(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2019年5月)栃木県宇都宮市

シリーズ番外編の隣県の県庁所在地を訪れるの今回は栃木県宇都宮市。このシリーズは郡山と周辺の都市を横並びにして比較することによって、とある事象が全般的な傾向かそれとも個別の要因なのかといったあたりを検証するとともに、その有効な手立てなどを考えてみることをその主旨としている。とまぁ大層な事を言っているが、例によって中心市街地の商業施設と交通を中心に見て回るものだ。それはやはり都市の魅力といえばそのあたりが直結する要素でもあるし、さらっと見て回るには限度という事情もある。今回の宇都宮編で一旦シリーズ終了とするが(仙台が残っているが都市の規模が人口比で3倍も違うとなれば単純な比較ができないと思えるからだ)、その後については折を見て取り上げていく事にしたい。
さて、宇都宮であるが概ね似た様な距離にある仙台に比べ東北と関東の壁は意外に高いのかあまり繋がりがあるようには感じない都市でもある。事実それを表すように交通手段も高速バスは郡山から通じておらず、在来線は2回も乗り換えを要す。そうすると行くならば新幹線か車でという事になるのだろうが、一般的にはあえて宇都宮を目的にするという理由もあまりないのではないかと想像する。今回訪れたのは令和の初日でる5月1日、財力の関係もあって在来線での訪問である。

郡山から宇都宮に東北本線で向かうならば、まずはみどりの窓口で切符を買わなければならない。「在来線で宇都宮」と言ってるのに、「席は指定にしますか?」と窓口の人が聞いてくるので「ん?」と首をかしげてしまったら「あぁ在来線でしたね」と駅員も勘違いする始末なくらいで在来線で行く人などいないのだろう。券売機売り場には記載のない駅は窓口へと書いてあるし、Suicaは管轄違いで使えないと来ていて、在来線で宇都宮なんてのは、ほぼほぼ想定していない様子だ。

在来線だと2回も乗り換えなければならないと先述したが、2017年迄は黒磯駅での乗り換え1回で済んでいたものの、黒磯駅の直流化に伴い2回となった。もう少し詳しく書くと以前は黒磯駅が電化の方式である直流と交流の切り替え地点であり、架線に流す電気を交流と直流とで切り替えられる設備があって、東北からやってくる交流車両には交流の電気を流し、関東からやってくる直流車両には直流の電気を流すといった具合にそれぞれ切り替えて運用していたのだが、JRも面倒くさくなってもとい交流設備廃止による合理化や運用の負荷軽減(数年前切り替えにより感電死亡事故もあった)、また直流化によって黒磯駅を東京圏輸送管理システム(通称ATOS)で一元化出来るなどのメリットを重視したという事なのだろう。

しかしそうなると、東北の交流車両が黒磯駅に進入できなくなるので、どうするのかというのが鉄っちゃん的にはちょっとした話題だったのだけど、おおかたの予想は地方の閑散路線でおなじみのキハ40という煙を吐くポンコツ気動車で新白河と黒磯を結ぶ、あるいは大穴として烏山線を走っている充電式車両アキュムを黒磯で充電して新白河までバッテリーで走行し往復してくるなどと予想されていたが、実際はこれも大穴である常磐線でおなじみのE531交直両用車両で新白河と黒磯を結ぶことになった。(但し一部キハ40の運用がある)まさか常磐線のE531を持ってくるとは思いもしなかったけど、でもそれを新白河と黒磯区間だけに使うのはもったいないから、そのまま郡山まで延伸してくれればいいのにと思う(そうすれば乗り換えだって1回で済む)。ちなみに乗り換えの写真は新白河のみで黒磯は無し。というか新白河は同じホームから乗り換えられるのに、黒磯は乗り換え時間が短いのになんで遠いホームにそれぞれの車両を止めるんだ嫌がらせかよ…。

郡山から黒磯へは新白河で一旦乗り換え
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新白河から黒磯を繋ぐE531 郡山までの延伸を願う
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宇都宮に到着したら、まずはペデストリアンデッキから駅前周辺を見渡す。このペデストリアンデッキは設計年次が古いのか広場としての機能は考慮されていないようでやや狭く窮屈な印象だ。しかも床がタイル張りでボコボコでキャリーケースがガタガタしてこれは良くない。連休ということもあってか、餃子の像のところでは露店で餃子の販売していたけど、さらに見渡すと多分餃子待ちと思われる行列が見える(というかあちこちで行列があったりするんだけど、それは餃子待ちみたいだ)。こんな事をいうと怒られそうだが、名物とはいえ餃子だからそこまでムキにならなくてもと思う。個人的に地方の名物で海鮮ものを除くと(地物の海の幸は確かに旨い)これはうまいと思ったのは広島のお好み焼きぐらいだろうか。あとはべつに不味くはないけどまぁ普通といったところだ。

餃子の像の所では露店で餃子を販売中
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餃子待ちの列 宇都宮のあちこちでこういった列が見られる
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さて、駅前を軽く眺めたところで最初は福田屋宇都宮店である。宇都宮駅前(ララスクエアの裏側)から無料送迎バスが出ているので、それに乗って移動。さすがに10連休だけあって道路が空いてて10分位で到着である。同じ連休中の期間に郡山駅前に行ったついでにうすいを覗いて来たらガラガラで、そのあと飲み屋に行ったらマスターは、「今年の連休はどうなるかわかんね」などとこぼしていたけど、さすが宇都宮にけおる百貨店の雄である福田屋は結構混んでいた。

この福田屋について軽く説明しておくと、元々地場資本の百貨店で当初は中心市街地に出店していたものだが、だいぶ早い時期からモータリゼーション対応を睨み郊外進出を伺っていたとされ1994年この地に移転する。そしてその戦略は見事に当たり年々売り上げが右肩上がりというこの宇都宮店の成功を足掛かりに、インターパーク店も開業させるなど百貨店における勝ち組とされるようだ(尚インターパーク店については後程取り上げる)。ただ郊外といっても完全に郊外といった程でもなく、郡山に例えれば、ザ・モールあるいはイトーヨーカドー当たり位の感覚といえばいいだろうか。

その店舗を実際見てみるとイオンモールとはだいぶ異なる印象で、だだっ広いフロアに仕切りが無く、なるほどデパートの売り場を各階に振り分けるのではなく広いフロアに振り分けるとこういった感じになるんだなといったもの。売り場や商品構成はファミリーから上の層をターゲットにしているようだが、だからといって若い人が居ないというほどでもなく、若い世代にファミリー層そして中高年と満遍ない客層だった。今でこそ旗艦店をインターパークの方に譲っているが、それ以前は宇都宮初出店のようなテナントはこの福田屋宇都宮店であることが多かったとの事で、成功の秘訣は郊外化で有るとともに自らに求められている役割を見極め、そしてそのサービスを消費者に提供してきたと言うことだろう。

福田屋は郊外進出を見事に成功させる
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福田屋から再び送迎バスで宇都宮の駅前へ。宇都宮はJRと東武の二つの駅があるが、JRの方は駅自体は大きいものの周辺の商業施設というと、このララスクエアだけになる。その名前からもわかる通りららぽーとやアウトレットを擁する三井不動産が運営する商業施設で、元々ここにはイトーヨーカドー系列のロビンソン百貨店があった場所だがそのロビンソンの閉店後、事業再生という事でララスクエアとして三井不動産が開業させたものだ(この建物の権利の一部を三井不動産が持っているようだ)。三井ショッピングセンターは店舗によって名前を変えてくる傾向があって、川崎はラゾーナだし、新潟はラブラ、仙台はララガーデンでこの宇都宮はおそらく建物の見た目から来ていると想像するが(正面から見ると四角に見える…そうではなくて人が集まる広場の意味からとったのかもしれないが)、ララスクエアである。

店舗の構成は上層階にヨドバシそしてゼビオスポーツのエクスプレス店があって、その他はこういっちゃなんだがどうでもいい店舗が入居していて上層階はともかく下層階はかなり微妙な印象をうける。店舗を眺めてくればなんだか郡山のAtiとそっくりで、以前僕がAtiを取り上げたとき、大甘でべた褒めな記事を書いたと思った人もいるかもしれないが、あのららぽーとを擁する三井不動産が、郡山より人口の多い宇都宮の駅前で運営する店舗がこの程度であって、地方にある田舎の一企業に過ぎない東邦ピクスが(内容をパクっただけかもしれないけど)同じような店舗をより人口が少ない郡山駅前で運営できるのなら、上出来ではないかと思うのである。そういえばAtiはそろそろ耐震補強工事が終了する筈だけど外装キレイになるのかな…おっと今回は宇都宮の記事だ。ララスクエアの感想を書いておくとヨドバシはどこの店舗に行ってもヨドバシであるし(無用にα7にレンズを付けて弄って来る訳だが)、ゼビオも然りである。その他店舗はまぁあれだけど、時間が夕方頃だったので地下フロアの休憩スペースなどは高校生のたまり場になっていて、なるほど高校生をターゲットにした店舗構成というわけだ。

ちなみに全くの余談だけど、ララスクエアの外には簡易的なステージがあって、訪れたときは高校生の大道芸人だとか、双子の御当地アイドルとかの軽め催しがあった。その内容はともかくとしてwこれはいいなと率直に思う。結構都会に行くと駅を出た広場でギター1本だったり、キーボードを弾きながら歌っていたり(へったくそだなぁこれではダメだねとかw)する人が居るんだけど、個人的には結構こういうの嫌いじゃなくて、郡山でもどんどんやったらいいのにと思うものだ。これからはダイバーシティというか多様性が求められているの時代だし、世の中には色んな人がいるからこそ面白いのだ。

ララスクエアは郡山Atiのような感じ
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とここまで書いたら、以下のような報道があったので引用しておく。

「ララスクエア」売却へ 三井不動産 宇都宮駅前、名称変更も(下野新聞「SOON」ニュース 9/26 9:44)

JR宇都宮駅西口の商業施設「ララスクエア宇都宮」の区分所有権を持つ三井不動産(東京都中央区)が、商業開発を含めた不動産開発の日本エスコン(東京都千代田区)に区分所有の土地、建物を売却する方向で調整に入っていることが25日、関係者への取材で分かった。日本エスコンは「調整はしているが、まだ公表できるものはない」(広報担当)としている。三井側が所有者でなくなれば、ララスクエア宇都宮の名称は変更される可能性が高い。

宇都宮パルコ閉店、別れに涙 22年にわたり若者文化をリード
 ララスクエア宇都宮が中核となる再開発ビルは、地下1階、地上11階、駐車場440台の延べ床面積約7万8千平方メートル。うち三井不動産は共用部分を除く地下1階から7階までの商業スペースなど過半を区分所有する。ヨドバシカメラをキーテナントに、服飾雑貨、書店、100円ショップ、音楽ショップ、飲食店など約60のテナントが営業する。

 三井不動産はララスクエア宇都宮を売却する方針といい、広報部は「(所有物件など)どの資産を組み入れて、どの資産を切り離すか、ポートフォリオ(リスク管理のための資産構成)の見直しの一環」と説明する。売却先については「基本的に商業施設を前向きに考えてもらえるところ」とし、今後のスケジュールなどの回答を控えた。

 三井不動産は、県内初となる第1種市街地再開発事業のJR宇都宮駅西口第1地区の中核事業者として参画した。再開発ビルは1990年に完成し、イトーヨーカ堂系のロビンソン百貨店を誘致した。同百貨店が2003年9月に撤退した後、三井不動産の子会社が05年4月からララスクエア宇都宮を営業している。

 日本エスコンは、東証1部上場企業で、マンション分譲や商業施設運営などを全国的に手掛けている。


確かに店を覗けば、この先を見通すには心許ないのは客としてみても受ける印象だし、今後東口側の再開発による複合施設に併設される商業施設などのことを考えると、この辺で損切りしたい思惑もあったのかもしれない。後述するパルコ閉店のこともあって負の連鎖が続いているような感じだが、近年宇都宮に限らず地方の儲からない店舗の閉鎖が相次いでいて、いよいよ大手も余力がなくなってきたということなのだろうか。



