高崎文化芸術センターと群馬県コンベンション施設が整備中 道路が工事中なのはそこまでペデストリアンデッキを延長するから
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さて次は高崎駅の西口である。こちらもペデストリアンデッキが整備されていて地上部の乗降場と役割分担をした割り切った作りだ。高崎駅ビルと合わせて何となく年季を感じるが、これは整備された時期が早かったということだろう。余談を言うと駅の両側の整備具合が(片方がやや古くもう片方が新しい)、栃木県宇都宮市や茨城県水戸市と合わせて北関東3県の県庁所在地として何となく同じような雰囲気を感じるのが面白く、良くも悪くもライバル同士といったところだろうか。
ただ、ちょっと気になるのは高崎はあまりバスが走っていないように感じた事だ。きちんと確認した訳ではないが都市の規模からするといくら自動車社会といわれる土地柄とはいえ、宇都宮や水戸などは結構バスが走っていたのにだいぶ少ない印象なのだが、将来コンパクトシティの様なものを目指すとするならば懸案となる事だろう(もしかすると実は違うところにバスターミナルがあったりするのだろうか)。
その西口の中で一際目に付くのは、真っ正面にそびえ朝日を浴びて輝き圧倒的な存在感を示すOPAであるが、まだ開店時間前なので、一旦高崎の中心市街地を見て回ってみよう。

高崎駅西口 朝の日差しを受けて白く輝くOPAが眩しい
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西口も同じく地上部は乗降場に割り切り歩行者はペデストリアンデッキの利用が前提
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高崎駅から大通りをそのまま10分程歩けば、高崎市役所へ到着である。ここは元々高崎城があった場所でその名残としてお堀や櫓なども一部残っているが、本丸・天守の類はなく市役所をはじめとして学校や図書館その他諸々の公的な施設が立地し、お城の敷地を公的な施設に転用した典型的な例と言える。お城があった都市というのは何かとお城を復元したがったりするものだが、(このブログで取り上げた山形市の霞城は大手門を復元した次には天守復元もしたいとの事、しかし山形は江戸時代は譜代大名の左遷場所だったと言うのに…)案外高崎はお城に未練はない様で、群馬県でお城の建物が現存しているものは写真に収めてきた乾櫓のみとなっており、しかもこれとて民間に払い下げられ納屋として使われていたものがたまたま残っていたのでとりあえず文化財にした程度である。もっとも高崎の場合既にいろんな公共施設が建っちゃっているので今更戻しようもないということもあるのだろう。

高崎市役所は高崎駅から徒歩10分程度の距離
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高崎市役所は旧高崎城の敷地に建つ
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高崎城のお堀が残る
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乾櫓は払い下げられ納屋として使われてたそう
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この高崎城跡にある公共施設群の中でちょっと気になるのはもてなし広場というイベント広場。ココにもある通り元の市役所が建っていた場所で市役所が現在地に移転し建て替えた際にイベント広場としたものだが、いくら何でも殺風景過ぎると思う。確かに何もなくだだっ広いからイベントをやるには都合もいいし使用料も安いが、中心市街地の広場としてもう少しやりようがあったのではないという気がするものだ。暖かくもてなしたいとの事だが、夏場はアスファルト舗装されて日陰もないから暖かいどころか灼熱地獄と化すだろうし(高崎の夏はクソ暑いゾ)逆に冬は風除けもないから寒風が吹きすさぶのは(冬はこれまた風が強い)想像に難くないものだ。とはいえ、同じく北関東の宇都宮にある宇都宮城跡も半分だけお堀と城壁を復元し残りは変な広場にしていて、なんだか張りぼてみたいになっているから城跡の活用と言うのは、会津若松の鶴ヶ城の様に歴史の表舞台となったなところでもない限り案外難しいモノなのかもしれない。

もてなし広場は確かに広い
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広いがゆえにイベントには都合がいいだろうがやや殺風景か
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次はもてなし広場の目の前にある地元資本の百貨店スズランと行きたい所だが、まだ開店の10時には時間が有るのでその裏手にある高崎銀座というアーケード商店街を少し覗いてみることに。高崎の繁華街はどんなもんよとばかりに向かっていったのだが、しかしそこに有ったものは郡山のアーケード商店街に勝るとも劣らぬ小汚い商店街だったw。やっているのかいないのか分からない店や、基本的に入りたくない雰囲気を醸し出している店、店主も高齢化していて店舗への投資などするべくもない古びた店が立ち並んでいた。さらには廃墟と化した潰れた映画館も有って商店街としては命運が尽きている様相なのである。綺麗なのは飲み屋関連の店ばかりで、これが夜になれば客引きが闊歩するという絵が浮かぶのもので、地方の商店街など程度の差はあれどこもこんなものかとある意味安堵ともとれる印象を受けたものと正直に白状しておこう。

高崎銀座と名の付くアーケード商店街は、郡山のアーケード商店街に勝るとも劣らぬ小汚さだったw
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そんな、高崎銀座を歩いていくとなにやら一部だけアーケードが架け替えられている部分がある。これは2014年の大雪でアーケードが崩落し再建したからそうで、その再建が完了した際には昭和風情を活かした商店街を整備する構想なのだそうである。しかし僕はその構想を知って開いた口が塞がらないというか愕然としてしまったものだ。
それはせっかく新たに再建したものをわざわざ昭和の雰囲気に戻すセンスに救いようがないものを感じたからだ。確かに昭和の時期において中心市街地が賑わい見せていたのは事実であるし、それを知っている世代が夢よもう一度と思う事は理解できない事も無い。しかし、昭和どころか平成すら終わりを告げようとしている今、昭和の雰囲気にどれだけの価値があるのか考えてみるといい。つまりその昭和の雰囲気が本当に魅力が有ったかと言う検証が抜けているのだ。全てがそうだとは言わないが魅力が有ったというより単に郊外に店が無かったから中心市街地が賑わっていたのも大きい要因だろう。

僕は個人が経営する店は飲食店を除いてはもう無理だと思っていて、例えばこの高崎銀座に限らないが個人の店主がマーチャンダイジングと称して人的、金銭的なリソースを投入し施策を打ち出してくる大手に対し、どれだけの対抗策を打ち出せるのかというとこだ。その大手たるイオンやイトーヨーカドーとてGMS店舗の立て直しに苦労しているのに、問屋から仕入れてただ店に並べているだけのような個人の店では到底かなわないのも理解してもらえるだろうし、そもそもこの店は俺の代で終わりだとばかりに惰性で続けている事もあるのだろう。こういった商店街の衰退問題は誰かの責任というより構造的な要因な訳も含んでいるのでまたいずれ何かの時に考えてみたいと思うものだ。

