郡山駅前の近況など  2017年8月

昨年の6月に取り上げた郡山駅前の状況であるが、ダイワロイネットも完成して半年が経った事でもあるし、この辺で一旦今年の分として取り上げておこう。

まずは、郡山市民なら誰もが気になるダイワロイネット郡山からだろうか。長らく建設中で有ったダイワロイネットも無事竣工し2017年の2月中旬から営業を開始した。ホテルの方は郡山市民が利用する事はほぼないだろうが、お客さんを案内するとなれば郡山で一番新しいホテルでかつ駅の目の前であるからなにかと都合がいいだろう。今迄だと比較的新しいホテルとなると東口のコンフォートか、美術館通りのドーミーインでどちらもちょっと遠かった。
一方、期待のかかるテナントフロアであるがこれは予想にたがわず微妙なものになったw。入っているテナントは後述するとして、気になるのは空きテナントの方だ。以前から何度か書いているが、とにかく駅前の一等地と言う事でその賃料が高いと周辺の飲み屋では持ち切りであり、すが波さんよく入ったなぁといった声が聞かれるものだ。
開業当初は少し遅れてテナントも埋まる様な話も有ったが、半年経って埋まっていない状況を鑑みれば、少々残念ではあるものの結局これが現時点での郡山の実力値ということになる。

ビルも完成しダイワロイネットが営業を開始して半年だが…テナントフロアの空きが気になる
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さて、僕が去年勝手な予想を立てたが実際のテナントを見てみよう。まずは牛タンの利久であるが、これは素直に良いと言える。気軽に牛タンを頂けるし結構混んでいるように見えるが、回転が速いのでそんなに順番を待たずにも済む。味は仙台の牛タン屋と同じだし、店の狭さまで同様だw。その狭さもくつろぐ様な店じゃないから、下手に広いとくつろがれて回転が落ちてしまうからむしろ狭い位が都合がいいのだろう。
次はドトールであるが、まぁこれは可もなく不可もなく普通である。しつこい様だが僕的にはプロントが良かったのだけど(夜メニューで軽く一杯二杯飲むのに丁度いい)、出来てしまったものは仕方あるまい。だた、20時まで営業しているものの、やっぱり夜はすいているようなのでアルコールを出す店の方が売り上げが立ったんじゃないかと思うのである。
そして、寿司屋の築地魚力である。外の看板には郡山人の所得にあわせてくれたのかw、お安いメニューが載っているが実際に食べてみると何だがお味の方もお安い印象で、これならピボットの中の海鮮丼を食べた方がいいなと思ってしまう。これではちょっと期待外れというか先が思いやられる。
最後にニャーベトナムであるが、個人的にはそもそもベトナム料理を食べようと思わないので、飲み会でも設定されない限り利用する事はなさそうだが、ホテルの朝食を請け負っている様だから何とかやっていけるのかも知れない。

ヨドバシ側からの眺めはとても良い
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お次はダイエー跡である。建屋を解体後は当初の発表通り駐車場となって営業している。ただ、こんなところを駐車場にしてどれ程の需要があるのかと思っていたが、どういう訳か予想に反していつも車が一杯になっている。一体どこからこんなに利用者がは集まって来るのか個人的にその理由を知りたい位だ。ただ少しだけ想像がつくのは、駅の近くの割には駐車料金が安いのと、平面駐車場であると言う事だろう。安い事は説明不要だが、平面駐車場であるというのは特に女性からすると有難いもので、例えば、みずほ銀行隣のうすいの平面駐車場は平面であるがゆえ駐車し易く女性が利用しやすいと言う事なのだそうだ。

尚、せっかく1ブロック4辺全てが道路に面し、まとまった大きさがあるこの土地が駐車場というのはなんとも勿体ないが、ここは大町区画整理事業が進まないとどうにもならないといったところなのだろう。実際その区画整理事業の道路拡幅部分はしっかり除いて造成してあるのも見て取れる。これを見るとおおよそこのラインで拡幅される様で、そうするとその先にあるマギーのタワー駐車場は道路に引っかからないのが分かる。

ダイエー跡の駐車場は区画整理事業の道路拡幅部分を除外済み
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次も同じくエリート物件のエリート42ビルで有るが、まずは新聞報道を引用しよう

郡山・エリート42ビル、年内解体へ 入居店舗と契約終了次第(2017年02月05日 08時44分 福島民友)
 JR郡山駅前のエリート42ビルが年内に解体されることが4日、所有する不動産賃貸業エリート(郡山市)への取材で分かった。解体後は駐車場として活用する方針。
 エリート42ビルは、かつて旧丸光百貨店郡山店として営業していた。1967(昭和42)年に地下2階・地上8階建てで開店し、80年に閉店した。現在はエリートが商業ビル「エリート42」として運営。居酒屋などが入居している。入居している店舗との契約が終了次第、解体工事に入る見通し。
 同ビルは郡山駅前大通りに面しており、同社は今後、駅前活性化に向けて活用方法を模索するという。


このビルは元々昭和42年丸光が仙台から進出し、デパートを営業していたものだが、地元デパートのうすいや、その後のイトーヨーカドー、西友、丸井、ダイエーといった大手資本が郡山に進出してくると、競争が激化し郡山からの撤退を余儀なくされる(余談だが丸光はその後、ダックシティ、ビブレ、さくら野と変遷を経たものの、2017年2月27日倒産してしまった)。
丸光撤退後の残ったビルは朝日生命が取得し、上層階をオフィスに下層階をテナントスペースに改修、朝日生命郡山センタービルとして2013年頃迄と結構長いこと所有していたようだが、朝日生命自らは清水台に移転しビルはエリートに譲渡。いつの間にかエリートビルになっているなと思ったのもつかの間、解体との方針になった。実際7月下旬頃から囲いがなされ解体工事が始まったようだ。

丸光百貨店、朝日生命郡山センタービルそしてエリート42ビルと変遷したこのビルも解体が始まった
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丸光撤退後の朝日生命が所有していた時代のテナントスペースは、僕からするとまともにテナントが入っていた時期など殆どなかったのではないかと思う。親に連れられて街に行ったとき(街という表現が懐かしい)、高校生になり自らチャリンコで来るようになっても、働き始めて酒を飲みに駅前に来てもずっと空きのままだった。
結局所有がエリートになってもそれは変わらなかったし、丸光は昭和42年に進出したと言うから築50年にもなる古いビルを耐震補強までしてリニューアルする気など起きなかったと言う事なのだろう。