さて、翌日は宇都宮の中心市街地を見て回ることにする。JR宇都宮駅から西に延びる大通りを進み(もう存在しない)パルコの角を曲がって(バンバ通りというのかな)歩いていけば、宇都宮城の土塁と櫓が見えてくる。
この宇都宮城は江戸時代初期に本多正純の大普請によって周囲4kmにも及ぶ大城郭に作り直され、さらに徳川家康死去後は日光東照宮参りの拠点として重要なお城だったとの事。
しかし、幕末の戊辰戦争時に城下の町と共に焼失し、明治になると払い下げられるなどして建物などはほぼ無くなりお濠のみが残り、そのお濠では蓮の栽培やら鯉の養殖なんかをしていたようだが、さらに時代が進み第二次世界大戦後になると戦災復興で残ったお濠も埋められ(東武百貨店のあたりまでお濠があった模様)本丸部分の土地のみとなるものの、平成になるとやはりというかお城があった都市の例に倣ってお城の復元を実施し現在の形になったとの事だ。

清明台櫓に向かって右側はなんとなくそれっぽいが…
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その復元叶った宇都宮城を見てみるとかなりイマイチというか残念な感は拭えない。それは写真にある清明台櫓に向かって右側は、お濠に土塁がありその上に櫓が建つなどそれっぽいのだが、左手側が全くもってダメで左手側に回ってみると途中で土塁が途切れハリボテ見たいな感じになっていているのだ(びんぼっちゃまの家を思い出してしまったぞw)。
確かに展示されていた古地図と現在の地図を重ね合わせた展示をみるとわかる通り、相当に広い範囲がお城の敷地だったのがわかり、もう民家など別の建物が沢山建ってしまっていて往時のような復元は困難だったということもあった中で、それでも何とか
史実に近い形での再現をしたのだというが、その制約事項もあり結果は残念な物になってしまった。

左側から回り込むと何だかハリボテのよう…
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しかしそうであるならば、無理をして史実に忠実というのではなく、モチーフとしてお城を頂き現代的な要素を加味した広場として整備する方法もあったのではないかと思う。写真の通り土塁にはバリアフリーも考慮しエレベーターなんかもついている訳だし、例えばお濠も(実際かなり浅い)もっと浅くして、子供たちが水遊びが出来るような形にするのも考えられるし、今では清明台櫓から見えなくなってしまっている二荒山神社を見渡せるような高層化など、ちょっと考えただけでもいろいろ思いつく。確かに歴史は大切なのは理解できるがそれにとらわれ過ぎといえ、もっとイマジネーションを豊かにして現代に復元するお城と都市を融合するにはどうあるべきなのかを考えてほしかったと思った次第だ。
いやそれでも歴史に忠実なのがいいのだというのならば、名古屋の河村市長よろしく、消防法もバリアフリーも突っぱねて木造の高層建築を断行する位の気概をもってやればいいだけのことだ(まぁその気概がないからこんな結果になる訳だが…)。

清明台櫓からの眺め 往時は二荒山神社を望めたのだろう
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さて、次は宇都宮城からほど近い所にあるカトリック松が峰教会である。この教会は地元から産出される大谷石で作られたもので、その大谷石が持つ和のテイストをふんだんに醸し出している教会の建物を見るとその西洋的なイメージと相反するものがあってなんだかおかしくなってしまうものだ。

なんというか和のテイストな大谷石造の教会
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しかしなから、あれこれ撮影していると次第に違和感がうすれ案外馴染んでいるじゃないかと、思えてもきたりするものだ。そもそも教会は石造りである訳だし、石材との親和性は高いわけで当然といえば当然なのかもしれない。なお宇都宮の街を回っているといかにもご当地らしくこの大谷石がチラホラと存在しているのが伺える。ちなみに大谷石関連でいうと大谷石の採掘場所だったところを見学できるようにした大谷石資料館というのが東北道の西側にあるので、興味のある向きは訪れてみるといいだろう。異次元空間へトリップした気分を味わえて中々面白いゾ(涼しいので夏に行くのがおススメだ)。

でもしばらくすると意外と大谷石が馴染んでいるように見えてくる
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教会の中に入ると特に何かが行われているという訳でもなかったが、パイプオルガンが演奏されていた。柱も大谷石なんだなぁと思いながら見物し、椅子に座ってそのパイプオルガンの音色をしばらくぼんやりと聞いていたのだけど、それはある意味非日常的でかつ新鮮な雰囲気だったのには違いないが、しかし少しというかなんだか落ち着かない感覚があったのも事実だ。多分それは教会という場所に対して信者でも何でもない僕自身がどうふるまうべきかという疑問から来るものだったのだろう。

内部も柱は大谷石 ここからは見えないが誰かがオルガンを演奏していた
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松が峰教会を見物後は東武宇都宮駅である。宇都宮城の近くであることからもわかる通りこちらが宇都宮の中心地という事になるのだろう。同じ都市の微妙な距離に核となる拠点が複数存在するというのは中々厄介な話で、例えば岡山県の岡山市などもJR岡山駅・地下街・イオンモール側と県庁・天満屋側とで若干離れており、それのおかげで路線バスは微妙な距離を西へ東へ行ったり来たりしていて、さらにそれを見て回る方も面倒と何かと非効率だったりする訳だ(ただ僕が見に行った時は天満屋側がだいぶ劣勢に見えた)。ただ宇都宮といえば、JR側は今のところあんまり施設がないので中心市街地といえば東武側が主体となるのだろうか。

宇都宮の中心地といえば東武宇都宮駅のほう
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この東武宇都宮駅は東武百貨店を併設しているというか一体となった作りで、鉄道会社が百貨店も運営している典型的な例だろうか。改札口を振り返ると百貨店の入口があるのはいいのだけど、建屋の増床を繰り返してきた経緯もあって、特定のフロアだけが異様に広かったり、動線が複雑で迷路のようでその印象は何というか古典的なデパートというものである。

東武宇都宮駅は東武百貨店と一体化した作り(改札を振り返れば店舗入り口)
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かつて宇都宮の中心市街地は百貨店の激戦地で、上野、福田屋、丸井、十字屋、山崎、西武、ams宇都宮、パルコそしてロビンソンなど地場と中央資本とが入り乱れ完全なオーバーストア状態だったそうだ。当時のことはわからないが、これだけの店舗が中心市街地に集積していたのだから相当賑やかだったことは想像に難くないものだ。しかし、バブル崩壊や特に郊外化に舵を切った福田屋がゲームチェンジャーとして市場の状況を変えてしまうと、これらの店舗は次第に淘汰され現在ではこの東武百貨店を残すのみとなった。
この東武宇都宮は、地場の上野百貨店との戦いを制し地域一番点の座を奪還し長らくその座につく。店舗そのものの古さは否めないのだが、なるほど確かに富裕層というかお得意様のようなそういった層をしっかりつかんでいる印象があった。先述した通りこれだけあった店舗が今では東武だけになってしまったこともあって残存者利益という部分も大きいのだろうが、しかし駅と一体となった作りもあってこの地を離れる事も出来ないだろうから、いつまでこれが通用するのかといったところが懸念材料なのだろう。
一応ライバルであった上野百貨店が郊外に討って出て、結果討ち死にしてしまった大田原店に居抜き出店した東武大田原店があって百貨店未満スーパーマーケット以上の絶妙なささじ加減で、そこそこやっているというがそれとて微々たるものなのではないだろうか。

宇都宮の中心地に数多くあったデパートも今では東武百貨店のみ
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丁度、昼近くになってきたので東武宇都宮のレストラン街にあった餃子屋で餃子を頂いたわけだけど、まぁやっぱり普通に餃子って感じだ。

一応お昼に餃子を頂くがまぁ普通に餃子だ
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さて東武宇都宮からオリオン通りというアーケード商店街が続いているのでこれを歩いてみる。このオリオン通りは見た範囲ではまだ商店街の体をなしているように思えるが、その商店街の体とは何かといえば、これは個人的な基準だが日中営業している店があるという事だ。郡山のアーケード商店街も惨憺たる状態だから、人のことは言えたもんじゃないけど高崎銀座も酷かったし、新潟の古町モール5・6・7も酷かった。それを思えば日中開いてる店も結構あったし(やはり飲食関係が多いようだ)、歩いている人もそれなりにいる印象ではあった。

オリオン通りという宇都宮のアーケード商店街はまだ商店街の体をなしていた
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そのオリオン通りを歩いていくと一角にイベントスペースがある。オリオンスクエアと名付けられているその場所はもともとams宇都宮があった場所だ。このamsというのは割賦百貨店を経営していた緑屋を由来とするものだが、経営が芳しくなく後にセゾングループ入りし、実質的には西武業態で各地で営業していたものだ(さすがに宇都宮には別途西武も存在したので西武は名乗ならなかった様だ、ちなみに仙台にあったものはams西武と名乗っていた)。セゾングループは西友が運営する西武なんてのもあって(郡山や水戸にあったヤツだ)、西武の看板を掲げて営業するなんちゃって西武はセゾングループの常とう手段であるが、それはともかくamsがあって今のドンキの所にも西武があってさらにパルコも存在するなど、セゾングループは宇都宮が大好きだったみたいだけど(東武に対するあてつけか?)結局はのちに述べる2019年5月のパルコ閉店をもってすべて撤退となった。

ams自体は2001年1月で閉店となり、その後何を思ったのか東急が109を出店するもわずか4年で閉店。結局は建物を解体し宇都宮市に譲渡されイベント広場になった。オリオンスクエアと名付けられたこのイベント広場は幸いにもそれなりに需要があったようなのだが(2017年の稼働率は74%)中途半端な屋根しかなく天候がイベント開催の障害になっているとの事で(整備当時はそんなに利用されると思わなかったのだろう嬉しい誤算ではないか)、新たに全天候型のものに改修されるとの事だ。今回訪れた時は特に何もやっていなかったけど、こういったちょっとしたイベントは街を彩りを添えるものであり、別に中心市街地はモノを売りつける店ばかりではなくただ何となく出かけていっても楽しめるのものがあるのは重要な要素といえるだろう(ちなみにこの壁の一部は大谷石だ)。

ams宇都宮⇒109⇒宇都宮オリオンスクエアと変遷し今後は全面屋根に改修される
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オリオン通りが途切れたところで再びパルコの方に戻ってくると、二荒山神社がある。正面に堂々たる大鳥居を構え、参道が山の上まで伸びる。主祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)で承和五年(838)に遷座したのに由来する長い歴史がある神社だ。夏祭りの二荒山神社天王祭ではこの階段をお神輿が駆け登るそうでその光景はさぞ迫力がある事だろう(10段くらいの階段の安積国造とは大違いだw)。えっちらおっちら参道を登り(そこまできつくはないな)お参りをしようとすれば、地元民なのか観光客なのかは分からないが参拝者もそれなりに多い印象だ。順番待ちをし二拝二拍手一拝で参拝を済ませれば、ふう~っと安心するというか先ほどの教会とは違って心が落ち着く。特に信仰が深い訳でもなく有難いとなれば何でもあやかろうとする節操なしだがw、やっぱり日本人だなと思う。

宇都宮中心市街地のシンボルである二荒山神社
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境内に向かう階段 段数は95段 これぐらいならそれ程キツくない
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地元民なの観光客なのかは不明だが結構お参りする人が居た
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参拝を終えて境内から街並みを見下ろす。往時はきっと宇都宮城が見通せたのだろうが、現在はパルコがその存在を主張している。そして階段を降りて鳥居を見上げれば左右共にビルがそびえ、市街地にあることを思わせるものだ。元々この神社の左右というか東西には先程チラッと書いた上野百貨店というのが、本館と新館で存在していたようだ。地場の老舗であった上野百貨店は東武と一番店の座を争って来たが、70年代の増床が周辺商業者の反対で頓挫、80年代は今のララスクエアの場所に出店を模索するも実現せず、そうこうしているうちに店舗が旧態化、バブル崩壊後は店舗縮小の憂き目に遭い競争力を失っていく。
その後、福田屋が郊外移転を成功させたのを模倣したのか、起死回生の一手として郊外出店をしたものの見事にコケて自己破産となってしまった。元々地元の名門で増床や宇都宮西口の新店舗への気概もあったのだからそれが出来なかったのは悔いが残った事だろが、かといってもしこれらが実現できていたならば、現在も生き残れたかは全くの未知数だ。特に最後の一手となった大田原店は、名門がゆえの高級路線で失敗したといわれてるから、時代を読み違えたというより時代の変化に対応できなかったようで、結局は遅かれ早かれだったのかもしれない。
その後、しばらく建屋は廃墟となっていたようだが、再開発事業により現在のマンションやオフィスビルに生まれ変わったものだ。きっとそんな時代の移り変わりを悠久の歴史を見つめてきた二荒山神社の豊城入彦命は見届けているのだろう。