一部アーケードを新しくしたのは2014年の大雪でアーケードが倒壊ししたから そしてそれを昭和で売り出すという…
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さて高崎銀座を見て10時を回ったところで、地元資本の百貨店スズランである。開店直後というのもあったのだろうし、僕が訪れた時がたまたまだったのかもしれないが、なんだか客が少なくちょっと大丈夫かな?といった印象で、それに店員も若い人がおらず年配者ばかりと来ている。古びた店舗のせいもあってかなんだが若々しさあるいは新鮮味なんかこれっぽっちも感じられなかったし、スズランは元々大衆路線ということで高級感がある訳でもなく、気張らないのが良いところなのかもしれないがしかしそれでは今後の将来を見通すには心許ないのではないかとの印象を受けた。先程、昭和の雰囲気に愕然としたと書いたが、昭和とはつまりこういう事なのである。

僕は今迄で、あちこちの百貨店を色々見てきたが、ここ数年の例を出すと山形市の十字屋は閉店となり、同じく大沼は経営再建中である。福島市の中合は二館構成から二番館を閉じて縮小し、丸光を由来とする仙台のさくら野は倒産してしまっていてる。これらに共通なのは古色蒼然たる店舗に対し建て替えなどの大規模ななリニューアルを達成出来なかった店舗である。それに対し我が郡山のうすいやバブル期に撃って出た宇都宮の福田屋は新店舗へ移行していて確かにその新店舗が過大投資の原因となり経営が傾いた時期も有ったが、支援を取り付け何とか息を吹き返しているのだ。こういった事からもいい加減旧態依然たる昭和の亡霊を断ち切る事が必要なのは明らかなのではないか。
ただ、スズラン自体は店舗のリニューアルを達成すべく色々と画策はしたようだが、力及ばす土地の権利関係などを解決できず断念し、小規模な別館を建てるにとどまった経緯が有るようで、そのことについては大変残念なことに感じた次第だ。

地元資本の百貨店スズランは大衆路線だが将来を見通せるか
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さて、スズランをみた後は高崎駅に戻ってきて駅ビルの商業施設モントレーを見てみる。駅ビルという制約から店舗とその動線が細長い配置になっているのは致し方ないところが、ただ何というか経営母体によってその運営する店舗に雰囲気と言うか同じ匂いが感じるというのが面白くモントレーの経営はアトレでだから、まぁそうことになってしまうのだろう。これば別にこのモントレーに限らず、イオンモールには独特の田舎臭さがあり、丸井には古典的なファッションビルの粘着臭があり、三越や高島屋にもデーパート独特の匂いがあると言った具合だ。
モントレー自体は駅ビルの商業施設といったところだが、ただ食品売り場はどうだろう通路が狭くて動きにくいのも駅ビルの商業施設その物なので、OPAの食品売り場にだいぶ食われたんじゃなかろうか?(OPAの方は遅くまでやっているし)まぁ年寄なんかは狭い方がある意味安心するのかもしれないが…

モントレーはいかにも駅ビルの商業施設
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次はようやくOPAであるが、そもそもなんでここにOPAが建ったのかと言えば、元々ここはニチイが営業していたものだがそのニチイが経営破綻となるりイオンに買収されるが、その後老朽化した店舗を建て替えとなった際、当初イオンモールで開業を予定していたものの結局はOPAとなって開業としたものだ。昨日の夜も覗いてみたが、開業間もないだけあってとにかくたくさんの人出だった。
先述した通り今後将来へ向けての施策を展開するにあたりイオンはファッションビル業態を選択したようだが、僕が見て来た限りでは何といえばいいのか以前訪れた水戸OPAにもいえるのだが、このOPAはファッションビルと言う事になってはいるが実は何だかよくわからない店という感じなのである。よく言われるのはGMSは何でも売っているが欲しいモノが無いのに対し、このOPAは何を売っているのかよく分からないが欲しいモノがないという印象で、先の表現でいえば何というかOPAの匂いというものがまだしみついていないというかそんな印象だった。ただこれは僕の感性が鈍く新しい時代の店舗についていけてない事は否定出来ないと言っておかなければならないだろう。
ただその規模の大きさからも判る通り高崎OPAは相当に力が入っているのは事実であるし、これからあれこれ将来へ向けて施策を模索しながら進めていくとなれば、常に新しい何かが提供されていくことになるだろうから(それが消費者に受け入れられるかは別として)そういった意味では価値のある店舗になるのかもしれない。

OPAはイマイチ何が売っているか分からない店だ
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最後に高島屋を取り上げておこう。このOPAが出来てタナぼた的に得をしたのは実は高島屋のだったのではないかと思う。なぜならペデストリアンデッキも整備されて店舗と直結になったし、OPAに来た客のおこぼれも結構期待できそうだ。実際同じ百貨店としてスズランとは異なりだいぶ客の入りも多かった。ハイランドグループを形成したり、イオンと敵対するのではなくイオンモール岡山の食品売り場に出店するなど、高島屋は結構したたかな会社でもあるのだろう。ただそれは別に悪い事でもないし、形はどうであれ相乗効果があるのならばそれもアリではなかろうか。

タナぼた的な感じの有る高島屋
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今地方都市では勢いがある高崎の中心市街地だが、そこを歩いて見れば駅前と商店街とでその明暗を分けたものが見えてくる。それは新陳代謝と集積で、それに伴う利便性と相乗効果であるといえるだろう。これから地方都市における中心市街地の活性化に取り組むとするならば、このあたりをテーマとして取り組んで行くことにその解を見つけることが出来るのではないだろうか。

最後にOPA開業による影響などを新聞報道を引用して締めることとしよう。

《ニュース最前線》オーパ開業半年 熱帯びる高崎駅西口商戦(2018年4月15日 上毛新聞)

約37万5000人の人口を抱える群馬県内最大都市・高崎。その中心部、JR高崎駅西口で大規模な再開発が進んでいる。シンボルは昨年10月に誕生した大型商業施設「高崎オーパ」だ。開業から半年がたち、県内外からの買い物客でにぎわう。近くの高崎高島屋や高崎モントレーも改装。駅前から伸びるペデストリアンデッキも開通した。各商業施設は時に連携し、時に役割分担し、相乗効果で商圏拡大を狙う。

◎相乗効果で活況 ライバル店連携 商店街にも波及
 東口も施設整備やタワーマンション建設が進む。全国の地方都市で人や施設の郊外流出が相次ぐ中、これらを駅前に集め、街の機能や価値を高める取り組みに期待が寄せられている。
 3月に発表された公示地価で、最も高かった商業地は西口の高崎市八島町だった。
 新たな商業施設の誕生で高崎駅前はどう変わっていくのか。周辺を歩き、さらなる飛躍に挑む商都の未来を追った。

■新ランドマーク
 あいにくの雨の中、3000人もの人が開店待ちの列をつくった。昨年10月13日。JR高崎駅西口に大型商業施設「高崎オーパ」が開業した。中には、前日の午後10時から並んだ客もいて、新たなランドマークへの期待がうかがえた。
 集客目標は年間800万人。イオンモール(千葉市)が2016年3月に子会社化したOPA(同市)が運営する。群馬初出店のテナントも多くそろえ、客層も年齢にこだわらず、幅広い世代の誘客を図っている。
 相乗効果を狙い、隣の高崎高島屋は店内を大規模改装。化粧品や婦人雑貨を強化した。駅構内の高崎モントレーも駅利用者を照準にした売り場づくりを実施した。3月には、駅とオーパや高島屋をつなぐペデストリアンデッキが延伸し、さらに回遊性が向上した。開業から半年。高崎駅西口は、にぎわい創出のシンボルになりつつある。