このビルはテナントが埋まったことなど見た事が無い
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この、解体されるエリート42ビルを見て思う事は、市街地活性化の為に新たな枠組みが必要だと言ったことだ。つまりどういう事かと言うと、1ブロックの土地の内、過半数以上の面積を所有する者は、極めて近い条件の土地と区画を交換できる権利を持てるようにしたらどうかと言うものだ。
例えばエリートは、駅前2丁目1駅前2丁目2の両方のブロックでそれぞれ51%以上の面積を所有しているが(衛星写真で見える駅前2丁目1の駐車場はエリートの物だ)、エリート以外の所有となっている低層の建物は、どちらかのブロックに移動(交換)集約し手放す代わりに、エリートは残った1ブロックの4辺が道路に面した土地として丸々所有できるといった具合である。その移転改築費用はエリート持ちとするが、その為少々負担があるものの4辺が道路という土地は貴重であるがゆえ価値があり活用の幅が広がるし、移転する方も小汚い建物にしがみつくよりよっぽどいいと思うのだが果たしていかがだろうか。
これは勝手に僕が考えた案に過ぎないが、しかし、こういった事が出来ないから地方の中心市街地は硬直化し衰退しているのである。それゆえ活性化の仕組みは必要な事に違いないし、その仕組みについてはまた別の機会に改めて考えてみたいと思っているものだ。

せっかくビルを壊すなら何か活性化の仕組みが欲しい
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さて今度は東口に来て、去年工事していた東西自由連絡通路のバリアフリー化を取り上げよう。バリアフリー化については今年の5月頃には大体終わった様で、残りは自転車置き場を整備し直している。この東西自由通路は暫定などと言いながら長いこと放置されてきたが、何てことは無いやれば出来るじゃないかと言ったところだ。

上り下りのエスカレーターと奥にエレベーターが設置
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写真だとエスカレーターしか見えないが、きちんとエレベーターも設置されているし、以前はクランク状に曲がっていた通路も、直線的に改められている。そしてまだ新しいだけに小綺麗な印象もよい。

まだ新しいだけに小綺麗な印象
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郡山の駅裏は、ホームの他にJR郡山工場や日本オイルターミナルの待避線等がある為、線路を跨ぐ幅が広く結構歩く距離があるのは致しかたあるまい。これは今すぐではなく追々で構わないが、この連絡通路に改札を設けホームへ行けるように整備するといいだろう。

多少歩くがこれで及第点はつけられる
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最後に、郡山駅前とは離れるが新しく開業した郡山富田駅について触れておこう。これは磐越西線の駅として郡山駅と喜久田駅の間に出来たものだ。1度ぐらいは乗って見なければならないだろうと、試しに乗って見たが郡山からだとものの5分と経たず到着である。バスとは違いこの定時性は中々よいものだ。ただしワンマン車両だったので無人駅で有る当駅で降りる場合、最前車両の運転手の所から下車するようアナウンスされていたが、それを知らずに最後尾の車両に乗ってしまった為、流石に4両編成の車両で一番前まで狭い車両の通路を歩かされるのは閉口してしまった。しかもSUICAで乗った場合は何かチェックする訳でも無いという、天下のJRとしてはお粗末なオペレーションは改善願いたいところだ。

郡山富田駅ホーム
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駅前にはロータリーと自転車置き場が整備
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駅自体には簡単な駅舎とロータリーそして駐輪場のみであり、特にどうって事ないものだが、取り合えず当面はこれで十分だ。だだ単線なのに交換設備つまりすれ違い不能なのが残念だ。今の所運行頻度は1時間に1本であるから交換設備は不要とのことだろう。近くに奥羽大や郡山北工があるからそれらの通学需要はある程度見込まれるが、それ以上となると中々難しい様にも思える。それは一般的な郡山市民は、駅の有難みなどまず理解出来ないから、クルマがあるのに駅?なんで?位の感覚だろう。この辺りは、郡山の交通をどうするのかという都市としての方向性の問題でありこれもまた別に考えてみたいところだ。

線路と道路を跨ぐ歩道橋も設置
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奥羽大や北工が近いせいか日曜日にも関わらず結構若者の利用者がいた
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最後にこの郡山富田駅が出来て一番喜んでいるのは誰かと言えば、それはセブンイレブン郡山奥羽大学前店のオーナーではなかろうか。だって駐車場の敷地こそ半分取られてしまったが、この連絡通路のおかげで駅利用者の吸引効果は絶大だと思うのだw。

この歩道橋はセブンイレブンへの吸引効果は絶大ではないかw
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郡山駅前の近況など  2016年6月

昨年の8月に取り上げた郡山駅前の状況であるが、新年度に入り一気に変化が現れたのでその内容を取り上げてみたい。(ネタが無いときの駅前頼みであるw)

まずは旧丸井跡のダイワロイネット郡山から。3月のお彼岸の頃までは今年の秋に完成予定だというのに全然進んでいる気配がなかったダイワロイネットだが、ゴールデンウイークあたりになると一気に上へと伸びだして5月下旬時点ではほぼ鉄骨が組みあがってきた。ヨドバシカメラ側からはこれが中々いい具合に威圧感のある眺めだが、完成に近づくにつれ気になるのは併設する商業フロアに入るテナントだろう。そこで僕がテナントの入居予想というより、勝手に入居テナントの提案をしてみようと思う。(何の根拠もない妄想だ本気にするなよw)

1階には東邦のATMコーナーとコンビニ(セブンとローソンは既にあるのでファミマか?)が入るなどと言われているが、さらにそれらに加えるならばプロントを推しておきたい。なんだよプロントってたかだかチェーン店のカフェだろうがとお思いかもしれないが、利便性という観点から見ればその存在意義はある。それは新幹線や高速バスの時間調整にうってつけで有ると言う事だ。
例えばこれは僕の経験に過ぎないが、高速バスのあぶくま号が今のバスタではなく新宿駅の南口、実質的には代々木駅から発車していた頃、代々木駅を挟んだバス乗り場の反対側にプロントがあって、これがいい時間つぶしに使えたのである。UCCとサントリーが共同出資をして設立したプロントは昼はカフェに夜はバーにと営業時間によってスタイルが変わるのだが、特に夜のバータイムはサントリーが絡んでいるだけあってそのメリットを生かした中々の店だった。ジントニックはビーフィーターで作りちゃんとライムも添えて出てくるし、知多のハイボールも中々イケるし、白州や山崎だってロックで頂けるといった具合に(コンクなどというひどいモノではなく)きちんとしたまともなものである。それにフードメニューも頼めばすぐ出てくるなどオペレーションがこなれていて味も結構ウマいときていて、ちょっと時間が余っている時に軽く1杯2杯飲むのにはとても便利なのである。もちろん昼間のカフェタイムだって悪いわけではなくごくごく普通にコーヒーを頂ける訳で、郡山駅前にもスタバやらタリーズやらがあるにはあるが、休日は混んでてゆっくり出来ないし(あの勉強しているフリをしている連中wが邪魔なのだが)、シアトルスタイル自体が僕には俗っぽくてダメだが(アイスコーヒー位はおかわり100円だから飲んでもいいかなぁとは思うけど)、プロントなら郡山に出張で来たビジネスパーソンにとれば昼も夜も大いにその利用価値はある。それにどちらかと言えば軽く飲むという性格の店だから(別に長居しても構わないけど)回転もいいし既存の地元飲食店との競合だって避けられる。