境内からパルコが見えるが往時は宇都宮城が望めたのだろう
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ビルに囲まれた鳥居が中心市街地であることを思わせる
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さて、中心市街地の最後はパルコであるが、既報の通り2019年5月をもって閉店となっているが、数年前に訪れた時点からやはりその活気が失われていたのは否めなかった。そもそもご覧の通りパルコのロゴ自体が古いタイプのままで、積極的な投資が宇都宮店になされていなかったのが伺えるし、その当時からファッションビルとはいうが大部バラエティストア寄りな状態になっていた印象があってなんだかその辺の店と代り映えしない状態だった。そりゃ昔のようにクソ高い服ばっかり売っていればいい時代ではないだろうが、郊外店の台頭に対しうまい対抗策を見出せていなかったそんな感触を受けていて、今回パルコ宇都宮店の閉店の意向が伝えられた際、ここ数年水戸や新潟などの中心市街地で閉店した大型店と同じような空気が流れていたと個人的には思っていたから、あぁやっぱりそうかと最後というのはこういうものなのだなと、1Fのスタバでコーヒーを飲みながら感慨にふけっていたものだ。
今後このビルがどうなるかはわからないが、宇都宮ではララスクエアも売却方向とされているからその先は暗いが、妄想をいえばイオンあたりがオーパで出店し北関東3県制覇というのはどうだろうか。でもそのオーパも高崎はともかく、水戸は惨憺たる状態といわれているからそれも無いのかもしれないな。

2019年5月31日をもって営業終了
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一通り中心市街地の店舗を見て回ったので、一旦JR宇都宮駅に戻りここから東側の郊外へ移動しベルモールへ。福田屋と違って無料の送迎バスはないのだけど、東口からベルモール行の路線バスが出ている。駅から4kmも離れているのに運賃は170円というのは素晴らしい(郡山の福島交通だったら300円は取られてしまう距離だ)。これはある程度バス利用者がいるからこそ実現できる運賃なのだと思う。近くに大学が存在するから恒常的な利用者があるのも大きいのだろう。

ベルモールの門構えはやはり大谷石
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このベルモールは、イトーヨーカドーを核としたショッピングモールだがその印象は以前訪れた群馬の前橋にあったケヤキウォークを思い出した。つまり巨大過ぎず1つはこういう店があると便利だという印象だ。向かい側には連絡通路でつながってるシネコンもあるし、それなりに店舗もそろってる。動線がイオンモールと違って吹き抜けの両側が通路で店舗という構成でないので、初めて行くと戸惑ってしまうがこれは慣れの問題で大した事じゃない。むしろイオン臭くないところが今となっては価値があるようにも思えてくるものだ。こうしてみると福島県は商業施設については完全に遅れてしまったと感じる。それは例の出店規制条例だが、郊外を規制するなら中心部の出店を推進加速するような仕組みとセットになるべきだがそれは無いし、つぶれたら廃墟になるなどとつまらない言い訳に終始している。震災復興だって元に戻すこと、あるいは来てくださいと言うばっかりで、新しい魅力・価値を創造していく視点も欠けていて、今後の大計を奴らに任せるには不安を拭えないと言わざるを得ないだろう。

宇都宮東部の郊外にあるベルモール こんな店舗があるとやはり便利だ
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道路の向かいのシネコンとは連絡通路でつなぐ
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ベルモールからは再び戻ってきて宇都宮駅の東口へ。キャパシティー的に苦しく、一般車がバス乗り場に入り込みクラクションで追い立てられ殺伐としている西口に対し、その喧噪がうそのようにのんびりしている。せっかくの広い敷地も餃子屋が並ひなんだか殺風景な場所だが、元々はJRの施設があってそれが廃止され本来再開発がされる筈だったのだが、2008年のリーマンショックで再開発が頓挫。とりあえず暫定的にこのような状態になってしまったの事だ。
結局10年近くその影響を引きずったものの、しかしそれがようやくここにきて動きが出てきた。昨年コンペを実施して野村不動産を代表企業とする「うつのみやシンフォニー」のプランで東口整備を実施すると協定を締結。プランではコンベンション施設を核として商業施設、病院、ホテル、オフィス、マンション等を一体的に整備する計画だが、果たしてどのようなものになるだろう。、後述するLRTも含めて宇都宮の大計を担うべきものでなければならないが、絵に描いた餅な気がしないでもない。コンベンション施設はそこまで広い風でもなさそうだし、VIP対応のホテルと謳っているがホテルブランドは不明だ(いつの間にかビジネスホテルに代わっていそうだ)。商業施設だってパルコの件もあってテナント探しに苦労しそうだが、まぁせっかくの明るい話題だここはひとつ上げ足を取らずその完成を待ちたいものだ。

窮屈な西口に対して余裕のある東口
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宇都宮駅の東口広場 餃子屋が並ぶ
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広い敷地はリーマンショックの影響を引きずり大した利用もされず殺風景
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さて、宇都宮でもう一つの話題を言えばそれはLRTだ。構想段階から紆余曲折を得てようやく工事に着手し2022年3月の開業を予定する。そのルートは東口から隣町の本田技研の工場迄。元々軽便鉄道があったとか何らかの鉄道路線を転換するのではなくわざわざ新設するのは初なのだそう。
なぜ、地下鉄やモノレール等の新交通システムではなくLRTかといえば、それはやはり金額的な物と想像はつく。普通の鉄道ですら今は法的に踏切が作れないから(立体交差にする必要がある、茨城で延伸するひたちなか海浜鉄道はそれで苦労していると聞く)、その負担が少ないLRTにお鉢が回ってきたのだろう。
車社会である宇都宮であえてLRTを整備する事について、その結果がどう転ぶかは不明だが個人的には推したい事業だ。郡山もそうだが移動手段が車に依存しすぎている状況というのは環境負荷も高いし個人のお財布の負担も大きい(車に税金ばかりかけやがって‼)。根っからの地元民だと公共交通が発達していることの良さは中々理解できないものかもしれないが、歩いて暮らせる街といのは中々良いものだ。ただ、実際LRTが道路を走りだすと、はじめのうちしばらくは結構車の運転手は混乱するんじゃないかな(以前路面電車が走る広島に行ったとき車はどう走っていいんだか分らなかった事がある)。

駅からまっすぐ伸びる道にLRTを整備。
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2022年LRTがデビュー
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東西を結ぶ連絡通路では現在LRTをアピール中
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そろそろ日も傾いてきたので今日はここまで。連絡通路を渡りながら外を眺めると郡山のようにJR郡山工場やら、日本オイルターミナルやらの留置線が多て連絡通路が長いという事は無くて、案外留置線が少なくてそのおかげで連絡通路も短くて済んでいる。丁度止まっているのは上野東京ラインか湘南新宿ラインの車両だ。宇都宮に限らず北関東三県は、上野東京ラインや新宿湘南ラインで概ね2時間程度で、東京方面へ行くことが出来る。これは非常に便利なことだが大きな悩みの種だともいえる。どいう事かといえば、それは東京の脅威とそれに付随する南北問題だろう。

2時間といえば郡山市民に分かりやすく例えると高速バスに乗って仙台に行くくらいの感覚だ。それ位の感覚で首都たる東京へ行けてしまう訳だから需要の流出というのは相当なものになるのではないか。しかも高速バスなどはたかだか1台50人程度だが、鉄道車両となれば、1編成で何百人と運んでしまうのだ。むろん全員が全員東京に行くわけではないが、その人員輸送量は圧倒的といえる。さらに県の南部に住む人たちは、東京の方を向いていて県としての求心力が弱いということもあるだろう。行政的な手続きなどはともかく、それ以外のことならやはり北ではなく南の志向が強いのではないだろうか。以前栃木県の佐野出身という人と仕事をした事があって、その人は言うには佐野はそんなに訛ってないですよと、酷いのは宇都宮から北です(暗に一緒にしてくれるな)と言いたいようだったがw、そんなことからも南北問題を感じた次第でもある。

宇都宮駅の留置線はそれほど多くない 停車するのは上野東京ラインか湘南新宿ライン
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さて3日目はインターパークへ。これも宇都宮駅から無料送迎バスが出ているのでこれを利用するが、時刻表には10時台が始発みたいに書いてあるが実際は9時台が始発である。ただ9時台のでインターパークに行ってもまだ店が開いていないから、主にこれは従業員向けのものなのかもしれない(別に一般の人が乗っても構わない)。

始発までちょっと時間があるので駅前を眺めてみる。そうそう宇都宮のバスはなぜか、前乗り前降りで後ろの扉は締め切りになっている。だからバスに乗るときは一旦降りる人を待たなければならないというなんだか頭の悪い運用がなされているが、その理由は昔からそうだからで詳細は不明なんだとか。今はSUICAには対応しておらず関東自動車とJRで共通の磁気カードで精算できるが、LRTの開業とともにSUICA対応と前降り後乗りに直すそうだ。
ただバスロケーションシステムはここ数年で導入しているが、みちのりホールディングスに属するバス会社では今のところ関東自動車だけだから、バスロケーションシステムは費用的に導入のハードルは相当高いのだろう。定時運行が難しい路線バスはこれあるだけで気分的にだいぶ違うから、福島交通も郡山だけでもいいから入れてくれなかなぁ。

宇都宮のバスは前乗り前降りで後ろドアは締め切りだから前扉に出入口とある
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送迎バスは宇都宮駅を出て30分弱でインターパークに到着する。スタジアム、カトレアガーデン、ビレッジ、ケーズデンキ、東京インテリア、FKD、カワチ薬品、ジョイフル本田と一筆書きで回っていくので、降りるのはともかく乗るのはスタジアムからじゃないと乗れなくなってしまう可能性がある。特に休日の午後の便はちょっと危ない。まずはインターパーク南端にある終点のジョイフル本田からである。

ジョイフル本田といえば極めて巨大な店舗を郊外に展開しているホームセンターだ。基本的にはホームセンターは巨大なものだが、ジョイフル本田はそれが特に顕著で店舗数は15位しかないのに業界で上位に食い込んでいる程だ。以前茨城県のひたちなかにあるファッションクルーズの店舗には行った事があるのでその大きさには驚かないが、実際見て回れば広いフロアが2階建てになっており1階部分は探せば何でも出てきそうな感じではあるものの、2階部分はペットショップと住宅リフォームコーナーになっていてさすがに若干その広さを持て余し気味にも見える。昨年売り場面積を2倍に増床した千葉店が大コケするなど若干の躓きも見られ、巨艦店舗戦略はこれからが正念場といったところだろうか。

ただちょっとびっくりしたのはそのホームセンターより、併設している食品スーパーの方である。ジャパンミートと称するこのスーパーはジョイフル本田と業務提携しジョイフル本田に生鮮館として出店しているが、まだ10時前だというのに客がわんさかいてこの盛況ぶりに対しては驚きを隠せなかった。同じインターパークのFKDにも食品売り場があるし、ここまで来なくても近くのスーパーだっていくらでもあるだろう。その秘密は何かとい売り場を見て回ればすぐに分かる値付けが確かに安いのだ。実際には品質や鮮度、御惣菜なら味も含めてトータルに見たうえで、安い方がいいのか、味や質のバランスが取れたものがいいのかを判断しなければならないが(あまりの安さの追求は偽装や不正を生む温床になる)、とはいえ消費者は安さには弱いのだろうジャパンミートの戦略は安さを徹底的に訴求するというもので、わざわざここまで客を来させる集客力は見事としか言いようがないものだった。