■入店3割増
 オーパ開業から1カ月がたった昨年11月。オーパ、高島屋、モントレーの3店は、全店舗で買い物した人が参加できる共同抽選会の実施を発表した。本来ならば集客を競い合うライバル店。合同企画を行うのは珍しい。だが、オーパの山岡浩館長は「店舗間でなく、今は地域間の戦い」と強調する。ニーズの隙間を埋め合い、駅前というエリア全体で買い物客の満足度を高めるために手を組んだ。
 高島屋は化粧品を中心に売り上げが伸び、入店客は3割増加した。より一層の集客に向け、品ぞろえの見直しを継続的に行っていく。モントレーもレストランフロアの改装や、エスカレーターの設置などで買い物客の利便性を向上させた。
 こうした各店舗の戦略は、国土交通省が3月に発表した県内の公示地価にも現れた。高崎駅西口前の八島町の商業地が県内最高額となり、前年比の上昇率は唯一、2桁の伸びだった。オーパ開業を契機に、にぎわいへの期待が地価に反映。高崎駅前の価値がさらに高まっていく可能性を感じさせる。

■「起爆の年」
 拡張整備が進むペデストリアンデッキは、オーパや高島屋といった商業施設と高崎駅を直接つなぎ、駅利用者らの利便性は格段に高まる。一方で、駅前の飲食店関係者の中には「上だけで買い物が完結してしまい、商店街まで足が伸びない」といった、冷ややかな声もある。
 駅周辺を訪れた人を少しでも呼び込もうと、地元の東二条通り商店街チームハナハナストリートは今月、加盟店舗をまとめたホームページ(HP)を開設した。飲食やアパレル、サービスなどに分けそれぞれの店の情報を発信している。
 ハナハナストリートの岡田恵子会長(59)は「昨年秋以降、歩く人が増えた」と実感する。オーパや高島屋は県外からの買い物客も多い。HPで個人商店の魅力を知ってもらい、商店街に足を運ぶきっかけにしてもらいたい考えだ。
 「10年後の高崎を見たときに、(開業した)2017年は『あれから変わった』という起爆の年になる」。山岡館長は力を込める。高崎を変える、変えなければいけないというそれぞれの思いが、結実に向けて動きだしている。

◎高崎芸術劇場やマンション建設 東口も再開発進む
 東も負けていない―。JR高崎駅周辺は西口だけでなく、東口でもマンション建設や施設整備をはじめとした再開発が進んでいる。
 高崎市は2019年度中の完成を目指し、音楽ホールなどを備えた「高崎芸術劇場」を整備している。西隣には、市と民間による再開発ビルも建設される予定。
 徒歩圏内にある高崎競馬場跡地には、県がコンベンション施設「Gメッセ群馬」を整備中。完成は19年度末となる。駐車場不足が懸念されることから、市は近くに拠点を持つ太陽誘電(東京都)と協力し、東口に新たに計2800台分の駐車場を確保する。
 タワーマンションの建設も進む。県内では県庁、高崎市役所に次ぐ高さとなり、ランドマークとしての役割も担う。
 芸術劇場やマンションには、延伸整備されるペデストリアンデッキが接続。西口の商業施設とも行き来できるようになり、駅を中心にしたまちづくりに期待が高まっている。

《記者の視点》さらなる成長 期待
 高崎駅が近づくと、昨年開館した高崎アリーナが見えてくる。東にはヤマダ電機のLABI1高崎、そして西には昨秋に開業した高崎オーパ。電車からのぞく地元の街は大きく変わった。
 中学、高校時代から高崎駅前でよく過ごした。大学進学で東京に出た2000年代初頭までは景色はあまり変わらなかったが、今は都会に降り立ったような感覚にもなる。
 駅前ではマンションの建設や施設整備が進む。高崎が活気を失わず、さらなる成長にも期待が持てるのは、民間や行政が絶えず努力を続けてきたからに他ならない。郊外型の商業施設が増え、郊外に住む人も増えた。それでも、駅前の活気は街の活性化と密接につながっていると感じる。
 高崎で生まれ育ち、高崎に住む者として地元が元気なのはうれしい。10年後、20年後にどんな街になっているのか。未来に思いをはせている。(報道部 堀口純)

(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2015年5月) 茨城県水戸市

以前(2014年の秋)に思いつきで山形市を訪れそれを記事にしたけど、そこにはなかなか厳しい現状があった。しかし山形市の現状は少し極端の様にも思えるし、他の都市は一体どのような状況なんだろうと興味も湧いたので今度は福島県の隣県の県庁所在地を訪れてその様子を伺ってみようと思う。

そこで第1弾となるのは茨城県の水戸市である。なんで手始めが水戸なのかと言えば、ゴールデンウイーク中に混んでないだろうと勝手に想像していたというそれだけの理由(偕楽園の梅が咲く時期以外は混雑する要素が思いつかない)。ここ数年インバウンドつまり外国人旅行者が増えたと言う事なのだが、確かにその実感は僕にもあってちょっと前なら地方都市のビジネスホテルなどは春の連休やお盆などでもじゃらんや楽天で苦も無く予約が取れたものだが、最近は直前予約は難しくなってきている。そんな折宿の予約も出来たしとりあえず水戸にでも行ってみる事にしたのである。
今回はクルマを使わず公共交通機関を利用してみる。郡山と水戸と言えば水郡線があるが、それは復路に使うとして往路は高速バスでいわきを経由しいわきからは常磐線で水戸へ向かう。

まずは、いわき行きの高速バス「いわき・郡山・会津若松」線である。いわゆる磐越ラインを結ぶこの「いわき・郡山・会津若松」線であるが、郡山駅のバスターミナルを見ていると写真の通り乗車客が並んでいるという光景が普通にみられ、いわき・会津若松方面ともに利用する人が結構多い路線でもある。同じ県内では「郡山・福島線」、「いわき・福島線」、「会津若松・福島線」という高速バス路線もあるが、これらとは利用者のケタが違う需要があり重要な路線だと言えるだろう。このことから「いわき・郡山・会津若松」を結ぶ磐越ラインには県土の発展軸としてのカギがあると思えるのだが、これはまた何か別の機会に考えてみたい。

いわき-郡山-会津若松線 会津バスのいわき行が間もなく発車
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但しどうでもいい欠点をいえば、県内という比較的短い距離を運行する為か共同運行する新常磐交通、福島交通、会津バスの各社共々ポンコツ車両がやってくることで、特に福島交通の運行担当分がひどかったりするのだ。(23年以上は経っている初代エアロバスはさすがに古過ぎで排ガスが酷すぎるよ)