一気に鉄骨が組みあがってきたダイワロイネット郡山
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次に飲食繋がりで3階のレストランコーナーを考えるなら、まずは牛タン屋の利休はどうだろう。ここ最近は牛タンもだいぶメジャーな食べ物になって都市部の駅前などには何かしらの牛タン屋があるものなのだが、残念ながら郡山には郊外には牛タン屋があるものの駅前には存在していない。出店側にとっては競合がないのはメリットでもあるし、お客の方だって牛タンはガツガツとがっつきつつ、生ビールを豪快にあおりながら(要は酒が飲みたいのね)食べるに限る訳で、それならばやっぱり駅前に店舗がある方が都合がいい。別に店舗は伊達の牛たんでも善治郎でもいいのだが(個人的に僕は善治郎派だ)利休は宮城県以外にも複数出店しているので、他県展開のノウハウも持ち得ているだろう事から推してみた次第だ。
さらにもう一つ上げるならオイスターバーがいいと思う。これもまただいぶ都市部の繁華街に見かけるようになってきている。例えば店舗名を挙げるとガンボ&オイスターバーは、東京駅の八重洲地下街や川崎駅前のラゾーナに出店していて、僕は出張があれば結構高くつくのだけどついつい寄ってしまうのだ。牡蠣というのは好き嫌いがはっきりと分かれるものだが、しかし僕の様な牡蠣大好き人間からすれば、一年中牡蠣が頂けるというのはこたえられないものだし、さらにガンボ&オイスターバーならグラスでシャンパンが頂けて(しかも僕の好きなG.H.マムだ)これがまたなんとも堪らないのだ。
せっかく駅の目の前の一等地に出店するのだからありきたりなチェーン店ではつまらない。あくまで個性というか主張がはっきりした店のほうがいい。牛タン屋なら回転がいいから(ガツガツ食べるとすぐに食べきってしまうのでそんなに長居できない)売り上げも期待できるし、オイスターバーは上述のように値が張るがそれは客単価が高い訳だから、物凄く高いと噂されるテナントの賃料だって賄えるだろう。

ヨドバシカメラ側からの眺めは中々の威圧感
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残った2階もやはりありきたりなものではなく福島県にないモノとする必要があるだろう。今はアパレルの調子が悪いのと、ターゲットが女性に偏ってしまう事を鑑みるならば、アパレルではなく雑貨店がいいのではないかと思う。具体的に挙げると一つはLOFTともう一つはZARA HOMEだ。
雑貨と言えば東急ハンズも考えられるが、しかしハンズの強みであるその品揃えを最大限に生かすならこの場所では少々手狭であろうから、以前期間限定でうすいに出店していたトラックマートのような中途半端なものになってしまうだろう。LOFTならばこの位の広さでもそこそこな形でおさまるだろうし、何といってもそのブランドイメージは良好であるから広く集客も見込め郡山位の商圏を持つなら充分勝算はあるだろう。
もう一つのZARA HOMEは以前にうすいの記事でも取り上げたが、その後いくつかの店舗を実際にも見て来てなるほどこれは今までの店舗にはないセンスを持っていて、ZARA HOMEが郡山駅前に出来れば駅前の雰囲気をグンと高めてくれると確信した次第だ。例えば甘い香りに包まれた店内を見渡せば、日本人にはまず出来ない色使いやデザインのシーツや枕カバーが展示され、テーブルクロスやランチョンマットの上に並べられたカトラリーがこれがまたなんともオシャレなのである。
少々気になる事は、ニトリなどに慣らされてしまった郡山市民からするとやや値段が高いと感じてしまうのでかないかという点だが、それはニトリなんかには逆立ちしても出来ないデザインなのだから値段の高さはセンス料として甘受するしかない。さらにそのセンスゆえ、コタツに座布団である郡山市民のお茶の間にはオシャレなテーブルクロスやカトラリーとが相容れない可能性も高いw。しかしそこは無理くりにでも相容れてもらうしかないのであるw。
カテゴリ的にはLOFTと同じ雑貨店と言う事になるが、ZARA HOMEはリネンとカトラリーが中心となるので住み分けが出来るから競合という点では問題ないだろう。
とまあ色々と好き勝手な事を書いてみたが、実際どんなものになるかはテナント発表までのお楽しみといったところであるものの、しかし実際はどうってことないテナント構成になるかもしれないことを危惧するものでもある…。

ダイワロイネットの商業フロアは果たしてどのようなものになるだろうか
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ついでと言っては何だが、エリート39ビルも完成しそれぞれのテナントが営業を開始している。特に1階のPABLOというチーズタルトのお店は東北初出店であり、仙台より先に郡山への出店であるから郡山市民の琴線に触れてしまうに違いないw。いまのところは珍しさもあって行列も出来る程盛況なようで何よりだが、郡山市民は飽きっぽいので油断は出来ないのだ。

東北一号店は郡山市民の琴線に触れるw
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次は、ようやく工事が終了したタクシープールと乗降場である。予定工期は3月末までだった筈だが若干遅れ5月下旬でようやく完成したようだ。僕がちょっと見ていた限りではだいぶ混雑も解消しているようにはみえたし、一般車の降車場が杜の香りの前となったので、来客を駅まで送って来て降ろす際タクシーにクラクションでせかされるなんて事もなくなりそうだ。
無料駐車場がなくなった事でおそらく文句を言う人が出てくるだろうが、これは適当にあしらっておけばいいw。30分の駐車料金をケチる(別に個人の価値観だから責めることはしないが)人はまず駅前で金を使わないから真剣に取り合うまでもないだろう(駅前で買い物をすれば提携駐車場が利用できる)。それよりも駅に送り向かいに来た際に、乗降の安全を確保しスムーズな入退場を実現する事に視点を向けるならば僕はこの乗降場は及第点ぐらいはあげられるのではないかと思う。