巨大なホームセンタージョイフル本田は若干広さを持て余し気味か
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ジョイフル本田からは歩いて、FKDのインターパーク店へ。ここは今回に限らず何度も来ていて、個人的には名取にあるイオンモールに行くなら、こちらのインターパークのFKDの方が好みでついつい余計にものを買ってしまう店舗だ。先述した通り福田屋は郊外移転した宇都宮店の成功を糧にさらにこのインターパークに進出する。郊外進出に目を付けた先見性は見事だったが、それ以上になぜこれまでに成功し親しまれる店舗になったのかは実に興味があるものだ。

宇都宮の百貨店といえば伝統ある上野百貨店が名門として東武と1番店を争って来たのだが、福田屋はその中で3番手以降の後続グループの中で、大衆路線を歩むことになる。大衆路線となればお高くとまって高級品を売るなんてことは出来ず、常にお客さんの望むものを察知し提供しなければならなかったことで、時代の変化や要望をよむ能力を身に着けたのだろう。さらに加えてバブルの事に宇都宮を撤退した丸井跡にファッションビルを開業させDCブランドを取り扱ったことで、若者向けの感性を受け止める力が備わったようなのだ。
そのことを勘案しつつFKDインターパーク店を眺めてみれば、何とも不思議な店舗に見えてくる。一見どこにでも有るようなショッピングモールのようであるが、よくよく見るとデパート的なところも垣間見えるかと思えば、食品売り場は普通のスーパーのようにも見える。しかしながらイオンモールと似たようなテナントがあるかと思えば、独自の棚割りで商品を並べるところもあるといった具合に一体この店は何者なんだと思わんばかりのオンリーワンといえるような店舗なのである。つまり郊外移転のみが注目されがちな福田屋であるが、実は繰り返すようだが時代の変化をよみ要望されるものを提供するという自分の役割を常に実践してきたという事なのである。

このインターパーク店についていえばさらに運も福田屋に味方した。元々ここは東谷・中島地区工業流通業務団地として整備されていたものが、商業・サービスの核施設に地区計画変更がなされた事に加えて、地元企業の育成を掲げてイオン等の県外資本や外資系に消費を奪われるのを避けるとの観点から、丁度新たな郊外店の進出を狙っていた福田屋との思惑が一致しそしてこの地にオープンしたのがこのFKDインターパーク店なのである。

インターパークのの中心施設のFKDインターパーク店
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シネコンも併設
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インターパーク店を出店後も福田屋の前進は続く。道路を1本隔てるとビレッジという屋外型のファッション関連の店舗群がある。これは当時勃興し始めたアウトレットを意識して作られたのは想像に難くない。夏場など雷が多い土地柄なのにこの形式にはいささか疑問も残るが、しかしご存じの通り栃木県には佐野にプレミアムアウトレットがあり、お客さんがあんな雰囲気を求めているというならば福田屋としてはやらずにはいられなかったという事だったのだろう。

道路を渡ったビレッジはアウトレットを意識したものか
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さらにまた道路を一つ隔てると、インターパークスタジアムという屋内型のモールがある。さすがにこのスタジアムあたりになると過大投資となりリーマンショックも重なって福田屋の経営が傾きかけるが、足利銀行などの地元金融団は経営陣刷新を条件に全面支援を表面しその危機を乗り越えた。先に描いた通りこのインターパークは地元企業の育成を掲げていた訳で、その支援は当然といえる、そもそも足利銀行など人のことを言えたもんじゃなくて、実際自身が経営不振に陥り融資を渋るなど地域企業に対して多大な影響をもたらしているのだ。例えばYKKと呼ばれ北関東発祥の家電量販店の風雲児達のヤマダやケーズに対しコジマは足利銀行からの融資が滞りライバルに置いて行かれる要因の一つになり、結局はビックカメラの傘下になってしまった。
それにもし福田屋がやらなければなんてことはない、それはイオンにやられてしまうだけの事で、福田屋の拡大路線を責めることは出来ないし、逆に栃木県にこれだけの気概をもった地元資本の企業が他にあるのかといった事でもある。

さらに道路を渡ったスタジアムは経営不振の元凶に…
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インターパークといばFKDばかりが目に付いてしまうが、むしろ郊外開発のモデルケースとしてみた方がいいのかもしれない。googleマップを眺めてみればわかるが、国道4号、121号そして北関東道の幹線道路に囲まれている事に加え、中心部を貫く道路にはおなじみのロードサイト店舗が名を連ねていて、もう考えられるだけの事は全てやりましたといった状態だ。開発と共に整備された住宅地の住人などは、休日はいくらでも暇をつぶせそうだ。
しかし今後はどうなることだろう。中心市街地と郊外ではすでに勝負があった感じだが、しかし現在はアマゾンや楽天を始めとするネット販売が物販を支配しつつある。これに対しイオン等はライフスタイル提案や体験型などといったように、物に+αの価値を提供する事を模索し続けている。福田屋は持ち前の要望されるものを察する能力でこの難局を乗り越えることが出来るだろうかといったところだ。

さて、インターパークを一通り見終えて、無料のバスで宇都宮駅に戻り、往路と同じく二回の乗り換えを経て郡山へ帰還し今回のレポートは終了である。さすがに50万人都市となると都市としての規模感というのが出てくる印象をうけたし、さらに、有数の自動車社会で有る地でもあって郊外店の充実ぶりも中々であった。人口100万人というのは政令指定都市としての基準ではあるが、今後はこの人口50万人というのはもう一つの基準となりえるのではないか。それは鉄道やバスなどの公共交通の充実度合いだったり、魅力的な商業施設の存在だったりと、今後の人口減少の局面において都市におけるある程度の利便性を確保出来るかどうかの閾値になるのではないかとその様な感触を得た言っておこう。
最後に、宇都宮といえばLRTで有るが2022年の開業後に訪れて、東口に整備される宇都宮シンフォニーと称する複合施設と共に、その様子などを見てみる事にしよう。
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郡山に必要な3本の道 2019

2016年から続けているこのシリーズも4年目になり、笹川大善寺線、東部幹線、内環状線のうちいずれかが一つでも今年こそは開通するのではと期待していたのだが、一つは不可抗力的なものもあり残念ながらそうはならなかった。これは非常に残念なことだが、しかしそれぞれを一つ一つ見て回れば、開通に向け確実に近づいている事が伺えるもので、それはもう時間の問題になりつつあるところもあり、おそらく来年こそは開通の状況をいくつか伝えられそうな状況だ。取り合えず今年の分を例によって笹川大善寺線から取り上げていこう。

ケイヨーD2の交差点の所から阿武隈川を渡るこの橋は、橋自体は完成していて後は車線のラインを引くだけだ。D2の交差点の所には信号機も設置済みであるし、橋には照明も設置されよく見れば新幹線の高架にはコンクリートの剥離脱落防止の塗装も施されており、ほぼほぼ開通を待つばかりの状況だ。例によって高架が近いのは見た目通りだが、大丈夫通れるんだってw。
対岸の日大側へ回ってみると、こちらも日大通りを跨ぐ陸橋がかかっており、去年から比べて工事が進んだことが伺える。見て来た日は日曜日だったけど工事の人が作業を行っていたので遠巻きに眺める程度に留め、徳定のセブンイレブンの裏の方へ進んでいくと、あぁなるほどここかがまだ出来ていない状態な訳だ。先程不可抗力と書いたのは、工事を請け負っていた業者が倒産してしまい本来なら平成30年度の開通予定が半年程遅れてしまうとのことで、その未完成なのは陸橋へアプローチするスロープの盛り土の部分だ。
後日また作業員がいない日に見に来てみると、気になるのは笹川大善寺線から日大通りにどうやら直接アクセス出来ない模様で(計画上は確か永徳橋を直進して合流するようになっていた筈)、写真にある交差点は右折レーンのみがあって(左折できない)日大というか日高の入場門の方には行けるようにるようだけど、ちょっとあの辺の狭い道を通って日大通りに抜けるのはどうだろうか。きっとわが物顔で通る車が沢山出てくる事になるだろうことが少々気がかりだが、もしかするとアプローチする道路の土地買収がはかどらないのでもう強行突破で本線だけ作ってしまえという作戦なのかもしれない。
徳定から大善寺の方は、片側2車線分に限りもうすでに準備完了な状態。国道49号の東山霊園入口は、大っぴらには開放していないけど、通ること自体は出来るので写真を撮っている間にもちらほらと通る車がいた。さらにもう2車線分の土地も確保してあって、阿武隈川に追加の橋を架けるまでにゆっくり拡幅していけばいいといったところだ。尚、全くの余談だが、笹川大善寺線の開通に合わせてセブンが開店予定である。(徳定の店舗が移転するのかそれとも新規開店なんだろうか?)

この橋はラインを引いて開通を待つばかり
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日大通り側も陸橋が出来ている
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橋にアプローチするための盛り土が伸びるが…
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一部部分の盛り土がまだなされていない
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上から見るとその部分が抜け落ちている
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笹川大善寺線からは日大通りには直接行けず右折で狭い道で抜けるしかない?
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大善寺の国道49号東山霊園入口交差点側も準備完了
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徳定のあたりにセブンイレブンが新たに開店予定
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次は東部幹線の水神山工区である。三春街道入口交差点側からだと去年から全然工事が進んでいない状況に見えるが、確かに近くで見てくるとさほど進んでいない状況だった。ただよく見てみると、東部幹線は本線のみならず側道も含めて整備されるようで、写真にある黄色い壁の家が引っかかって工事が進んでいなかったようだが、隣に新しい家が建ち既にその家は解体されているので移転待ちという状況だったのだろう。おそらく今年度こそは開通にこぎ着けることができるのではないか。
ちなみに反対側は取り合えず完成済みであるもののガードレールで塞いでいる状態で、富久山のベニマルの脇の道とつながるようになっている。現状ではクルマが来ないので、近所住民のお散歩コースになっているようだ。(確かに善宝池の眺めがいい)

去年と同じ端点から三春街道入口交差点を望むがほぼ変わりなし
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同じ場所を振り返る
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側道も併せて整備される模様
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既に黄色い壁の家は無いので今年度は工事が進むのでは?
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同じ場所を振り返る
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来年こそはこの標識も十字路に
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ちなみに反対側の端点は完成済み
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但しこの先磐越西線の跨線橋は例によって橋脚だけで来ていているが進んでいない…
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ちなみにここから善宝池の眺めはいい
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さらに次は、東部幹線の桜木工区である。これまたうねめ通り側から見てみると、進捗無しといった状態。ただ、逢瀬川の土手の部分に工事看板が出ていて、3月までとなっているので平成30年度分はもう終わりだが、後述する逢瀬川の堤防拡幅工事を現在おこなっていて、この辺りまで幅を広げる筈だからいよいよ動きが出てきたといったところだろうか。

東部幹線の桜木工区は変化なし
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おっ何か工事看板が出ている
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3月迄なので30年度分はほぼ終わりだが来年度以降この辺も堤防の拡幅が始まるのかもしれない
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続いて伊賀河原地区へ。見に来た日は日曜だったけど、郡山インター線の端点で工事が行われていた。工事の邪魔となってはいけないので遠巻きに望むが、その端点から90度曲がり磐越西線の線路の方に道路を繋げるような感じに工事をしているように見えたが、はたしてどうなのだろう磐越西線を跨ぐ東部幹線の跨線橋と繋げる為なのかそれとも、一時的にあの辺りの道路と繋ぐ暫定措置的な物なのかはちょっとわからないが、何か進めようとはしているのは確かだ。
伊賀河原地区そのものと言えば、去年は数件あった家も解体されたようで今年は1件だけとなっていた。動きとしては非常に遅いがしかし、前進している様に伺えたのはいい傾向だ。