いわき-郡山-会津若松線 こちらは新常磐交通の会津若松行 利用客は結構多い
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郡山駅ではちょっとコーヒーでも飲んで休憩としたかったので写真の便ではなく1本後の便で出発することにする。(これも朝夕に限り1時間に2本の設定があるからこそ可能だといえる)
今回この路線に初めて乗ってみたが、郡山市内は県道57号と73号を通り郡山東インターで磐越道に入る。もし内環状線の東側部分が整備されれば混雑する旧食品団地を通らずに済むから10分程度の時短が見込めるように思えるし、さらに磐越道に乗ってからは一旦小野インターで高速を出て乗降扱いをするので(本線上にバスストップがない為)、乗降客が居なくても5分のロスがある。もしこれらが解消されれば、名目上の所要時間は15分短縮され1時間35分と言う事になるから感覚的にはだいぶ早くなったように感じるのではないだろうか。さらに高速道路の通行料は長距離逓減制であるため通しで乗った方が安くなるから、本線上にバスストップが存在すればそれは僅かながらも運賃にだって反映されることにもなるし、二本松バスストップの様に水戸~仙台間の別路線が利用できる可能性だって出てくるのである。

いわき駅に到着 ペデストリアンデッキの1階部分はバスターミナル
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今回あえて、いわき行きの高速バスを利用したのは(磐越東線は使い物にならない)新しくなったいわき駅を見てみたかったからというのもある。アルパインの看板と駅ビルの商業施設ヤンヤンがあった昔のいわき駅は知っているのだが、2007年にいわき駅が新しくなりそして商業フロアを含む複合ビルのラトブを今まで訪れた事がなかったからだ。

いわき駅はコンパクトにまとめられた
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新しくなったいわき駅は、ペデストリアンデッキおよび南北自由通路と一体化しさらに橋上駅としたものだ。商業施設はラトブに任せたと言う事なのだろう、駅ビルにはコンビニ等がある位でコンパクトにまとめられている。またペデストリアンデッキを設けたと言う事で地上部分をバスターミナルとし駅前の敷地を有効に利用していることも受け取れる。改札をでるとすぐ南北自由通路となるのは関東圏にある駅の様な雰囲気だ。こういった空気がつうつうの通路というのは、郡山あたりだと冬場は寒くてしょうがないのだが、いわきなら冬でも穏やかな晴れの日が多いから問題ないといったところか。

改札を出れば自由通路というのは関東にある駅のような雰囲気
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いわき駅前の集客を託されるラトブ
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次はいわき駅前のラトブである。前述したヤンヤン後継の商業施設として、あるいは図書館をはじめとする公共施設として、また上層階はオフィスとしての機能を備えた複合ビルである。いわきと言えば地元百貨店の大黒屋も無くなってしまったし、このラトブがいわき駅前の集客を託され、そして担わなければならない存在なのだろうが果たしてそれはどうだろう。ざっと中を見た感じでは閑古鳥が鳴いている程でもないが、混んでいるという程でもない。いわゆる可もなく不可もなくといった具合なのだが、しかしそれではいわき市全体からの広域集客というのは厳しいだろう。どちらかと言えばいわき市平地区の最寄り店といった所だ。そういう意味ではラトブもまた駅利用者の為にある関東圏の都市型店舗のような雰囲気ではあるのだが、ただ悲しいのは関東圏の駅とは違い駅利用者の絶対数が少ないことだ。

水戸支社管轄だけあって普通列車も関東仕様
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いわき駅とラトブを眺めたところでそろそろ水戸へ向かうこととする。改札を通りホームへ降りると管轄がJR水戸支社だけのことはあって普通列車も関東仕様の奴が止まっている。余談だがJR仙台支社管轄となる郡山は写真の陰にいるようなポンコツ車両ばかりであるが、鉄道利用者数からいうと仕方がないところか。いわきからだと水戸までは普通でも乗り換えなしで行けるとの事だが、はたしていわきと水戸の間にどのくらいの需要があるのか気になるところだ。
なぜならばいわき・水戸間が普通列車で約1時間30分1,660円に対し、いわき・郡山高速バスで1時間50分1,600円であり時間的にも値段的にも重なっているが、こうなった場合県内県外というものは関係なく魅力のある都市の方に需要が向かう事になる。福島県からの需要の流出を防ぐという観点から考えるとするならば、おのずと磐越ラインの重要性が理解できるだろう。

特急ひたち号はいわきが始点・終点
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今回は奮発してあえて特急ひたち号に乗ってみた(特急の速達効果は30分程でその差額は1000円)。一応連休中の期間であるから座席指定券を購入した方がよかろうと、そうしたのだが実際は乗ってみたらガラガラだった(水戸以南は混雑するとのこと)。席に座ればなにやら頭上に赤・黄・青のランプがついてて、緑ならば座席指定券を購入しなくても座っていいとの事。但し座席指定の有無で料金が変わらないという、今一つよくわからない制度で運行されている。

さて、常磐線には並行する新幹線がない事からまだまだ長距離輸送の役目を果たすため特急が存在している。従来は仙台から通しで上野まで運行されていた特急ひたち号であるが、ご存知の通り震災と原発事故でいわき止まりを余儀なくされている。しかしJRはそもそも2012年の春から上野~いわき間と、いわき~仙台間とに分割した上で直通廃止のプレスリリースを震災前に出しているから、いわき~仙台間の需要が少なかったことがわかる(東京から仙台にいくなら通常新幹線に乗るだろう)。このことはこれからの人口減少の局面にあたり、JRのような大企業でも生産性の向上は至上命題であるということだ。はたして数年後に常磐線が復旧する予定だが、沿線住民が減少しているさなか(原発事故で非難した住民が帰還するかは未知数だ)仙台・いわき間の特急というのは持続可能なのかという懸念がわく。

イオンモール水戸内原
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いわきからは1時間ちょっとで水戸へ到着。まずは郊外店の様子を見てみようと、イオンモール水戸内原店へ向かうため普通列車に乗って内原駅へ。イオンと言えば郊外店の代表とでもいえる存在だが、意外と駅チカのイオンというのも多い。イオンモール名取店や越谷レイクタウンなどは駅直結だし、このイオン水戸内原店も直結とまではいかないが内原駅から徒歩10分で多くの若者がイオンへ向かって歩いて行く。
店舗の方は建屋の真ん中が吹き抜けとなりその両脇が通路、そして両端にテナントが並ぶ言わずもがなのフォーマットをもったイオンモールである。僕は何店舗かのイオンモールを見てきているのでもはや金太郎飴のようにしか見えないが、しかし地元のイオンモールしか利用しないと考えるなら多少のテナントの違いこそあれ日本全国で統一されているこのフォーマットは最先端という訳ではないが、安心感がある事は間違いない。事実写真の通り駐車場も一杯で店内も混雑している。その功罪は別として日本の各地でこのような状況を引き起こしているイオンの経営努力というのは相当なもので有ることは認めざるを得ないし、僕は別にイオンの回し者でも何でもないがイオンを批判する人達は自らはどれほどの経営努力をしているかを認識し無ければならないだろう。