ようやく出来上がった駅前広場はまぁまぁ及第点位はつけられると思う
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しかし市のホームページを見てみれば早速とでも言うべきか苦情を入れている人がいるが、これもまた適当にうっちゃっておくしかないw。完璧な乗降場を実現するならば、一般車とタクシーの出入り口を分離の上タクシープールと乗降場を立体交差とせざるを得ないが、一般車とタクシーの出入り口を分離するとなれば、出口交差点の信号の切り替わりの段階が増える事になるから結局出口の信号待ちでつかえてしまい混雑に繋がるだろうし、そもそもその整備費用を湯水のごとく使えるのならばなんぼでも作ってやるわい!と言ったところな訳で、結局カネの問題でそれが出来ないのだからまぁまぁガマンできる及第点のモノになれば十分な筈だ。
読んでみればタクシープールの台数が多すぎると書いてあるが(写真を見ると35台位か)、この位台数がいないと新幹線で郡山に帰ってきた際などタクシーがいなくなって乗れなくなってしまうし、タクシーとの平面交差が危ないというが誘導の人員をおいているのでもある。

タクシープールと一般車乗降場をビッグアイから見下ろす
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僕が思う事はいい加減ただギャーギャー文句を言って騒ぎ立てる事はもうやめるべきだと言う事だ。例えばTVをはじめとするマスコミが何かやらかした人を徹底的に責めたてる、そしてその当人がどうにもいたたまれなくなり自殺などしてしまうと沙汰止みとばかりに知らんぷりである。
また国会でも、野党がこれまた疑惑を追及するのであるが、しかしそれがブーメランで自分に返ってくる有様だ。これらに共通してダメなことは結局何の問題も解決していないことなのである。
これからの時代必要なことはただ文句をたれて騒ぐ事でなく、その問題に対して自分なりの考えを出し解決方法を模索していく事だ。
その事をふまえて僕がこの改修されたタクシープールと乗降場にあえて意見を付けるなら、AI(人工知能)が叫ばれるこの時代である誘導の為に人員を配置するのではなく車両を検出するセンサーを配置し、一般車とタクシーの交差部分もETCゲートの様な動作の早いゲートを設け、LED表示の案内版と合わせて車を誘導する流れをコンピュータによって行うといった事が出来なかったのかと言う点だ。今はセンシング技術も発達していて車両認識も可能だし、さらに出口交差点の信号制御とも連動させれば人が行うより優れた誘導が出来る可能性だってある。これからの人口減少時代、人とコンピューターとの役割分担を考える事も必要となってくるだろう。

混雑解消には効果があったように見える(たまたまか?)
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そして大町のダイエー跡である。郡山駅のペデストリアンデッキから眺めてみると解体が進み大分低くなってきたのが分かる。建屋があった頃は陰になって見えなかった穴吹のマンションが見通せるようになった。この調子で行けばお盆の前後には解体が終わりそうだ。解体後は暫くの間駐車場とするようだが、大町区画整理事業が進めば何らかの開発の動きとなるのだろう。ちなみにビルの解体ってユンボ自体が建屋に乗っかって壊していくものなんだねぇ。

解体が大分進んだダイエー跡は陰にあった穴吹のマンションが見える
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建屋にユンボが乗っかって解体を進める
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最後に東口に通じる東西自由通路をとりあげておこう。現時点で特になにか変化がある訳ではないが、以下の通りバリアフリー化の対応が行われるとの事でこれは素直に歓迎したい。ついでに動く歩道と、在来線ホームへ通じる改札も作れば尚よしであるが、まぁこれは急ぐ事はない追い追い整備すればいいだろう。

工事が始まった郡山駅東口東西自由通路
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郡山駅東口の改修工事にご協力ください(広報こおりやま 5月号より抜粋)
郡山駅東口のバリアフリー化を進めるため、来年3月の供用開始を目指し、改修工事を実施しています。工事に伴い、通路・駐輪場が仮設となりますので、ご協力をお願いします。

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▶改修期間
平成29年8月まで
▶改修内容
エレベーター、エスカレーターの設置

変化こそが存続のカギ Ati郡山

郡山駅西口の南側に位置する商業ビル。東邦精麦改め、現TOHOピクス株式会社が所有し現在はATi郡山として営業している。元々西友が西武業態で営業していたものだが、2000年に西友がザ・モール郡山として市内長者に移転し撤退した事から、ファッションビル業態に転換。その後、東日本大震災よる損傷を受けるものの、半年の休業中に修復を行いヨドバシカメラを誘致するなどして今に至る。
以前うすい丸井の記事にも書いた通り、撤退が相次いだ郡山の中心市街地において曲がりなりにも営業を続け西友時代から通算すると今年で40年となるが、同時期に建てられたが取り壊されるダイエー跡や新しくホテルが建設される丸井跡との明暗を分けたのは何だったのか考えてみたい。

昭和50年に営業を開始し今年で40年目になる
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その始まりは東邦精麦(当時)が、昭和50年郡山駅前一丁目の再開発事業として東邦精麦駅前ビルを建設し、そのテナントとして西友を引っ張って来た事に由来する。なぜ東邦精麦が駅前の一等地にこれだけのまとまった土地を所有できたのかは定かではないが(売却される前のダイエー跡や丸井跡、ビッグiには複数の地権者が存在する)、しかし単独企業がこの土地建物を所有していた事が後々プラスに作用する。

郡山に進出した西友は翌年業態を西武に変更するが、この業態変更は大いに当たったといえる。西友が地方都市の駅前に進出した店舗を「なんちゃって西武」としたものは郡山以外にも複数存在していて、セゾングループ内でのポジショニングは西武百貨店とGMSの間を狙ったものであったようだが、しかし郡山西武においてはそんな細かい事は何ら問題とはならず充分に高級な百貨店として認識された。
当時のデパートには良好なブランドイメージが相当に存在していて、さらに建屋にガラス張りのエレベーターを備えた郡山西武は外観からして先進的かつ都会的に見えたもので、地場資本で庶民的なうすいとではそのブランドイメージは歴然とした差があった。郡山では(このなんちゃって西武でも)「西武は高い!」とよく言われたものが、しかしそれは高級感との裏返しでもあるから、贈答の品物には田中一光作である青と緑の二重丸が描かれた西武の包装紙は絶大な威力を発揮し、送り主の自尊心と見栄とプライドを存分に満足させるものだったのだ。