郡山インター線端点では工事が為されていた
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端点から北へ曲がり磐越西線の方へ伸ばすようだが
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果たしてこの先に陸橋を作り繋げるのか暫定的に既存の道路につなげるのかは不明
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伊賀河原地区では移転が進む
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伊賀河原地区から逢瀬川の堤防を下っていくと、逢瀬川の堤防拡幅がだいぶ進み北岸のの方は新しい堤防がほぼ形が出来ていて、古い堤防のコンクリートを撤去すればよさそうな状況で梅雨入り前位にはこの部分は完成しそうな感じだ。
さらに歩いていくと、去年下部工となっていた伏流側からアクセスする道路の橋も出来上がっていた。ただ、南北両側共に橋自体にアプローチするする道路の部分を現在整備中のようだったが、ここまでくれば完成は時間の問題だろう。早々に完成させて、現状の郡山荒井線の橋を通行止めとし、若葉町交差点を塞いで混雑を抑制してもらいたいところだ。まぁどのみち逢瀬川の拡幅の都合があって邪魔になるから早々にこの古い橋も撤去されるとものと思われるが…。

逢瀬川堤防の拡幅が進む
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逢瀬川を渡る橋が出来ている
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伏流側から橋にアプローチする部分が未だできていない
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同じく反対側もアプローチ部分が出来ていない
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新しい橋が架かったということは近々経路変更となるか?
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郡山荒井線の橋があると逢瀬川の堤防拡幅が出来ないからこちらの橋も近いうちに解体されるのではないか?
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そして3本の道のうちの3つ目である内環状線である。去年見に来た時は芳賀小学校のあたりからずっと北に延びていたものの、150m程度が出来ておらず非常に惜しい状態にあったが、今年はどうなったかといえばやはり同じような状況だった。どうも畑になっているところが工事が出来ず止まっているから、用地買収が出来ていないのだろう。現場を見た感じだとこんな状態になっても土地を売らいないのだからこれは当面ダメそうで、せっかく作った道路も利用されず何年も野ざらし雨ざらしでもったいないし、かつ、広い歩道があって歩行者が安心して歩ける道路も当面お預けで非常に残念な状態である。(芳賀のあたりは歩道のない狭い道のくせに車が結構通るんだよな)

間に挟まれている畑の部分で工事が止まっている
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反対側の道路に面している部分がちょびっとだけ工事がしてあった
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最後に小ネタを2つ程取り上げて締めることにしよう。1つ目は静御前通りの端点の部分で大槻分署の先の建物が解体さてていたこと。このあたりは結構大掛かりに道路を改修する計画で、静御前通りは福島交通の大槻車庫付近まで延伸し、あわせて郡山湖南線と芦ノ口大槻線の交差点を含めて線形改良を行うようだ。ここにきて写真にある通り、この周辺の建屋の解体が進んでいて、案外その計画が早く進みそうな雰囲気だ。

いきなり狭くなっていた部分の建屋が解体されていた
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その先の建屋も含め周辺の建屋が結構解体されている
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静御前通りの延伸は案外早く実現しそうだ
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2つ目は郡山中央スマートICの供用開始である。予定より約2年遅れとなったが、無事に供用がされたのは喜ばしい事だ。郡山周辺の東北道は北から、安達太良SA、郡山JCT、郡山IC、郡山中央SIC、郡山南IC、安積PAと間隔が短く合流や分岐が若干忙しない感じだがそれは交通の要衝あるいは結節点を表していると考えばよいではないか。
早速と言うには少し遅いが、東北中央道が山形まで開通したので試しに山形に行ってきたが(新栗子トンネルは10km近くあってかなり長いゾ)、行きは郡山南から乗り、帰りは郡山中央で降りてみたらその差は70円程安くなったが、たった70円なら郡山南ICを使うので折角共用したのにこんな事を言っては何だが、個人的にあんまり利用することは無さそうだ。

無事供用した郡山中央スマートICの正月休みで供用直前の上り線側
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同じくこちらは下り線側
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豊田浄水場跡地の活用案を考える

先日郡山商工会議所が旧豊田浄水場の跡地利用を含め、今後10年20年に向けた郡山のまちづくりに対する提言を行ったとの報道があった。報道内容については新聞記事を引用するが、確かに豊田浄水場の跡地利用は気になるところではある。

郡山商議所、LRTの整備提言 中高一貫校設立も (日経新聞 2018/11/20 20:32)

郡山商工会議所(滝田康雄会頭)は20日、10~20年後の郡山市のまちづくりについての提言をまとめた。LRT(次世代路面電車)やモノレールの整備、中高一貫校の設立、郡山駅の新連絡通路など幅広く取り上げた。地元経済界の中堅・若手が中心になり、2000人を超える市民から声を集めたという。実現に向けて市役所や関連団体との連携を目指す。

「郡山グランドデザインプロジェクト」として12のテーマをあげた。開成山公園の東に広がる旧豊田浄水場跡地について、LRTやモノレールのターミナルとし、地下には自家用車から乗り換えられる大型駐車場を設けることを提案した。

市民から歩いて暮らせる街への要望が強かったといい、モノレールのルートとして市内を東西に結ぶさくら通りをあげた。世界で活躍できる人材を育てる中高一貫校の設立を求める声も多かったという。

JR郡山駅の北側に店舗を備えた東西連絡通路を設け、同駅東口に商業施設とホテルの複合施設をつくることを提案。国際会議場ビッグパレットふくしま前への新駅も求めた。

記者会見した滝田会頭は「若い人のこういう街に住みたいという声を中心にまとめた。具体的な議論のスタートラインにしたい」と述べた。


随分と古い話だが小学生の頃に遠足か何かで豊田浄水場に見学に行った事があって、夏場は1日でこの池の水を使い切ってしまうのだと説明されたような記憶があり(古い話なので間違ってるかもしれない)、郡山にとって重要な浄水場のイメージがあったのだが、実は震災の頃には既に一部の地域にしか給水しておらず、メインの浄水機能は堀口浄水場が担っている状況になっていて、豊田浄水場自体は2013年3月31日で給水の停止をもって廃止となった。
しかし、廃止となって6年が経過しようとしている今となっても具体的な跡地利用の案は示されず、今後どのような計画が立てられるのか注目されるところだが、そこで今回は旧豊田浄水場跡地利用について考えてみることにしたい。

廃止より6年が経過しようとしている豊田浄水場跡地だが未だ手付かず
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具体的な私案は後述するとして、先ずは郡山において過去にあった跡地利用の事例をたどっていくことにしよう。郡山市民にとって一番分かりやすくてインパクトがあったものといえば、旧国鉄郡山操車場の跡地に作られたビッグパレットふくしまだろう。1960年代国鉄の操車場が計画された当時、今後の貨物輸送量の増加を鑑み、コンピュータによる自動化された車両操作を導入し整備された郡山操車場は取り扱い能力を4300両/日、人出に頼っていた車両操作の作業員数を1/3に、経費は年間7000万円低減するとされ、その規模と最新設備をもって東洋一の貨物操作場などと呼ばれたものだが、物流の主力は鉄道からトラックへと移り、また鉄道による貨物輸送自体も従来の貨車からコンテナ輸送に代わり(つまりフォークリフトでコンテナを上げ下ろしするだけになり、貨車の操作自体が不要になった)、1984年操車場は全廃されることになった。僅か20年と運用されなかった操作場自体の是非はここでは問わないが(サンクコストはどうこう言っても戻ってはこない)、しかしその後、県がここにコンベンションホール(当時は産業見本市会館などと呼ばれていた)を整備することとなったものが、このビッグパレットである。
今現在、郡山で大きなイベントをやるというならこのビッグパレット一択であり、大小様々なイベントが行われていてまあまあ成功事例と言える。周辺は区画整理も実施され(郡山市の後に町が付かず南 という住所になっている)、そして現時点では仮設住宅となっている部分も県の合同庁舎建設予定となっており、さらに新駅が整備されれば郡山副都心としての役割を果たすこととなるだろう。

跡地利用の成功事例ビッグパレットふくしま
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次の事例は共に日東紡の工場跡地の二つである。一つはTHE MALL郡山であり、もう一つは麓山の杜と称する21世紀記念公園だ。THE MALL郡山はこの記事に書いた通り元々は西友が郡山駅前で西友郡山西武店として営業していたものが、郊外に移転しLIVIN業態で営業しているものだ。バブル崩壊後は西友自体が紆余曲折を経てきた事もあるし、開業当時はともかく今となっては他県にあるようなショッピングモールに比べ見劣りするのは否めないが、ベニマルの寡占状態に抗う存在として、また水戸のように同じく駅前にあった西友が営業していたなんちゃって西部をLIVINに業態を変更し、その後閉店となった事(郡山のように移転ではない)を思えば、やはり必要であるに違いないしその跡地利用に及第点はつけられるだろう。

THA MALL郡山としての跡地利用は及第点は付けられる
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対する21世紀記念公園の方だが、公園整備当時は確か藤森市長の時代で、その頃の郡山は大小の公園整備に躍起になっていたが、それは市長の奥さんの実家が造園業を営んでおり、そこに仕事を回す為だなどと陰口を叩かれていたものだ。実際は市の面積に対して公園が少ないとの理由付けはされていたようだが、それはともかくとして麓山公園の隣がまた公園とは首を傾げたくなるのは理解出来なくも無い事だ。個人的に公園整備を否定しているものではなく、公園も都市における必要な要素の一つでありその重要性も理解するが、ただもう少しやりようがあったとは思うものだ。つまり郡山開拓の歴史とこの麓山地区というのをどうあるべきかという事を総合的に考え整備すべきだったというのが僕の見解なのである。実際安直に公園として整備したものの、駐車場を付近の図書館、公会堂、公民館と共用している為、休日など駐車場がすぐに埋まってしまいまともに機能していない現状があるが、この麓山地区においては別途あり方を考えてみたいと思うものだ。個人的には及第点は付けられないと考えるが跡地利用はとしては止む無しだったと言ったところだろうか。

公園の隣にまた公園の21世紀記念公園はもう少しやりようがあった筈だ
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次に跡地利用の落第点の事例を見ていこう。それは郡山南インター近郊に整備された郡山総合地方卸売市場に伴って、廃止になった富久山の食品団地と安積町(安積永盛駅南西)の旧青果市場の跡地である。特に食品団地は市場機能こそ移転となったものの民間の関連業者がそのまま残った事もあり、その跡地はミニストップに、モスバーガー、すき家にラーメン屋もあったか、そしてカワチとパチンコ屋が(出店出来るならしておけとばかりに)深い考慮もなく出店してしまい殺風景なものとなってしまった。本来ならば、関連業者にも移転を促し(無論政策的な優遇措置が有ったっていい)東部幹線の拡幅を実現すべきだったと思うのだ。

旧食品団地跡はただ店が進出してしまい殺風景な印象だ
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安積町にあった旧青果市場跡もパチンコ屋が出来るなど、さほど有用な活用は出来ていないが、元々この周辺には工業団地と言う程でもないが中小の工場が点在している地域でもあり、また敷地自体もそれ程広くなく表通りに面してもいないので、失敗と言う程ではないのかもしれ無い。

旧青果市場跡にもパチンコ屋が…
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過去の跡地利用の事例を見たところで、ここからが浄水場跡地の活用案である。先ずは跡地の地理的な要素を加味するならば、西に開成山公園が存在し総合体育館もある。東には商業施設としてTHE MALLが存在するが、先ほど21世紀記念公園をもってして総合的に考えよと書いたが、やはりをれを考えるなら開成山公園の存在は無視できない。開成山公園は都市公園としての役割を持ちそして、総合運動場の役目も兼ね備える。特に総合運動場に目を向ければ、開成山野球場(ヨーク開成山スタジアム)、開成山陸上競技場(郡山ヒロセ開成山陸上競技場)、開成山屋内水泳場(郡山しんきん開成山プール)、開成山弓道場、総合体育館(宝来屋郡山総合体育館)とある。ここに足らないピースと言えばそれはやはりサッカースタジアムではなのいか。ネーミングライツは郡山に本社を構えスポーツ用品店を経営するゼビオしかないだろう。ゼビオとはかつてアイスホッケー場の建設で揉めたのどうのとの真偽不明なウワサがあるが、ここはサッカースタジアム建設をもって手打ちと願いたい。