さて今日はここまでとして水戸駅前の宿へ戻る。明日は水戸の中心市街地を見て回ろう。

水戸サウスタワーヤマダ(当時)と水戸エクセルビック
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水戸駅南口線が伸びる
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翌日の朝であるがまずは水戸駅南口から。比較的新しい感じのする駅前広場を兼ね備えたペデストリアンデッキとそれらを取り囲むビル群そして駅からまっすぐ伸びる道路など中々小ぎれいな雰囲気を持つ南口であるが、これは国鉄の操作場跡を再開発したものであるようだ。
地方都市で線路を跨いだ駅の両側をこれだけ開発できるのは中々立派であると思うがしかし、それがうまくいっているとは限らないのである。
現にヤマダ電機が2015年5月での大量閉店の発表を行い、このサウスタワーのヤマダも対象であったため閉店してしまったが、しかしそのあとの後継テナントはまだ決まっていないようなのである(サウスタワーホームページも更新されないままだ)。
ヤマダはサウスタワーの7フロアを年間5億円で借りていたとされていて、17億円の違約金を払ってでも撤退した事実はここでは商売にならないと言う事を広く知らしめてしまった。現時点で後継テナントが決まっていない状況はそれを物語ってもいるし、なまじ建屋も新しいから20年が経過したMYM(マイム:丸井水戸店が入るビル)の様に賃料棒引きなどということは出来ない事情もあるのだろう。約3年半分の賃料に相当する違約金を受けたとはいえ果たしてその3年半以内に後継テナントを見繕う事は出来るのだろうか?

重要文化財の弘道館 いかにも日本的で趣もあるが昔のお屋敷の域を出ていない
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さて今度は水戸駅北口から水戸の街ナカを散策してみようと水戸藩校の弘道館へやってきた。水戸と言えば徳川御三家である水戸徳川家ゆかりの地でありそれゆえ歴史のある街であることに違いないのだろうが、だからといってそれを活かしているのかといわれればそれはやっぱり別問題だ。この弘道館は国の重要文化財ではあるが、あちこちのお城や神社仏閣などを見て回った僕からすれば、昔のお屋敷だというだけで(重文だから変なことは出来ないという事情があるのかもしれないが)その展示内容と言えば通り一遍ごくごくありふれた感じのものとしか受け取れなかった。

三の丸庁舎は現在でも県庁の分庁舎として使用
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弘道館の隣には先代の茨城県庁舎である三の丸庁舎がある。昭和5年に出来たというこのいかにもレトロな庁舎を1999年に新庁舎が出来るまで使っていたというのは驚きであるが、現在も分庁舎として使用しているようである。日本は歴史的なものというと近世(江戸時代以前の物)を特に有難がる傾向があるように思う。それはいかにも日本的だし江戸時代の藩が現代の街の基礎となっていることが多いから仕方ないのかもしれないが、近代のこういったモノを活用すると案外面白いものが出来るように感じるのだがいかがだろうか?

水戸芸術館のアートタワーは近くだと案外目立たない
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宙吊りの岩と「。。。。○△た」 もはや意味不明だがしかしアートとなればロジックは不要か
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お次は水戸芸術館へ。以前偕楽園に来た時に、那珂川に架かる斜張橋から変なタワーが見えていたのを覚えているがその正体はコレであった。遠くからだと結構目立つアートタワーだが、三の丸庁舎から街ナカを歩いてくると建物に隠れて意外と目立たない存在だ。さらには宙吊りになっている岩などもう訳が分からないが、アートとなればロジックは不要という解釈をするしかありませんねぇ。
水戸芸術館自体は音楽ホール、舞台、美術館の複合施設との事だが、この日は敷地内ではフリーマーケットが行われていたので普段は繁華街にある広場的な要素も兼ね備え親しまれているのかもしれない。

京成百貨店 コーナー部分のガラス張りの吹き抜けがアクセント
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水戸芸術館から南へ歩いていくと京成百貨店が国道50号の一画を丸ごと占有する形で突如として現れる。この場違いな位に巨大な店舗はコーナー部分のガラス張りの吹き抜けがアクセントとして目を引き、そしてまだ新しい印象をうけるがそれもそのはず2006年に新築移転との事。
京成と言えば鉄道会社であり、あのオリエンタルランド(ディズニーランド)の親会社でもあるが、かつては1都2県(千葉と茨城)で百貨店を営んでいたものの、水戸以外は全部やめてこの水戸店は百貨店という直接的な競合相手がおらずイケると踏んだのか新築移転するなど妙な覚悟を決めて経営しているようだ。
店舗自体は新しくて広いし、高島屋グループと言う事もあって百貨店としては手堅いとようにも思えるしこの日は結構人出もあった。でも地元民でない地域の事情を知らない僕からするとその立地場所にはなんとなく疑問を抱く。

吹き抜けの下の部分も中々おしゃれな作りだ
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そこでちょっと調べてみると、この辺りは泉町といい水戸一番の繁華街で有るとの事で、昔はもともと伊勢甚という別なデパートもあり京成は国道50号を挟んだ向かい側に建っていて(確かに今では廃墟のようになっている建物があった)、伊勢甚と京成の間で結構人通りも多かったようだ。しかしせっかく2006年の3月に京成が新築移転する直前の2005年11月にイオン水戸内原ショッピングセンター(今のイオンモール水戸内原)が営業を開始すると、泉町の人通りが激減してしまったという。
しかし僕が受けた印象はそもそも泉町自体が京成以外に主だった店もなくて商業地という雰囲気がしないうえに、駅から1.5kmと地味に遠くて微妙に不便な場所にも受け取れる。駅と繁華街が離れている都市というのは確かに多いのだが、しかし郊外店の攻勢にあっている現状からすると、地方の中心市街地で核店舗が分散しているというのは、今後10年20年の先を睨むともはや成り立たないのではないか。
これは結果論になってしまうが、水戸サウスタワーの所に出店していれば店舗面積は小さくなってしまったかもしれないが、少なくても利便性は今より良かったことは違いないし、丸井やエクセルとの集積による相乗効果だってあったかもしれないとも考えられる。昔からの繁華街なのだと言うと何の疑念も抱かなかったのかもしれないが、例えば新潟市の古町の様に寂れてしまう事もあるから決して安泰ではないのである。

アーケードがある国道50号の歩道
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メインストリートたる国道50号
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京成を見終えたあとはバスに乗っても良かったけど国道50号を歩いて水戸駅に戻る。メインストリートたる国道50号の歩道の一部にはアーケードが有ったりもしたが商店街という程の感じは受けず、常陽銀行本店やら東電があったりとどちらかといえばオフィス街的な所だろうか。昔は県庁が近くにあったから、もう少し賑わいもあったのかもしれない。こういっては何だが地方にとって県庁や市役所等の役場はそれ自体が1つの産業なのである。

水戸東照宮は派手な作り
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駅の近くまでやってくると水戸東照宮というのもがあったのでお参り。なんだか派手な作りで趣なんてこれっぽっちもないが、本家本元の日光東照宮が派手なのだからこれは致し方あるまい。