また、この業態変更は郡山駅前に同じ昭和50年、ダイエーが大町に進出しており西友にとってみればGMSの雄であるダイエーとGMS業態で正面からブツかるよりも、百貨店業態として差別化を図るほうが得策だったと言う事もあったのだろう。郡山においてダイエーと激突したのは地元百貨店のうすいであり、その事からもうすいのポジショニングを伺い知る事が出来る。
ちなみに我が家といえば全く持って庶民的であり裕福な訳でもなかったから買い物は専ら「うすい派」であった為、残念ながら僕には西武の思い出はあんまりないのであるw。

当時はガラス張りのエレベーターが先進的だったが
今はガラスにフィルムを張ったのかあまり目立たなくなっている
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その郡山西武もバブル期には170億円と隣にあった丸井郡山店の倍以上の売り上げを誇る程だったが、ご多聞に漏れずバブル崩壊後の消費不況により1999年には赤字に陥いったこと、また西友本体が多額の不良債権を抱え揺れていたこと、またこの西友が運営するなんちゃって西武をLIVINに転換する政策を実施していたこともあり、市内長者にザ・モール郡山として移転する目途が立ったことから2000年10月15日をもって郡山西武を閉店することとなる。

西友郡山西武店が去った東邦精麦駅前ビルであるが、ダイエー跡や丸井跡と違ったのはすぐさま業態をファッションビルへと転換しAti郡山として営業を開始した事だ。ダイエー郡山店が閉店したのはバブル崩壊後の1994年、西友郡山西武店は失われた10年のさなかの2000年、そして丸井郡山店はリーマンショック勃発直前の2008年である。これらの時期を比べてみてもどの時期も経済状況が悪く後継テナントを見つけるのは厳しい状況だったといえるが、ダイエー跡や丸井跡と異なり見事Atiを開業させた。
とはいえそのような状況の中での開業だったこともあったのだろうファッションビルとしてAtiを見れば、なんとなく微妙な感じがしないでもないし僕にとってみればあまり目ぼしいものがある店ではなかったが、しかし福島県初出店となるタワレコやABCマートにスタバなども入っていたし、若者をターゲットとしたそれなりの商業施設ではあったと思う。それに何よりも空きビルとして放置されることなく多少微妙で有ったとはいえ業態転換を成し遂げて営業を続けたのは賞賛に値すると言えるだろう。

幸いだったのは西友という会社が意外と面倒見のいい会社だったことだ。ただ単に貸借契約が残っていて違約金を払いたくなかったからなのかは分からないが、Atiの運営は西友が行っていたようで後継のテナントを見繕って手当てしたり、Ati郡山開業当初は地下食品売り場に西友自らスーパーマーケットとして出店してもくれたのだ。普通で有れば違約金を払ってでも完全に撤退してもおかしくないからだ。

ファッションビルとして再出発し10年が経った2010年11月、東邦精麦は当時新幹線の高架下にあったヨドバシカメラをAtiに誘致するなどとしたリニューアルプランを発表する。これは西友との契約満了をもってと言う事だから、それまでAtiの運営は西友に依存していたといえるが、しかしその10年間に東邦精麦はテナントビルの運営に関し大いに学ぶことができたのだろう。アパレルをある程度諦めヨドバシを誘致するなどは中々の見識である。店舗を見ればわざわざヨドバシ専用のエレベーターを2基も増設するなどヨドバシ誘致にあたり相当譲歩したフシもみてとれるがしかしそれは些細なことに過ぎないだろう。家電業界で奢れるものは久しからずの状態で大量閉店に見舞われているヤマダではなく、なんといっても勝ち組とされているヨドバシを引っ張てこれたのだ。それにここ数年アパレル業界は惨憺たる状況でメンズはブランドを問わず整理されている傾向だし、ワールドは大幅縮小でイトキンなどは虫の息の状態だから今のところその戦略は見事当たったと言える。東邦精麦には社会情勢や商圏の各種要因から自社ビルのテナントには何が必要であるかを見極める眼力が備わってきたといえるのではないだろうか。

西武や丸井に代わりヨドバシが郡山市民の自尊心を支えるw
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さてここまでくればお分かりだと思う。つまりAtiが存続出来たカギは時代や社会情勢の変化に対して適合し、かつ変化を厭わず前進を続けた事だ。さらに加えて変化する為の意思決定を即座に下した事である。これが冒頭に書いたとおりこの土地建物の所有者が東邦精麦という一企業だった事がプラスに働いた。つまり決断が遅れてしまうと機会を損失するばかりか業績までもが悪化し会社が傾いてしまうことにもなりかねないゆえ、速やかに実行できたと言う事だろう。
対するダイエー跡や丸井跡がどうだったかといえば僕の勝手な想像に過ぎないが、複数の地権者が存在する事から誰か一人でも反対するなどで速やかな意思決定どころか空中分解してしまっていたのだろう事は想像に難くなく、跡地利用の解決までに相当の年月を要してしまった。さらに社会情勢の変化も鑑みず後継テナントには、ビルまるごと全フロアを一括で借り上げてくれるようなテナント誘致にこだわったようなことがあったのではないか。しかしそんなテナントはついぞ現れなかったと言う事だろう。

西友に始まった店が西武に代わりそしてファッショビルへ。さらに大幅なリニューアルを実施しヨドバシが入るなどして来たAti。しかし栄枯盛衰は世の常であるから、これとていつまで続くかは神のみぞ知るといったところだろう。しかしこれからもAtiには時代とともに次々と変化を続け、末永く郡山駅前で事業を続けてもらうことを願うものである。

郡山駅前の近況など 

今回はここ最近動きがみられる駅前の状況などを簡単にレポートしてみたい。

まずは大町のダイエー跡から。ご覧のとおり囲いで覆われ解体作業が始まっている。21年の長きに渡り郡山駅前衰退のシンボルとでもいえた負の遺産の解体は喜ばしい限りだ。

囲いがされ解体が始まった旧ダイエー跡
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福島テレビの報道によれば(youtubeにアップされていたけど消えてしまった)、建物内部は天井や内装のボードが剥がれ落ち雨漏りがするなどかなりひどい状態だったようだが、外から中をちょっと覗いた感じでは主要構造体の損傷は少ないようにみえる。おおよそ同じ時期に建てられたATiや丸井跡のうち、震災後ATiは修復のうえ再開し丸井跡やダイエー跡は解体となった。その明暗を分けたのは地震による損傷具合というより借り手の有無という事だったのだろう。