西側は総合体育館に隣接
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無論サッカースタジアム建設に対し、プロチームもないのに作ってどうするんだとの批判も出ようが、ここはひとつ将来のJ2、そしてJ1入りを見据えてクラブチームを育成して行く事に取り組んでみるのもよいのではないだろうか。僕自身は現状を鑑みた現実主義者・実利主義者であるが、一つや二つ将来に向けて夢のある事をやっていくのも悪くないと考える。かつて郡山ではジョージ・ウェア騒動なんていうのがあったし、野球の話だが去年は独立リーグの福島ホープスの経営問題なんて言う事もあった。なんだかプロスポーツ不毛の地と言えるような状況の郡山だが、過去の失敗を糧に郡山が熱くなれるものを創り出していくというのも都市の魅力として必要な事に思えるのだ。

さて、サッカースタジアムを建設したとしてもまだまだ敷地に余裕があるので、総合運動場として勘案するなら富田にあるテニス場をここに移転してしまえばいいだろう。コンパクトシティという表現は何か手垢がついて好きな表現ではないのだが、あんな不便な場所にテニス場がある必要はなく、もっと利便性のいいところにあるべきものだ。幸い屋外施設ならば建屋もいらないし費用もさほどかからない筈だ。富田の跡地は払い下げて、住宅分譲地としてもいいしヨークタウン(無論手を挙げる者がいるならベニマル以外でも全然かまわないが)のような商業施設でもいいだろう。

さらにそれでも余裕があるので、東隣りに存在するTHE MALLに着目すれば、先述した通りTHE MALLの魅力自体が落ちている事もあり、ただそれを指をくわえて見ていても仕方ないから、THE MALLの魅力を向上させる施策が必要だ。

東側はTHE MALL郡山に隣接している
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魅力をあげるとは具体的にはどういう事なのかといえば、それは増床であり2号館の建設である。例えば同じ西友の店舗であるTHE MALL仙台長町店は、道路を挟んでPart2と称する2号館を作り渡り廊下で本館とつないでいて、さら全く別会社である三井不動産経営のララ・ガーデン長町ともやはり渡り廊下で連結し相乗効果を生み出し、長町の核施設として仙台の中心部や泉のアリオ・セルバそして名取のイオンモールに対抗しているのである。

仙台にあるTHA MALL仙台長町店はPart2として別館が存在
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これはウワサに過ぎないので真偽は定かではないが、元々THE MALL郡山は計画段階では3階部分も商業フロアとなり、シネコン等もできる予定だったともいうが、どういう訳か計画は縮小され現状の形になったとされる。2000年11月22日開業からあと少しで20年が経とうとしているが、今後の20年を見据えるならば、他所のショッピングモールに引けを取る部分を是正しその魅力を高めていく必要があるのは言うまでもないことだろう。それにこの西友という会社だがどういう訳か郡山には好意的のように思え、先述した通り水戸などは閉店してしまったのに対し、さほど儲かるようにも思えない郡山で(郡山市民の所得は多いとは言い難い…)営業を続けていて、もし西友側にその気があるならば政策的な後押しがあってもいい。増床したPart2には以前ポシャッたシネコンを展開したり、手狭な現在のフードコートをリニューアルするなどし新たな需要を掘り起こすといいだろう。

Part2とは渡り廊下で本館と連結し連絡すればいい
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ただ、一つだけ気がかりなのは、日経新聞から西友の親会社であるウォルマートが西友を売却するとの報道があった事で、これに対しウォルマートは我々は日本で稼いでいると否定するコメントを出しているものの、日経の飛ばし記事ともウォルマートが上げた観測気球ともいえる状態で西友の先行きが不透明な事だろうか。

実際、西友自体も昔のなんちゃって西部からLIVINへと転換したいわゆるGMS業態を辞めたがっているようなフシがあって、例えば、姫路、周南、小倉のTHE MALLはここ数年で閉店(他社に売却)しているし、春日井も一部を大和ハウス工業に売却してしまっている。儲からないGMSからは手を引きスーパーマーケットに特化しているようにも見える。とはいえスーパーマーケット事業がそんなに儲かるのか?との疑問も湧くが、西友は小型店舗が地域内に点在していて、いわゆるネットスーパーにとっては好都合のようなのだ。つまり注文した商品を在庫しておく店舗兼倉庫の役割を果たせるというし、それは配達にも有利なのである。実際楽天と始めた楽天西友ネットスーパーもまだ始まって間もないにもかかわらず案外好調なのだそうだ。このような動きを見ていると確かに優良店舗を残し売却を伺っているというのも現実味を帯びてくる。

西友を買える企業といば、イオン、7&i、ドンキホーテ、楽天、あるいはその他投資ファンドといったあたりだろうが、7&i自体グループ内のGMSであるイトーヨーカドーの立て直しがままならない現状があって西友にかまけている場合ではないからこれは無いとして、ネットスーパーで提携する楽天は携帯電話事業を始めるにあたり、基地局等への設備投資が必要で今は資金的に厳しく無理だ。とすると不調なライバル達を買いまくってきたイオンが買えるならばと取り合えず買うか、ユニーを買収しドンキ流店舗への転換によって成果を上げているドンキかといったところになる。実際、ドンキの社長は「(西友に)興味がある」、「(西友の)優良店舗だけ買う方法があるなら教えてほしい」との発言もしていて、何だか西友はどうなってしまうのかと思ってしまうのだ。

このような状況下にある西友のTHE MALL郡山増床案に対し、お前はなんでそんなに西友に肩入れするのか?西友の回し者なのかとの批判もあるだろう。その理由は単純明快だ。僕はもうこれ以上郡山に廃墟を増やしたく無いのである。
つまり、万が一にも西友が売却されたとして、今のままのTHE MALL郡山が存続できるかという事なのだ。THE MALL郡山の存続は買収先の考え一つであり、今のうちに収益が上がる(儲かる)店舗を作り上げ、その影響力を誇示したいのだ。そうすれば仮に西友が売却となったとしても、郡山店を無視することができず売却先から切り離され整理されるなんてことを回避できる。万が一にも閉店となってしまったら、郡山の場合跡地利用に時間がかかる例は後を絶たず、旧ダイエー跡など解決に20年も要したり、旧丸光跡も大して利用もされずにいた事。旧丸井跡だって震災がなければどうなっていたかさえ知らず、さらに駅前には廃墟となったままの、寿泉堂、太田、星の三病院跡が未だ存在していて、それはもう絶望的なのである。無論これは最悪のシナリオだが、しかしそうならない為にも今のうちに将来も存続できる儲かる店舗を作り上げておくべきだ。それは何も企業ばかりではなく、利用客である郡山市民にとっても魅力的な店舗が存在するのはメリットである事は言うまでもないだろう。

そして、仕上げにバスターミナルの設置である。現在郡山市は市役所周辺に新たにバスターミナルの設置を検討しているとされる。個人的に郡山の交通網に対してはまた別途その考えを述べたいと思っているが、とりあえず市役所近辺に設置となれば、まとまった土地のあるこの豊田浄水場跡地か、旧パラマウント硝子工場跡地のどちらかしかないだろう。ただどちらにしてもバスターミナルの位置的に使い勝手という点で、難が有るのは否めないところだ(なにせ市役所を起点とすると少しばかり距離がある)。

以上の内容を網羅した図をYahoo地図から同一縮尺で切り貼りした画像を載せておく。単純に重ねただけなので乱雑な仕上がりで申し訳ないが、イメージを掴めてもらえば幸いである。切り貼りした施設は、仙台のユアテックスタジアム、郡山庭球場、ララガーデン長町、郡山駅のバスターミナルである。見ての通り隅の部分や施設どおしの隙間など結構余裕があるので、きっちり細かいところ迄考えて設計すればあと一つぐらい何か施設を作れそうだ。
実際の所どのような跡地利用になるかはわからないし、多分大した事も出来ないであろうことは想像に難くないが、しかし食品団地のようにどうでもいい店が出来るような残念な跡地利用にはなって欲しくない。今後の郡山の大計として取り組んでもらう事を切に願うものだ。

豊田浄水場跡地利用イメージ図
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さて、最後に豊田浄水場跡地利用とは直接的な関係はないが、さくら通りを挟んだ北側にある旧パラマウント硝子跡地について動きがあったので少し取り上げて締めることとしよう。

郡山市の日東紡工場跡地、地元建設会社が取得 (日本経済新聞 電子版 2018/12/19 22:00)

福島県郡山市の旧市街地、長者地区にある日東紡績の工場跡地約5ヘクタールを地元の建設会社、金田建設などが取得したことが分かった。市内の中心部に残された数少ない遊休地について、工場の操業停止からほぼ10年ぶりに活用に向けた動きが具体化する見通しだ。

工場跡地は安積黎明高校の北隣。幹線道路のさくら通りを挟んだ斜め向かいには大型商業施設のザ・モール郡山(敷地約5ヘクタール)がある。

金田建設は地元不動産会社の宝沢商会と組み10月30日付で土地を取得した。市街地のうえ面積が広いため開発には行政との調整が必要になりそう。土地の用途規制上は商業施設、マンションなど幅広い施設をつくることができる。

この土地には戦前から綿糸などをつくる日東紡の第三工場があった。その後グループのパラマウント硝子工業が断熱材を生産していたが2009年に生産を停止した。

日東紡の第二工場の跡地が現在のザ・モール郡山で、近接する第一工場の跡地は郡山市が買収し21世紀記念公園麓山の杜(はやまのもり)として整備した。

金田建設は建築に定評があるほか不動産取引に強いことでも知られる。


このパラマウント硝子跡は敷地は広いものの、さくら通りからやや奥まった場所にある為、アプローチが悪く商業利用は難しそうだ。手前にあるネカフェのサイベックスも含めて一体的に開発できればよいのだがはたしてどうだろうか。無理に商業施設としてもTHE MALLと競合するし、無難にマンション開発や住宅分譲地でも全くかまわない。少なくても10年放置されるよしよっぽどマシで、取り合えず土地が何の形であれ有効利用されることを望みたい。

旧パラマウント硝子跡地の有効利用を望む
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(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2018年4月) 新潟県新潟市

番外編の隣県の県庁所在地を訪れるシリーズ。今回は新潟県新潟市である。日本海側(裏日本などという表現をすると新潟市民に怒られるのだろうか)最大の都市でありまた日本海側唯一の政令指定都市でもあるのだが、郡山からは仙台に比べ距離的にやや遠いと事を勘案しても、その距離以上に遠さを感じさせる都市でもある。
新幹線なら一旦東北新幹線で大宮まで行き、上越新幹線の乗り換えとなるがおかげで運賃が高いし、かといって磐越西線ではとんでもなく時間がかかる(ヤフーの乗換案内で調べたら6持52分発の11持55分着で所要時間5時間3分と出た)。高速道路も磐越道が会津若松ICから西が片側1車線の対面通行となり地味に不便を感じさせる。高速バスも設定されているが、朝夕にそれぞれ1便のみで使い勝手が悪い。そのせいもあってか新潟の会社と付き合いがあるなんて話しはあまり聞かないし、確かに繋がりが薄い感は否めないものだ。そんな新潟県な為、僕にはなんだか凄く雪が降るところとか全くもってその程度の認識しかないのだが(隣の県なのに申し訳ない…新潟市民に言わせれば雪はそれ程でもないが天気は悪いそうだ)、今回あらためて訪れてその現状を探ってみようと思った次第である。

さて、例によって移動は公共交通機関という事で高速バスの郡山~新潟線である。当日はゴールデンウイークという事もあってか乗客は満員で比較的若い人が多かったけど、中年のオジサンもいたし高齢者いるといった具合で年齢の分布はある程度バラツキがあったように見えた。特に連休でもない普通の週末だと夕方発の新潟行は大体14~5人といったところだが、連休となるとそれなりの利用がるようだ。まぁそこまでする人はいないだろうが、予約をするのが出遅れたとかで乗れないなら一旦会津若松まで行き、会津若松発の新潟便という手もある。
当日はちょうど郡山シティマラソンの日で市役所前のさくら通りが規制された為、さくら通り、内環状線、うねめ通り、R49、郡山ICという経路だったが、最近高速バスはこの新潟便をはじめ、仙台便、会津若松便、福島便がさくら通り、R49と経路が変更されている(以前の郡山郵便局脇は通らなくなった)。それはこっちのほうが利用があるからという事なのだろうけど、何だろう郡山女子大関連の需要なのかな。