LIVIN(西友)跡は解体されたまま手つかず
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お参りを終えたら水戸駅北口へ。水戸へ来る前の下調べでは水戸駅前は衰退が著しいとの事だったのが、確かにこのLIVIN(西友)が閉店し解体されたものの手つかずになっていることからも受け取れる。いま歩いてきた国道50号の常陽銀行本店向かいではタカラレーベンのマンションが建設中だがここには元ダイエーがあったとの事だし、(水戸を訪れた時はまだ分からなかったが)さらに南口はヤマダ閉店となった。最後の砦となるのは丸井水戸店なのだが2013年に20年の貸借契約の満了を迎えた際、賃料の棒引きを受ける形で5年の契約延長どうにか決めた経緯があるうえに売り上げも低迷していて実情は相当に苦しいようだ。

丸井水戸店は活気が失われている
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丸井郡山店が閉店となり今では北限となったその丸井水戸店を覗いてみると、ガラガラではないのだが客足が心もとなく残念ながらその勢いは失われているように感じられる。そして店舗から受ける印象は一体どの層をターゲットとし訴求していくのか考えあぐねているようなのだ。僕のような世代には丸井やパルコにはオシャレなイメージしかないのだが、今の若い世代にとってはそうではないと言う事かもしれない。しかし同じようにアパレルを中心とするエクセルは結構盛況にみえるがそれは決して駅ナカというアドバンテージだけではない筈だ。このあたりが丸井にとっての課題なのだろうが5年の契約延長の残りあと3年ではたして解決することが出来るだろうか。

水戸駅北口 人影が少ないのは休日としてはまだ朝早い時間に撮影した為
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今回水戸を訪れて見ると地方のご多聞に漏れず郊外のイオンは元気であって、中心市街地は店舗によって明暗があるもののやや苦しいといった印象を受ける。それは有数のクルマ社会である北関東の地域特性から当然の事のように思えるのだがしかし、郡山市民からすると本当かとちょっと疑いたくなる部分もある。それはクルマ社会であるとはいいながら鉄道利用者が郡山なんかと比べれば段違いに多いと言う事で、10両編成の常磐線の普通列車が立ち乗りになる位に乗客がいるのである。水戸市の人口は約約27万人で郡山より少ないのであるが一体これだけの人がどこから電車に乗ってくるのかと不思議ですらあるが、それに伴って駅の利用者も確かに多いのだ。
それはやはり水戸は腐っても関東圏だということなのだろう。しかし駅にはこれだけ人がいるのにダイエー、西友、ヤマダと閉店し、丸井も虫の息である。水戸地区で路線バスを運営する茨城交通も経営破綻するなど、口が悪い言い方をすれば「お前ら揃いも揃って一体なにやってるんだよ!」となってしまうのではないか。クルマ社会の地方では郊外の駐車場があるイオンが…と確かにそれも一因だろうが、しかし若者達は内原駅から歩いてイオンに行っているのである。
例えば「郊外=クルマ」に対して「街ナカ=公共交通機関」とするならば、「街ナカ=公共交通機関」にしかないインセンティブを与えれば良い訳で、つまり公共交通機関で街ナカに来れば「なんだか得しちゃう」と思わせる事だ。いずれにせよこれだけの人が駅にはいるのだからまだ打つ手は色々考えられる。少なくても僕は郡山駅で恒常的にこれだけの人というのは見た事がないのだから。

さて、水戸の中心市街地も一通り見終えたし水郡線で郡山へ帰る事とする。水郡線など混んでいないだろうと思っていたら意外と混んでいて常陸大子までの区間は利用者が多く、なるほど茨城側は必要な路線で有る事が伺える。対して県境を越えて福島側の利用者はぐっと少なく、今日は連休だから僕のような物好きが10人位水戸から通しで郡山迄乗っていたようだが普段はそんな人もいないのだろう。
現に福島側の駅は交換設備を撤去してしまって単線なのにすれ違いの出来ない駅も多く、維持管理費の低減を図っているのが見て取れる。正直なところ福島側は運行すらしたくないのではないかとさえ思うが、福島側の営業係数(100円の利益を得るのにかかる経費)を持ち出されたらぐうの音も出なくなりそうだ。
しかし、今後将来を見据えるなら水郡線は福島茨城の県境越え区間の廃線もやむ無しとならざるを得ないのではないか。その地域の住人は(大して利用もしないのに)猛反対するだろうが、その結果もうどうにもならない最悪の状況(例えば災害による不通など)になってから押し切られてしまうのがオチである。実際に只見線などはいい例で平成23年7月新潟・福島豪雨で只見川にかかる橋梁が流出・崩落し不通となっているが復旧には85億とも100億ともかかるとされており4年たった現時点でも復旧がなされていない。
そうなる前に何らかの善処策を考えた方が前向きだし建設的である。例えば水郡線なら川東から新ルートを建設し福島空港のアクセス鉄道へと役目を転換させ福島空港利用者の需要を取り込む。既存の川東より先の区間は廃止とし代替バスへ移行とするが、その代わり川東までの普通列車と川東・東舘間の代替バスとも運行頻度を上げる事を条件とするのである。福島空港の新ルートだって、赤字区間の廃止とのバーターを持ち掛ければ岩泉線廃止時の様にJRも一部費用を持ってくれる可能性だってありえる。*1
廃線などというと俺たちを切り捨てるのかというかもしれないが、現状の水郡線のように日中何時間も運行されない時間帯があるより、バスであっても運行頻度が高い方が利便性も高まるだろう。これからの人口減少を見据えて持続可能性を探っていくのは必要な事なのだ。

*1 岩泉線の廃止について - JR東日本 この中の【地元貢献について】の項目にJRが「岩手県が計画する一般国道340号押角峠の道路改良の事業に要する費用の一部について資金提供を行う。」とある

水戸をでて3時間15分かけてようやく郡山に到着。郡山の水郡線ホームはなぜか端に追いやられているのは、儲かっていないからなのか管轄違いだからなのかは不明だがそこまで冷遇しなくてもと思う。しかしホームに降り立てば郡山駅は在来線の利用者が少ない。まずは郡山にとっては駅に人を集める事。つまり手前みその様で申し訳ないが拙案の2020構想のような鉄道利用促進策の実施は急務と感じる。中心市街地の活性化は又その次の話だ。

郡山駅は水郡線のホームが端に追いやられている
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2017/5/8 追記
ヤマダ撤退後空フロアとなっていた水戸サウスタワーに、およそ2年ぶりの2017年3月18日オーパが開業したとの事で、1ヶ月程経った4月中旬の日曜日にその様子などを見てきたので少し書いてみたい。

オーパとは元々イオンが買収したダイエーのファッションビル業態であり、ダイエーのスーパー部門は続々とイオンへ転換がなされているさなか(ダイエー仙台店も2016年3月イオン仙台店に転換済み)、ダイエー最後の財産ともされるオーパはイオンも何か思うところがあったのだろうか、自社ブランドのフォーラスを廃止して迄オーパを展開していく動きを見せている。
実際、秋田フォーラスは一旦閉店の上、2017年秋にオーパにリニューアルオープンの予定であるし、大分フォーラスは老朽化したビルを解体新築した後、オーパとして再開するとの事だ。残る仙台や金沢はどうなるか分からないが、オーパへの転換の方向だともされる。さらに2017年秋には高崎にもオーパが開業するといった具合にだ。また傘下のビブレもオーパへ統合するなどとも伝えられる。
以前イオンはパルコの買収に失敗(パルコ側が猛烈に拒否反応を示す)しているが、案外イオンはこのファッションビル業態を何か重視しているフシがあるようだ。