中をのぞくと柱などの主要構造体は損傷が少なかったようにみえる
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このダイエー跡が解体されると取り合えず跡地は駐車場になるようだが(余談だがダイエー別館跡は既に駐車場となっている)、解体によって停滞している大町区画整理事業の外堀は埋まったといえる。区画整理事業の推進と跡地の開発を期待したい。

ダイエー別館跡は既に駐車場へ
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次に駅前へやってきてATi前の横断歩道からタワークレーン2基を望む。手前がダイワロイネットホテルで奥がエリート39ビルだ。エリート39ビルは2年位前だったかこの界隈にある飲み屋のおやっさんに全フロアがカラオケ屋のビルになるという話を聞いたのだけど、でもその本人が「私もお客さんから聞いた話を別のお客さんにさもホントの事のようにしゃべるんですよ」と笑って言ってたっけ。という訳でこの話の信ぴょう性はゼロであるw。完成は2016年1月。1フロア約50坪で賃料は約75万円との事。

タワークレーン2基を望む
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ダイワロイネットを別角度から。こちらはは2016年10月完成で1F~3Fは商業フロアとなる。どの様なテナントが入るか楽しみでもあるが、賃料が物凄く高いとのもっぱらのウワサでとてもあんなところに入れないよという弱気な声もある。果たしてどうなる事だろう?

しばらくはタワークレーンの成長が楽しみだ
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次は駅前広場の駐車場へ。6月号の広報こおりやまに掲載されたのでご存知の方も多いだろうが、駅前広場の駐車場は廃止になるとの事。降車場がタクシーと一般車が入り乱れ輻輳しているところに、この30分無料の駐車場待ちのクルマの列が輪をかけて状況を悪くしてしまっていた。

広報こおりやま 2015年6月号より抜粋
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そもそも経済の原則を無視している時点でうまくいく訳がないのだから(駅に近く便利であれば駐車料金が高くなるのが当然)僕は常々この駐車場を廃止すべきだと思っていた。本当にちょっとした用事の為どうしてもここに駐車場を残したいというのなら、例えば30分迄は無料としそれ以降は30分毎に2,000円加算とする大胆な料金設定を実施し回転を上げるように仕向けるなどいくらでもやりようはあっただろう(そうすれば利用者は本気になって30分で駐車場から出庫していく筈で、現状は30分の料金で1時間止められる都合のいい駐車場になってしまっている)。仮にこういう料金設定であっても新幹線への送り迎えとか切符を買うとかなら十分だし、もしこれで苦情がでるなら「あなたはこの駐車場の本来の主旨から外れています」と回答すればいいのである。

クルマを締め出したレアなシーンの一枚
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この駅前広場が出来たのは2001年の事だが、当初からこの降車場と駐車場は混雑がひどく問題を抱えたままだった。今回ようやく対策が施され一般車とタクシーの降車場を分離を行い来年春の完成との事だが、それにしても15年というのは(生まれた子供が高校生になる年月だ)時間がかかり過ぎだといえる。
ダイエー跡が21年、駅前降車場が15年、丸井跡が7年とそれぞれ解決迄にかかっているが、このスピード感の無さは改めなければならないし、さらに中心市街地にはあと二つ太田病院跡と寿泉堂病院跡も残っている。問題を先送りすればそれはそのまま都市の停滞として返ってくるのだから、それならば問題は(100%でなくていいから)解決する事を郡山の市是とするべきだ。もしそれを実践できるなら街としての価値や魅力が増し、さらには都市間競争から頭ひとつ抜け出す原動力となるだろう。

普段はこのような状況
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例えばこの降車場なら、運用開始の最初の1年目は様々な問題が顕在化するだろうからそれらを把握し、2年目に改善案検討、3年目に改善策の実施といった具合で3年を1サイクルで回していけば、10年も経てば3回の改善が実施される訳で概ね使用に耐える及第点ぐらいの降車場にはなっている筈だ。市民にとってもただ年月が経過してしまったものと、年月を経ていけば問題が改善されているというならどちらが良いか比べるまでもない。より良い街を作り上げるにはこのような改善サイクルを回せるかにかかっているのだ。

降車場はタクシーと一般車が入り乱れる
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最後に東口である。郡山駅2階の自由通路を渡ってくれば数台の客待ちのタクシーと、家族の迎えを待っているのだろうかベンチに座る人など西口の喧騒とはうって変わって東口はのどかなものである。こちらは特に何か開発が進む訳ではないが、今年は平成27年度郡山駅東口周辺開発可能性検討業務と称する調査が行われるようだ。
その内容を見てみると、 「郡山駅東口周辺まちづくり構想に関する業務」の項目に「土壌汚染された土地の有効活用手法の検討」などとあるから保土ヶ谷化学の移転を前提として東口をどの様に開発できるかを調査するようだが、僕は現時点では東口の開発は反対である。それは地方都市において線路を挟んだ駅の両側がうまく発展しているところなどないからだ。例えば仙台駅東口は宮城野通りの整備や仙石線の地下化で見違えるほど綺麗にはなったが(仙台の専門学校にいっていた会社の先輩に聞くと昔はぐちゃっぐちゃだったとか)人通りは西口と比べ桁違いに少ない。新潟駅などは南口(新幹線ホーム側)にプラーカの開発を行ったものの経営破綻してしまっているのである。

郡山駅東口広場はのどかなもの
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政令指定都市レベルでもこのような状況だから郡山程度の都市で東口の開発を行ったら発展どころか西口をも巻き込んで郡山の中心市街地は共倒れになってしまうのではないか。そもそも現状で西口エリアがスカスカな状態にあるのだから、まずは西口エリアの発展に注力すべきだろう。郡山駅は新幹線と在来線が同じ建屋にあるという幸運にも恵まれているからそのメリットを最大限に活かすべきなのだ。
もし将来西口エリアが発展して手狭になって来たとか、保土ヶ谷化学が移転すると言う事になったならば、改めて東口の開発について検討すればいいだろう。調査をする事自体は否定はしないが、社会の変化が速い現代では前提条件が変わってしまい結局調査をやり直す必要があるだろう。

東口の最大のメリットは空いていること
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ただしこの自由通路だけは改修をしなければならないと思う。ハートビル法、交通バリアフリー法、バリアフリー新法などが入れ代り立ち代り施行されてだいぶ経つにも関わらず、バリアフリーの対応が全くなされていないのは問題であるし、意外と人の往来が多いので受益者もそれなりにいる事だろう。
あくまでこの東西自由通路は暫定的な措置だといってお茶を濁しているようだが、僕が働き始める前からこうだったから少なくても20年はこの状態にあり、とても暫定などとの言い訳は通用しない。
バリアフリー対応の為にエレベーターにエスカレーターの整備をするとともに、こんな変なところにあるぐらいならならここに動く歩道も設けるといい。さらに在来線の改札も作るなどすれば東口の利便性もあがり、駅への送り迎えなど交通の東口への分散も図れる。こちらは早急に対応すべきだ。

意外と人通りが多い東西自由通路
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追記
郡山駅東口周辺開発可能性の検討が正式に決まったので引用しておく。(月単価70万円として4人月の調査とはどの程度の物なのだろうか?)