高速バス郡山・新潟線 GWの昭和の日とあって満員だった
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運航自体は概ね順調で磐越道も連休初日だったにも関わらず渋滞もなく、ほぼ定刻通りに新潟の万代シティバスセンターへ到着。仙台便が片道約130kmで往復3,400円、新潟便が片道約160kmで往復5,550円というのは、時間はともかくとしてもやっぱりちょっと距離以上の差を感じてしまうものだ。
バスセンターの建屋に入り中を歩いていくと、何だかカレー臭い一角がある。そうえいばここカレーが有名なんだっけ?と思ったら、みんな必死にカレーを食べているではなかw。なんでもルーから手造りし、和風だしととんこつベースのスープで伸ばしてつくられるとの事でそういう自分もカレーを食べる訳だが、まぁカレーですよ位の感想。個人的には隣のどんぶりブッチャーという店が気になるなぁ。

万代シティバスセンターの一角がカレー臭くなるくらいみんながカレーを食べている
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これが万代そばのカレーライス まぁカレーですよ
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腹ごなしを終えてまずは、新潟駅である。日本海側唯一の政令指定都市である新潟の表玄関はどれ程のものかと期待して来たのだが、なんだが古めかしい駅ビルが建っていてそれ程でもない印象だった。その古めかしい駅ビルの中に入れば通路が狭く歩きにくいし地下のテナントは時間が止まったかのような昭和の雰囲気であるが、それもその筈この駅ビルはすでに50年を経過し数年後には取り壊される予定だから、今更どうこうという事もないのだろう。

新潟駅ビルは築50年以上が経過し政令指定都市にそぐわぬ昭和な雰囲気
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新潟駅のバスターミナルは、屋根付きだが車庫のようだ。雪国ゆえ屋根付きは有難いだろうが、バスがバックで入るターミナルなんて初めて見た。しかし笛でバックするバスを誘導するおじいさんは中々大変だ。今のバスはまだマシだけど昔のバスは排ガスがさぞ酷かったことだろう。

屋根付きだがバスがバックで入るターミナル
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新潟駅であれこれ撮影していると連接バスがやってきた。実は今回の目的の一つであるのがこの連接バスを使ったBRTのツインくるである。これは明日じっくり乗ってみることにしよう。

連接バスの愛称はツインくる
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さて、先ほど新潟駅ビルは数年後に取り壊されると書いたが、その理由がこの新潟駅連続立体交差事業にある。簡単に言うと新潟駅近辺の在来線を高架化し、ついでに新幹線ホームと並べて乗り換えの利便性を向上させるものだ。2018年春にその一部が完成し、従来の地上にあるプラットホームが廃止されている。引き続き残りの高架を増設し全ての高架化が完了するのが2021年の予定でその後、新潟駅ビルを撤去した上で新しい新潟駅広場を整備するとともに、駅の両側を往来出来る道路も整備するとの事だ。そういう訳でまずは新潟駅連続立体交差事業の完了待ちという状態なのである。

使用が停止された地上のプラットホーム
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新しい高架に車両がやって来た
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今度は渡り廊下を歩いて新潟駅の南口にやって来た。こちらはいわゆる新幹線側の駅ビルで、一応駅ビル内にもある程度のテナントが存在するが、100万都市の規模から考えるとお店の数がやや寂しい印象がある。駅ビル直結のCoCoLo新潟南館があってビックカメラ等も入っているのだが、人の数は万代口に比べるとだいぶ少ない。
ただ、訪れた日は昭和の日で広場でチューリップの花びらを使って絵にするイベントが行われていて、イベント自体にはある程度の人が居たのだけど、やはり地方都市で駅の両側を発展させるというのは中々難しい事なのだろう。

新潟駅 南口(新幹線口)
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チューリップの花びらで作った絵
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新潟駅直結のCoCoLo新潟南館
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実際その新潟駅の南口周辺には、プラーカと称する複合施設が存在する。1985年にプラーカ123の3棟が商業施設として同時開業したのだが、結局万代や古町との競争に負け経営破綻になったとの事で、JRがCoCoLoにそれ程注力してないような印象を感じるのもこう言った事実があったからなのかもしれない。
ただ、プラーカにとって不幸だったのは、テナントの西友誘致が取りやめになった事や、それに新潟駅南口には新幹線開業後もしばらく車両基地があって(ようは今の駅前広場がなかった)、線路が邪魔してアクセスが悪いというのもあったようだ。

経営破綻したプラーカ123
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さて新潟駅南口からは一旦バスに乗って郊外店のイオンモール新潟南へ向かう。ほぼ新潟亀田インターに直結と言ってもいい場所に立地しておりまさに地方にある郊外店のイオンその物の姿である。御覧の通り車は一杯で結構な混雑ぶりだった。店舗の内部についてはもう言わずもがなでありそれは紛うことなきイオンモールなのだが、僕のようにあっちこっちのイオンモールを見ているとその金太郎飴的な退屈さというかそういうものを感じてしまうようになってしまっている。当面は安泰だろうが、しかし早晩このあたりの対策を講じていかなければならないそんな時期に来ているのではないだろうか。

イオンモール新潟南
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このイオンモール新潟南店で特筆するとすれば、高速道路を挟んだ向こう側にホームセンターを中心としたアークランドサカモトが存在し、さらに目と鼻の先にはアピタ新潟亀田店がある事だ。直接的にはこれらは競合店と言う事になるだろうが、しかし新潟亀田インター周辺の巨大店舗群の集積によって、郊外へ人を引き付けるという視点から考えるならそれは絶大な相乗効果を発揮したといえるだろう。ただこちらも、そのライバル店であるアピタの運営するユニーがファミマと統合しさらに、ドン・キホーテと資本提携をしていて、GMSの改革に乗り出している、今のところはドンキとの融合店は一部店舗に限られるがライバルもまた動き始めているのだ。

イオンモール新潟南
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イオンを見て回った後は、再び新潟駅に戻ってくると、さっきのイベントで今度はキャンドルを灯して何やら駅前広場で雰囲気を醸し出していた。ちょっと調べてみても何のイベントだったのかは分からなかったけど何だったんだろう。

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暗くなってきたので、少し寄り道でメディアシップによって新潟の夜景を見てこよう。この新潟日報のビルは展望階が解放されていて新潟市内を一望できるのだ。さすが夜景となるとにF2.8の手振れ補正付のレンズでも手持ちは中々厳しいが、縮小して見れそうな奴を張っておこう。夜景そのものは地方都市としてはまぁまぁだと思うけど、中心部にあるこのビルより映っている朱鷺メッセの方からこちらを望んだほうが奇麗なのかもしれない。

新潟港方面
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古町方面
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さて、今回の主たる目的のひとつであるのが萬代橋ラインラインと名付けられたこのBRTである。新潟では元々新潟駅万代口から万代シティ、古町、市役所あたりまで、物量作戦というか数に任せて路線バスをジャンジャン運行していて、実際この区間はバス停も数分間隔で運行みたいな事が記載されており、古町に行きたいなどというと大概のバスはそこを通るから来た奴に乗れ的な結構乱暴な案内だったりした位なのだけど、さすがに運転手不足や団子状態による運行の非効率さなどを改める為、要はBRTを基幹として通し、各方面向けに支線を分けるなどして効率化しようとした訳だ。

ただそのBRTの導入にあたり、その事前準備が稚拙だった事で、運行開始から運賃徴収にトラブルが発生(そのせいでしばらく運賃がタダになった)、しかも新潟日報の元記者だったという市長はトラブル収束の為に陣頭指揮をとらず、そうこうしていること今度は連接バス車両の接触事故まで起きるなど、散々なデビューとなってしまったようだ。

しかし、僕はBRTの導入に関しては将来に向けて必要との考えから肯定的な立場なのである。分野は違うけど技術者の立場から語るならば、新しいものをサービスインするにあたっては、事前に相当の検証を行ったとしても何かしらのトラブルというのはどうしても発生してしまうものだ。
一例をあげるとすれば、あの天下のJRだって山手線の新型車両が運行開始直後にトラブルが発生しその後3ヶ月もかけて検証し直しているのだ。しかし、こういったトラブルをやり玉にあげるのはマスコミな訳だが、そのマスコミ出身の新潟市長サマは責任は新潟交通とレシップ(運賃箱の製造会社)にあるとして、逃げ回っていたようなのだ。
自分が推進してきたBRTプロジェクトなのだから、トラブルが出たら自分が矢面に立つべきで、ただ選挙の時の実績作りの為などというセコイ考えは捨て、正々堂々と表に出て発信すればいいのである。そのいい事例は博多駅前陥没事故の際の福岡市の高島市長が上げられる。僕はトップに立つ人間は聖人君子ある必要はなくいざというときに仕事をしてくれればいいし、またそういうものだと思っているのだ。

新潟駅万代口のBRT用バス停 連接バスは全長18m追い越し注意だ
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新潟駅万代口を発車する連接バス こうして見ると確かに長い
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さて、実際にその連接バスに乗ってみる。行きは連結の前部車両に乗り終点の青山まで、帰りは連結の後部車両に乗り古町まで戻ってみたが、率直な感想はそのまんまだけどまぁ路線バスだなぁと。でもどうせ乗るならエンジンの音が前の車両まで伝わってこないので断然前側の車両のほうが快適である。後ろの車両はエンジン音がうるさいし、意外と通路が狭く窮屈な印象だったのだ。
ただ特筆すべき点としては運賃の支払いにSUICAなどの交通系ICカードが片利用できるようになっているのは評価したい。仙台の地下鉄ではSUICAと相互利用を実施したようだけど、地方の交通事業者なら片利用で十分だろう。地元の人間じゃない者にとっては、SUICAのような一般的なもので支払いできるのは非常にありがたいものだ。

終点の青山に到着のツインくる 乗るなら連接前部のほうが快適
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折り返し青山からの発車となるツインくる
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このBRT萬代橋ラインは、現時点で未だ道半ばと言ったところだ。連接バスで運行されるのはごく一部で、そのほとんどは通常のバス車両で運行されているから連接バスの増備もしなければならないし、そもそもBRTといっても一般道を走るので定時運行に難があることから、道路中央側にBRT専用レーンを設けさらに現在の歩道側にあるバス停から中央分離帯的な島式ホームへの移行もしなければならない。さらに先の新潟駅連続立体交差事業で駅のあちらとこちらで往来可能となった際には延伸する計画もあるといった具合にこれから実施する課題は多い。そして今後それらを実施していく過程では、当然様々な批判が出るだろうがそこは腹を決めて取り組んでいくしかない。ただそれを先の市長サマが実施できるのかといったところなのである。まぁ将来は市長が別の人に代わってるかもしれないけどね。

追記:その市長サマは引退を表明し、5選目はないとのことだ。

万代シティへ到着のツインくる 現状は歩道側にバス停がある
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万代シティを発車するツインくる 萬代橋ラインの未来を背負って走れ!
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次はBRTから降りて古町である。少し前から中心市街地として衰退してしまった印象の古町であるが、確かに一つ一つ見て回るとそれを裏付けるものだった。まずはかつて新潟で地価の最高地点だった大和新潟店跡である。大和といえば石川、富山、新潟の三県で百貨店を営んでいたが、リーマンショック後の赤字転落や建物の老朽化などもあり金沢と富山に経営資源を集中し新潟県の3店舗が閉店となったものだ。閉店後は暫く建物が残っていたが、それも解体され2020年の竣工ににむけて再開発ビル建設工事が始まっている。この大和撤退に対して先の市長サマが書いた文章がこれである。