さて、実際の店舗であるがファッションビルとは言うが、ここ最近イオンがよく用いる体験型あるいはライフスタイル提案型とでもいえばいいのだろうかアパレルはそこそこにいわゆるバラエティ寄りの店舗構成であり、丸井の様なイメージとはだいぶ異なるものだ。また若い年齢層をターゲットとしているのだろう、取り扱い商品の価格帯も比較的低めなのが伺えた。
肝心な客の入りだが、混雑しているとも閑古鳥が鳴いているとも言えないそこそこな感じだが、見て回るに方にとってはは丁度いい位ではないかと思う。ただし、商品構成は個人的になにか物足りなさも感じられる。
オーパの命運はイオンの経営戦略次第だが、現時点では何となく微妙な感じもあるものの、イオンは今後10年先の人口減少時代における都心回帰の動きをを睨み、また、ネット時代のリアル店舗の在り方を含めこれから模索が始まっていくのだろうとそんな印象を受けたと記しておこう。

ダイエー最後の財産OPAにイオンの未来を託す
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余談であるが、ファッションビルの雄たる丸井もついで見てきたが、こちらは2年前より状況は悪化していて徳俵に足がかかるなんてものではなく完全に死に体となっている。店舗からは活気が消え失せ惰性だけで営業しているようなものなのだ。
これは以前新潟にあったラフォーレが閉店表明をしてから閉店までの期間に一度訪れた事があるが、やる気のない店舗独特の空気というのが漂っていたが、やはり丸井もまた同じような空気が漂っており、おそらくMYMの契約満了をもって残念ながら丸井水戸店は閉店となるのは確実ではないかとそう思わせるものであった。



2017/11/12 追記
来年2月の貸借契約終了を控えその去就が注目される丸井水戸店で有るが、やはりとでも言うべきか大方の予想通り先日撤退の方針が伝えられた。以下に新聞報道を引用する。

丸井水戸店、18年秋に閉店 アパレルなどの販売苦戦(日本経済新聞 2017/11/9 15:43)
 丸井グループは9日、JR水戸駅近くにある丸井水戸店(水戸市)を2018年秋に閉店すると発表した。
 水戸店は1970年に開業。93年に現在の場所に移転し、ピーク時の売上高は年間156億円だった。インターネット通販の台頭による競争環境の激化に加え、このところのアパレル販売の不振もあり、16年度の売上高は24億円まで落ち込んでいた。採算の改善は難しいと判断し、閉店を決めた。


幸い跡地は商業コンサルのやまきに譲渡され商業施設として新たにオープンする予定で、水戸駅南口の水戸サウスタワーのようにオーパの進出が決まるまで空きになったままと言う事は避けられる模様だ。
同日に発表された丸井グループの2017年4~9月期の連結決算は純利益が前年同期比21%増と復調が伝えられるが、その陰にはこういった不採算の店舗の閉店が有るわけで、切り捨てられる側の地方の人間にとってその発表はなんとも寂しいとものだったとの印象を受けたと示しておく。

(番外編)都市間競争における敗者の惨状とは 山形県山形市

前回の記事で去年僕は長期出張で少しばかり仙台に滞在していたと書いた。数ヵ月という期間ではあったもののこの仙台という都市、中心部は結構都会でとても人が多いが(郡山で商売を営んでいる方からすれば羨ましい限りだろう)、しかしながら郊外へいけば田舎でのどかなものでもある。また地下鉄を始め在来線やバスなど公共交通機関もそれなりに発達していてクルマの無い生活というのも可能であるなど(地方都市においてはこれは大変に稀なことだ、郡山でクルマを持たなければ相当な不便を強いられる)、中々にバランスが取れている都市ではないかと思う。
さて、こんな書き出しをしたので今回は仙台の話題を…とはいかず、そのお隣山形市について書いてみたい。それは仙台に滞在していたある10月の日曜日、暇に任せて仙山線で山形にいってきたからと言うだけの理由なのだが、その現状は惨憺たるものだったからだ。

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旅の始まりはJR仙山線愛子駅。この愛子という地区は郡山で言えば安子ヶ島ぐらいの距離感だろうか(東北道の西に有り冬は雪が結構降るんじゃ無いかな)。相当な郊外だが仙台から鉄道で30分圏内ということになっていて、職場が海沿いの方でなければそんなに苦にならないと言うことなのだろう、実際近年住宅開発が急速に進み着実に人口を増やしているとの事だ。

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下りの山形行き快速列車がやって来ました。仙山線のダイヤは上下線とも1時間当たり3本で、おおよそ20分に間隔となりそのうち1時間に1本が山形迄(から)運行されている。それ以外はこの愛子止まりで基本的には仙台~愛子間が運行のメインとなっている。今日は鉄っちゃんになったつもりで電車に乗り込むが、僕には車両がどうだとかこうだとかさっぱり分からないのだ。
先述の通り仙山線の運行のメインは、仙台・愛子間なので山形に向かう乗客はほとんどいない。4人掛けのボックス席に一人で座っても全然平気だ。快速だったので停車したのは、作並と山寺、羽前千歳、北山形だったかと思う。愛子からだと45分で山形に到着してしまった。

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山形駅で左沢線のディーゼルカーをお見送り。仙山線とは入れ違いにディーゼルエンジンをうならせて発車していった。ディーゼルエンジンの音っていうのはいかにも「はらたくのりもの」という感じがしていいですね。

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SUICAをタッチし改札を抜け山形駅前に降り立つとバスターミナルがあるのだがなんだなんだ?バスもいないが人影もまばら。まだ10時前だといっても今日は日曜日だぞ?

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とりあえず山形駅から北の方に歩いていったところに有る豊烈神社へ。明日は例大祭のようで準備が執り行われていたので邪魔にならないよう旅の安全をお参り。

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さらに北へ歩いて霞城(読みは「かすみじょう」ではなく「かじょう」とよむんだね)へやってきた。お堀を渡る橋(というより線路を跨ぐついでにお堀ごと跨いでいるといったほうが正しいか)から山形新幹線を見下ろす。山形新幹線が複線であるように見えるが実はこれ単線並列という似て非なるものなんだそう。片方は山形新幹線でもう片方は仙山線・左沢線である。ちょっとわかりにくいけど線路幅が違うのだ。

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お堀を渡り霞城の大手門へ。中々立派な大手門だが本丸・天守閣は無い。内部の展示によればこの大手門は復元したもののようで、ゆくゆくは本丸も復元したいような事が書いてあったが、それはかなり厳しいと思う。復元したところで観光で人が呼べるかは、はたして微妙なとこだろう。そもそもお城の敷地内に野球場などがあって城跡を公的な施設に転用した典型的なパターンだから雰囲気も中途半端になってしまうだろうからなぁ。