【福島】玉野総合コンサルタントに委託/郡山駅東口周辺開発可能性の検討/UR(福島建設工業新聞社 2015/10/08)
 UR都市再生機構東日本都市再生本部は7日、簡易公募型競争(総合評価方式)で委託手続きを進めていた「平成27年度郡山駅東口周辺可能性検討業務」を開札。玉野総合コンサルタントが273万円(消費税別)で落札した。相札者はURリンケージ、日本設計。
 郡山駅東西地区のバランスの取れた発展を視野に、東口周辺開発の可能性を調査。PFIなど民間事業者との多様な連携形態も含めた事業手法等を検討する。駅東口周辺まちづくり構想として①検討区域の設定と現状把握②関係者意向、動向の把握③導入機能、土地利用ゾーニング立案④事業手法、事業展開イメージの検討などを行う。先進事例の収集や都市再生に関する技術的助言も含む。
 履行期間は28年3月25日。具体的な対象エリアなどは調査の中で詰めていく。

今は無き丸井の思い出 丸井郡山店

東日本大震災によって大規模半壊の認定を受けビルの解体をした旧丸井跡であるが、先日起工式が行われようやく新ビルの着工が始まるようだ。以下に新聞報道を引用する。

旧丸井跡地「複合ビル」着工 16年秋の開業目指す(福島民友 2015年4月25日)
 郡山市のJR郡山駅前で2008(平成20)年に閉店した旧丸井郡山店の跡地に複合商業施設を建設する大和ハウス工業は24日、現地で起工式を行った。ビジネスホテル「ダイワロイネットホテル郡山」を中核とした施設で、来年秋の開業を目指す。
 同ホテルは、大和ハウス工業グループのダイワロイヤルが全国展開し、県内初進出となる。鉄骨地上13階、地下1階で、総工費は30億~40億円。計画では1~3階は物販・飲食・サービスなどの店舗が入居、4階以上がホテルで、客室数216室を予定している。
 式には、大和ハウス工業や地元各団体の関係者ら約30人が出席した。神事では、渡辺靖彦大和ハウス工業福島支社長、関和夫三菱UFJリース常務がくわ入れし、工事の安全を祈願した。ダイワロイヤルの原田健社長は「郡山の玄関口のホテルとして地域に貢献し、最高の相乗効果を発揮して皆さんに愛される施設にしたい」とあいさつ。品川萬里市長が祝辞を述べた。


ビルを解体後、跡地にはホテルが建つとの報道があったが何故か囲いがされたまま1年近く放置されているような状況だったのでもしや計画が頓挫でもしてしまったのかと心配していたが、実は地下構造物を解体をしていて(つまり地上部分は大規模半壊で倒壊の恐れありと言う事で国の事業で解体したが、地下についてはその恐れは無いから自分達で解体しなさいと言う事)、計画そのものは進んでおり心配は僕の杞憂ですんだようだ。そこで今回は過去の思い出となった丸井について綴ってみたいと思う。

地下構造物を解体中の丸井跡 ビッグアイより見下ろす(2015年1月) 
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郡山における丸井の歴史は1975年(昭和50年)駅前へ進出してきた事に始まる。余談だがこの年は西友(業態は西武)やダイエーも進出してきた。今ではファッションビルのイメージが強い丸井だが、当時は月賦百貨店という業態で「赤いカードのクレジット」のコピー通り商品購入の際、普通に現金でも買えるのだが分割払いが出来るのが最大ウリだった。というよりむしろ分割払いを進められる位だった(その分の利息も取れるから)。今では分割払いなど珍しくもなんとも無いが、その頃はまだまだクレジットにはネガティブなイメージ付きまとっていた時代だったものの、先立つものが無くても商品は先渡し、しかし代金は後から分割でというクレジットの仕組みを世の中に受け入れさせた丸井の功績は大きかったとされている。
実は我が家でも当時丸井にお世話になっていてソニーのトリニトロンを月賦で購入し(正確な言葉だが月賦という表現が時代を感じさせる)、その支払いにもう亡くなった親父はまだ小さかった僕を(子守のついでだったのだろうが)丸井によく連れていった様で「お前は丸井のエレベーターのボタンを押すのが大好きだったんだ」とよくいっていたのを思い出す。西武やうすいと違い丸井にはエレベーターガールが居らず自分で操作できたのだ(エレベーターガールというのもこれまた時代を感じさせてしまう)。
さらにもう少し時が経ち小学生になった頃といえば、やはり最上階にあった森永レストランの事が思い出される。特に窓側の席に座れば郡山駅を一望でき、そこからタクシープールを見下ろして順列送りで出たり入ったりするタクシーを眺めているのが子供ながらに好きだった記憶がある。ちなみに昭和の時代は郡山に限らず、どこの丸井にも基本的に森永レストランが出店していたとの事だ。

その後バブル景気が訪れDCブランドブームの波に乗り、それらブランドを大量に導入した頃から今のファッションビルのイメージが定着したのだろうと思われる。この頃の僕は中学・高校の頃だったから、金の無い中高生には丸井と縁が無かった時期で業態の変わり目を見ることが出来なかったのが今となっては少々残念なところではある。