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お次は文翔館へ。元々は二代目の山形県庁舎と議事堂だったこの建物はルネサンス様式を持つ洋館で今は無料で公開されている。僕はお城や神社仏閣など日本的な史跡の類は結構見て回ったほうだと思うが、そういえば明治~大正にかけての西洋に追いつこうとしてやって来た時代の史跡はあまり見たことがなかった。しかしあらためて見てみると日本離れした異国な雰囲気を漂わせている(ルネサンス様式を模したのだから当然だ)文翔館はなんと言ったらいいのかとても不思議で、ある意味違和感を覚える位に新鮮な感覚を味わえたといっておこう。山形市へ来たら文翔館を見ておく事をお勧めする。

赤絨毯の階段を上れば
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御前会議が開かれるような部屋があらわれる
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さて、文翔館を見学し終えて問題はココからなのである。駅から豊烈神社~霞城~文翔館へ歩いてきて薄々感じていたのだが、とにかく山形の中心市街地に人がいないのだ。駅と繁華街が若干離れているというのは、その地域によっては良くある事で山形もそうなのだろうと思っていたが、その若干離れた繁華街ですら人が少なかった。山形市の中心部には、市役所やその他公的機関に加え、新聞社や放送局に金融機関などその都市を代表する企業が立地しており、恐らくこの辺が一番人通りがあるのではなかろうかと思われるところなのだが、人影はまばらで何か寂しげですらある。これでも日曜日のお昼なのに...平日だったらサラリーマン達がいるのだろうか。

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文翔館からまっすぐ伸びる目抜き通りを歩くが、目に付いた商業施設はナノビーンズと地場のデパート大沼だった。しかもどちらの店も客が少なく活気はいまひとつ。山形市も音楽都市を名乗りたいのか市民楽団か何かの演奏だけがスピーカーから通りに空しく流れていた。

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中心市街地を一回りしてきて山形駅の裏側にある霞城セントラルへやって来た。その高さからとにかく存在感は抜群にあるのだが、こちらも肝心な人がいない。駅前の一等地に再開発ビルを建設したもののテナントを埋めるのに苦労し、それならばと公的な施設を入れてしまって何とか急場をしのいでいるなど地方の惨状を体現してしまっている。ただこうは書いたものの、我が郡山にも似たような境遇のビルがあるので人の事を言えた義理ではないのだけどね(プラネタリウムでおなじみのあのビルだ…でもここまでひどくは無いぞ)。ちなみに市内一のノッポビルというもの同じだったりする。そんなことを考えながら霞城セントラルでは丁度お昼時だったので、上層階にある中華料理店で背後に蔵王連峰が迫る山形市街を見下ろしながら(景色は中々だ)ランチを頂いた。

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食後の腹ごなしに今度は駅ナカのS-PALをちょっと覗いてみる。もういわずもがなであるがやっぱり閑散としていて、唯一混んでいるのはスタバだけだった。日曜の午後でこれじゃ商売として成り立つとは思えず、まともな企業の出店担当者ならこんなところのテナントに入る筈がないのだが(絶対郊外のイオンを選ぶ)、それでもテナントが入っているのはテナント料を相当にダンピングしているのではないかとか、何か裏事情あるかもしれないなどと余計な詮索をしてしまう程だ。
それにこのような状態の中で働くテナントの店員さんの気持ちはいかばかりかとも思うのだ。売上げを伸ばそうにも肝心の客がいないのだから張り合いもないし、頑張ったところでというよりそもそも頑張りようがないときているといった具合で、それほどまでに山形の中心市街地の人の少なさは酷いものだったのである。

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さて、山形の中心市街地を一回りしてきたし最後にコーヒーでもと思ったのだがここで最後の罠があった。S-PALのスタバは混んでて座れないのでスマホで調べて見ると山交バスセンターの近くにドトールが有るみたいなのでそちらに歩いていく。途中十字屋と言うくたびれた店舗に甘んじざるを得ないデパート眺め(コレを思えはうすいは建替えできたのだから相当に幸せだと思う)そういえばさっきの大沼も古かったなぁと、しかしこんなに人がいないのにそれでも市内に2店舗のデパートが有るのはある意味すごい事だと思いつつ、ドトールについたらなんとこれが休みだった。そもそもドトールが休みなんて聞いたことがないし、たまたま何か休みのタイミング(従業員研修や設備点検等)にハマったのかと思ったら元々日曜祝日は営業していないという有様。僕が山形に来て受けた印象ははその廃れっぷりと、コーヒー一杯すら飲めなかったという事実なのである。
仕方が無いのでまた駅に戻ろうとしたら、山交バスセンターに丁度仙台行きの高速バスが来ていたのでもいういいやとばかりに慌ててこれに乗って仙台に帰る事とした。

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高速バスに揺られならが仙台までの小1時間程、山形の惨状について考えてみた。イオンを代表とする郊外店に客を奪われ中心市街地が廃れるというのは全国的な傾向ではあるが、さらに加えてこの山形ではもう一つの要因である隣の仙台に完璧なまでにストローされてしまっている現状があった。例えば今乗っている高速バス仙台~山形線であるがなんと平日の朝は6:30~7:45迄、5分間隔で仙台行きが運行されている。つまり週末の買い物ばかりか通学先や勤務先までも仙台に依存しており、よりによって地元企業である山交バスが山形衰退の片棒を担いでいる格好なのである。しかし企業としては需要があるところにサービスを供給するのは当然であるから責めることは出来ないだろう。それにもはや山形市民は山形を見限ってしまっているようにも思えるのだ。

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このことから言えるのは、閉じられた地域(県や市)を前提として政策を行ったとしてもそれが地域住民にとって魅力が無い物と映ってしまったら、簡単に人は魅力のある方へ流れていってしまうと言う事だ。役所や銀行、マスコミなど地方におけるピラミッドの頂点たる人達が閉じられた地域内で何かをしたところで、又はそれにすがろうとしたところで魅力がなければ、人の移動が閉じられていないのだから所詮は無駄なことなのである。しかも山形県自体も悟りを開いてしまったのか宮城県仙台地域と山形県村山地域の交流連携などという事を言い出す始末で抗うことを諦めてしまっているのだ。

我が福島県もやはり県庁所在地の福島市が大いに仙台市へストローされている状況にある。さすがに仙台・山形のように隣同士の市という訳ではないから(仙台・山形は県境=市境で互いに面している)そのあたりからくる心理的な距離感(物理的な距離はさほど変わらない)が何でも仙台に依存している山形までの惨状とはなっていないようだが、しかしそれも時間の問題なのかもしれない。

これに対する唯一の解決策は大変難しいが自分達の街をとにかく磨き上げ、あらゆる意味で街の魅力を高める事しかない。その魅力によって外から人を呼び込めれば、それに伴って物や金がついて回ってくるのである。要はよく言われるようにヒト・モノ・カネを呼び寄せることだ。もしそれが出来ないというのであれば、山形のように吸い取られる側の立場に甘んじざるを得ない厳しい現実が待ち受けることになる。
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あさか野

Author:あさか野
郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

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