そして僕が社会人となり働き始めた頃になるとうすいの記事にも書いたとおりバブル崩壊の不景気とも重なって既に郡山駅前の衰退が始まっていた。1994年ダイエー(トポス)が撤退し、2000年西友も駅前の西武をたたんでザ・モールとして長者に移転、さらに新店舗での営業を開始したうすいは2003年に産業再生機構の支援第一号案件になるなど駅前の地盤沈下が顕著になるさなか、丸井は怯むことなく孤軍奮闘し衰退する郡山駅前において集客装置としての機能を存分に果たしてくれた。例えば、新年初売りの福袋目当ての行列ももちろん凄かったが、夏のスパークリングセールの時も、Ati前の交番がある横断歩道の信号待ちの間に人がどんどん溜まってきて、信号が青になると同時に横断歩道を渡り終えた人の列が丸井へなだれ込んで行く様子は圧巻で、正に人を飲み込む集客装置といえた。バブル崩壊以降は売上げが減少傾向にあったとの事だがまだまだその集客力は健在だったのである。
又、リニューアルしたうすいに対して丸井は、本来ライバル店であるうすいへエールを送る内容の垂れ幕を掲げる※など中々心憎い事もしてくれて、一緒に中心市街地を盛り上げようともしてくれたのだ。

※ここに写真が有りました。 こおりやま 緑の街角 丸井の撤退に思う

しかし、2007年2月丸井は突然郡山店閉店の方針を打ち出す。1991年に89億円あった売上げが年々減少し70億程度にまで下がっているというのがその理由だ。しかしこの発表に対し市や地元経済界及び地権者の動きは鈍かった。大して慰留のための工作をするわけでもなく、閉めるというのだからしょうがないよなとばかりにみすみす逃した感じなのである。
例えば秋田市では、2005年に秋田駅前のイトーヨーカドーの撤退騒動があった。その時秋田では市長は無論のこと県知事までもが自らイトーヨーカドー本社に出向き、賃料等の優遇をする事でどうにか撤退を翻意させているのに対し(その後、結局は2010年に撤退してしまったが…)、郡山では市長や商工会議所が翻意のために動いたなどとは聞こえてこなかったし、それどころか一部の地権者は丸井撤退後丸井に対し訴訟を起こす有様で、丸井からすればなんという仕打ちなのだと思えたことだろう。(ただこの訴訟はその内容がどうも断片的な報道しかなされず、詳細が不明であると言う事だけは断っておく。)

この丸井郡山店の閉店発表について僕の勝手な解釈をすると、売上げも落ちてきているので賃料を下げてくれないかという丸井側からのサインだったのではないかと思っている。それは、丸井水戸店を見てみるとそう思えなくもないフシがあるからだ。丸井郡山店の閉店後、次はやはり売上げが郡山と同程度の丸井水戸店が危ないと囁かれ続けた。そして2013年MYM(マイム:丸井水戸店が入っているビル)開業時から20年の貸借契約の満了が訪れる。
丸井水戸店の売上げを見てみると2008年は69億円だがここ数年は40数億円程度まで落ち込んでおり(参考までに直近の2014年は34億円)郡山店閉店時の70億を大幅に下回っていて、ここで丸井は契約を更新しないつまり水戸店閉店という選択肢もありえた筈だが、MYMを管理する水戸都市開発が賃料を棒引きするカタチでの5年の契約延長どうにか決めた事から上述のサインだったと想像できるのだ。水戸都市開発とすれば当然郡山の丸井閉店後、空きビルのままになっている惨状が頭にあって丸井の残留は死守だったのだろうし、賃料棒引きを受けて契約更新を決めた丸井水戸店は売上げが低迷してはいるものの今のところ営業を継続しているのだ。

閉店発表の1年後、結局丸井は当初の予定通り2008年2月29日をもって郡山店を閉店する。丸井の去った郡山駅前共同ビルは後継テナントも決まらず結局東日本大震災による損傷をうけて解体となるまで放置され続けたがそれは当然といえば当然で、そもそもダイエー、西友そして丸井と撤退し、地元百貨店のうすいが瀕死となる地方の中心市街地などに誰が好き好んで進出するものかと考えるまでも無く分かる事だし、よしんば進出したい企業があったとしてもテナントに対し訴訟を起こす等、企業経営のリスクになる様な地権者のいるビルなどに入りたい筈もないだろう。

では丸井をどうにか翻意させ、営業を続けていれば良かったのかと言われればそれは分からない。丸井閉店後リーマンショックが勃発し、東日本大震災の発生等自粛ムードが広がる等経済的な影響に加えて、都市間競争にネット通販やアウトレットの伸長など時代の変化にも見舞われているから結局は撤退という憂き目に遭ったのかもしれない。しかしそれでも5年もの間空きビルだった事の損失は大きかったのは間違いない事で、丸井閉店後郡山駅前の人通りが激減した事がそれを証明している。

ここで一つ苦言を呈するなら市や商工会議所そして駅前の地権者等々は、郡山市の中心市街地がおかれている現状というのをあらためて認識しなおしたほうがいい。それは冒頭に書いたように昭和50年丸井と共に西友やダイエーが一気に進出してくるなど、当時の夢のような盲想が頭の中に染み付いている事に加え、さらに東北2位の都市(本当に2位かもアヤしい)などというどうでもいいプライドにあぐらをかいていたとしか思えないような動きの鈍さなどを改めなければならないと言う事だ。所詮は地方の中心市街地に過ぎない郡山駅前ではあるが、しかしどうすれば企業が進出したくなるのだろうかと1から考えていかなければならないだろう。
引用記事の通り幸い跡地利用が決まり新しいビルの建設が始まるが、それとて震災によってたまたま旧丸井跡のビルを国の金で壊すことが出来たからに過ぎず、震災が無ければおそらくダイエーの二の舞になっていたのは想像に難くないのである。

いよいよ工事が始まった丸井跡。この横断歩道を渡り人が丸井へなだれ込んでいく様はもう見ることができない。
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1975年に進出し、2008年2月29に撤退した丸井。32年という年月の中で時代の流れと共に変化を重ね、僕の幼い頃の記憶とは全く違う店舗になっていたが、東北に唯一存在する北限の丸井として郡山市民の自尊心を大いに保つとともにw、長きに渡り郡山駅前の集客を担って来たことには違いない。既に解体も終わり丸井はもはや記憶の中だけに残るのみで粘着接客も今は昔の事となったが、ふと部屋にある丸井で買っただいぶくたびれたバックを(閉店発表の年に買ったからもう7年になる)見るとこんなことを思うのだ。

さて最後に跡地に建設されるビルにはホテルの他、一部商業フロアも併設されるが果たしてどのようなものになるだろうか?あくまでホテルがメインだから小規模なものになる様だがここは一つしっかりと検討してもらい、S-PAL、Ati、MOLTIにも引けをとらない様な小粒ながらも郡山駅前でキラリと光る商業施設となることを願ってやまないのである。
プロフィール

あさか野

Author:あさか野
郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

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