許されない大和新潟店の撤退姿勢 最終更新日:2012年6月1日 新潟市サイトより引用
先週、大和デパートが新潟県に展開している3店を「来年6月までに撤退する」との発表がありました。
 1県に出店してきた3店を一斉に撤退することなど前代未聞でありますし、事前に県や3市に対し何の協議もなかったことは大変遺憾です。新潟市として「まず撤退を撤回するよう」大和に申し入れています。
 20日には大和新潟店のある古町地区の商店街の代表から市役所にお出でいただき、「撤退の撤回」について改めて要請を受けました。地元や経済界と連携して、大和に良識ある行動を求めていきます。
 大和新潟店は昭和30年代~50年代まで、大和の中でも最大の稼ぎ頭でした。しかし、新潟店への投資は限定的で、大きな投資をした香林坊店(金沢市)や富山店とは好対照です。新潟の経済界は、「新潟店にもっと投資を」と繰り返し要請してきました。
 私が新聞記者だった頃、あるいは市長になってからも、折に触れて「大和の経営資源を金沢と富山に集中しろ」という動きが大和の内外にあることを感じていました。大和が新潟県内から安易に撤退しないよう牽制するとともに、4年前には具体的な支援もしていこうと、行政サービスコーナーや子育て支援施設などを併設した「なかなか古町」を新潟店内に設置。年間11万人が利用しています。
 にもかかわらず一昨年の4月、「大和の新潟県内からの撤退も選択肢のうち」との報道が一部でなされ、騒ぎになったことがありました。そのときは大和の幹部が飛んできて「そういう気持ちはない」と明言していたにもかかわらず、今回の事態となりました。
 NHK大河ドラマ「天地人」にあった直江兼続の「長谷堂城の撤退戦」を例に引くまでもなく、どの世界でも撤退が一番難しいわけですが、今回の大和の撤退表明は戦 略も戦術もない拙劣なものです。何よりもこれまで大和を受け入れてきた地元や、支持してきた新潟市民に対して極めて礼を欠く対応は許せないと思っていま す。
 大和の宮社長は先月、石川県の新聞社のインタビューに対して新潟撤退に言及し「責任を取れと言われたら責任を取る。それくらいの覚悟」と語っています。しかし、宮社長は新潟撤退の大決断をしたにもかかわらず、新潟に姿さえ見せず、新潟県民に撤退の説明責任も果たしていません。
 「責任を取る覚悟」を大和には具体的に示してもらわなければなりません。私たちが求める責任は、まず無責任な撤退の撤回です。どうしても撤退なさるなら、最低限、雇用と新潟のまちづくりに道筋をつけた上で撤退するのが大和の責任です。
 これまでのやり方について反省され、地元に真っ当な対応をすることが、大和が今後も百貨店として生き抜いていくための最低条件と思います。このことについて、大和の最高責任者に申し入れていきます。
 一方では新潟市として、地元商店街や経済界と一体となって、古町など新潟の中心市街地の活性化に取り組んでいきます。その決意を示し、行動に結びつけるための「まちなか再生会議」を早々に立ち上げていきます。
 商業核だけでなく、これからのまちなかにはどんな機能や魅力が求められるのか、まちなか公共交通はどう改善していくべきかなどを議論し、早急に動いていきます。
 以前にダイエー新潟店が撤退したときに、「ダイエー以上の価値と機能が生まれるように」新潟市は動いていきました。今回も「まちなかの機能アップのため大きなチャンスが来た」との気概で関係者とともに取り組んでいこうと思います。
 市民の皆さまからもご意見をいただきながら、古町だけではなく「地域それぞれのまちなか再生」についても各区で練り上げていきますので、よろしくお願いします。

平成21年10月22日

新潟市長 篠田 昭


この文章をみるとなんて上から目線なんだと思う。まるで新潟で商売させてやっているのに撤退とは何事だと言わんばかりの内容だが、僕から言わせれば企業が撤退を検討する=企業にとってその都市に魅力が無い(薄れた)という事だから、それは市政を預かる市長の責任なのである。ましてや大和は上場企業だから、収益の上がらない店舗などにかまけている余裕などないのは新聞記者なら理解できる筈だし、実際この古町を少しでも歩けば誰にでも衰退が顕著な事がすぐにわかるものだ。それを棚にあげて、この上から目線の文章を書けるのだから、新聞記者というのは偉いんですねぇと、ちょっと嫌味の一つもいいたくもなるので市長サマと書いているのだ。

かつての地価最高地点の大和前は再開発ビルを建設中
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営業を停止し建屋が残っていた時期の大和跡
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2020年再開発ビルが竣工予定だがその行く末は疑問が残る
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その大和跡から続くふるまちモール5・6・7である。いわゆるアーケード商店街というやつだが、地方のシャッター商店街の例に漏れず閑散としている。流石に郡山のアーケード商店街や高崎の高崎銀座の様に小汚くはなかったけど、目ぼしい店なとないし、逆に空いているからドトールでコーヒーがゆっくり飲めるという、ただそれだけなのである。
これはやはり時代が求めている要求に対し商店街というものが対応で来ていない証拠なのだろう。日本というのはどいういう訳か、組合をつくりみんなでやりましょうとしたがるのだが、それでうまくいっているときはいいものの、調子が悪くなってくると何かの対策を打たなければならないのだが、結局商店街の組合など決定権が誰にあるのか不明で何かをやろうとして、反対意見が出てしまうと結局は何も出来ず、最後はゆでガエル状態でどうにもならなくなるといった具合だからとにかく問題解決に時間がかかるのだ。

古町モールと称するアーケード商店街 特に気になるような店はない
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次は、日本海側で唯一の地下街とされる西堀ローサである。この西堀ローサは鉄道の駅などと連結しておらず、単独で地下街として存在する珍しいものだが、その経緯は古町の駐車場不足を解消すべく地下駐車場を作るとなったので、ならばついでに地下街も作ってしまおうとの事だったようだ。
1976年の開業からしばらくは賑わいを見せたものの、バブル崩壊後から陰りが見え、さらに万代やイオンモールなどの競合や古町自体の地盤沈下もあって大分廃れてしまったとの事で、一時期などは営業している店舗も疎らで本当に悲惨な状態だったようだ。
実際に見てきた範囲だと、どうにかこうにかしてテナントを埋めている印象だが、それは新潟市が政策的にテナントの入居条件を相当に甘くして、何とか入居するテナントを手当てしている状況なのだろうというのは想像に難くないものだ。さらに開業から40年を経過し古さも目立ち、床のタイルなどいかにも昭和的な古色蒼然たる雰囲気も醸し出してしまっている。頼みの綱である連結していた商業施設も、大和とラフォーレが撤退となり、三越を残すばかりとなってしまった。おそらくこのような状況を鑑みれば、今後のリニューアルなどは叶わず終焉を迎える可能性が高いのではないか?とそんな感想を受けたと記しておこう。
なにも僕は全く適当な事を言っているのではなく、地下街などというのは相当な都市でなければ維持できないものだと感じていて、例えば東京駅八重洲地下街や川崎アゼリアなどを見ても、周辺の商業施設である大丸やグランスタ、そしてラゾーナあたりと比べると、やはり人の数にはかなりの差がある(無論それは地下街の方が少ないという事)。東京や川崎といった大都市ですらそうなのだから、地下というのは何か心理的なものが働くのか相当なハンデが存在するのだろう。こんな事を鑑みれば簡単に想像がつくことなのだ。

古色蒼然として場末感のある西堀ローサ 存続は厳しいのではないか?
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そして古町のランドマークというべきのNEXT21である。このNEXT21は数年前までラフォーレ原宿がテナントとして入っていたのだが、2016年1月31日をもって閉店となっている。実は3年前ラフォーレが撤退表明をした後に訪れたことがあるのだが、(撤退表明後の)存在意義をを失った状態のラフォーレは全ての覇気を失ってしまったかのような空気に包まれいたのを思い出す。
その後は発表通りラフォーレは閉店となって、空いたフロアには新潟市役所の一部機能が移転という形で入居することになった。訪れた日は祝日とあって、中に入るとエスカレータが動いているものの各フロアに登るとシャッターが閉まっていてそれ以上進めない状態になっていた。
元々この場所は新潟市役所が存在していて現在の場所に移転した際、再開発ビルとしてこのNEXT21が建てられたもので開業は1994年というから、バブル崩壊後ではあったものの当時とすれば、新潟一の高層ビルで三越や大和とは違った若者向けのラフォーレも入って次世代を託したものでもあったし、これで古町繁栄の持続は約束されたものだと確信していたに違いなかった筈だが、どこで歯車が狂ってしまったのかラフォーレは撤退となり、ただですら西堀ローサでテナント集めに苦労している状態ゆえ結局商業施設としての存続は諦め、出戻りというと言葉が悪いが市役所の施設で埋めることになりなんだか元の木阿弥のようになってしまった。その名前は21階建てから来ているとされるNEXT21だが、輝けたる21世紀を迎えると共に次世代への架け橋的な意味もあったのだろうと思われるが、しかしいざ実際に21世紀を迎えてみるとその輝きは無かったようなのだ。

ラフォーレは撤退後は市役所の一部機能を移転という形になった
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撤退表明後の覇気のない状態のラフォーレ
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らせん状のエスカレータを登るとフロアのシャッターが閉まっていて進めない
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その名前からも伺える通り次世代を託されたNEXT21の未来に輝きは無かった
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最後はこの古町で正に最後の砦となる三越新潟店である。さらっと見た範囲ではそれなりにお客もいるしまずますじゃないかと感じるのも束の間、客層を見れはなんだかそれも時間の問題の様に思えてきたものだ。なぜなら三越の客層に若い人がおらず年配ばかりだった事に気づいたからだ。
そもそも現在三越自体が業績不振に喘いでいて地方店舗を閉鎖する流れにあって、この三越新潟店が閉鎖の候補となっているとのウワサがくすぶり続けている。幸か不幸か同じグループの伊勢丹が万代に存在しているが、伊勢丹の方はまだ年齢層が若い人も結構来店していて、その両店舗の将来をを比較するなら間違いなく万代の伊勢丹に軍配が上がると言い切れる状態だ。
現時点では三越新潟店がどうなるかは三越の経営陣の考え一つといったところだが、百貨店の代名詞のような存在の三越だが、しかし裏を返せば古く新鮮味を感じさせないともいえる。今後しばらく三越新潟店はその高齢者達に支えられるだろうが、その役割を伊勢丹に譲りそして支えられた人々ともに静かに眠りにつくことになるのかもしれないとそんな事を考えてしまったのだ。

追記:ここまで書いたら2018年9月26日、新潟三越を2020年3月22日に閉店するとの発表があった。

古町を一通り見てみれば確かに事前情報通り大分寂れてしまっていた。直接的には郊外化の影響も大きいだろうが、しかし同じく中心市街地にある万代は中々しぶとく頑張っているのに対し、古町の一人負けというのはその歴史ゆえにこの状態へと陥ってしまったのではないだろうか?
かつては北回り航路の寄港地として発展し江戸時代は日本でも有数の歓楽街であったともされ、長きに渡り繁栄しいつの時代も常に古町は新潟の中心であった。それがゆえ古町の人々は何があろうとも古町は新潟の中心であり、万が一にも古町がその中心から外れるなどと言う事は全く持って理解できなかったのだろう。しかし現実にはその理解できない事が起きてしまいそれに気づいた時には既に遅く、時代に取り残され古く年老いて新陳代謝が出来ず一部の細胞組織が壊死つまり大和やラフォーレが閉店となってしまったようだ。それに、同じ新潟市民でも新潟島の出身ではない人にとればそんなことはどうでもいい事で、より魅力的に映ったのは万代シティであり亀田にあるイオンモールだっただけの事だろう。つまり古町はその名前のごとく街も店も人も全てが古くなってしまったのである。

ラフォーレ無き後、市役所の一部機能が入ったNEXT21と再開発される大和跡を抱える古町は今後どのようになるのだろうか。しかし大和の撤退時に新潟市長が発した文章を読めばその未来は暗いと言わざるをえない。なぜなら新潟市長としてなぜ大和が撤退するのか、つまり古町では商売にならないと判断されたのかといった視点が欠けているからだ。僕に言わせれば古町の衰退の原因は単純明快である。先にも書いた通り、時代に取り残され魅力的では無くなっただけの事で、大和やラフォーレの撤退はその事を教えてくれているのである。
ところが、NEXT21に市役所の一部機能を移転しさらに大和跡の再開発ビルにもなにか公的な機関を入れるような話になっていて、完全に困ったときのお役所頼みな状態に陥ってしまっている。そもそもそのお役所の市長サマも市の職員も街づくりを生業にしているだけで決して活性化させたり発展させる能力を持っている訳ではないのは認識しなければならない事だ。もし古町がかつての賑わいを取り戻したいというならば、お役所だのみではなくしてやられた万代やイオンをつぶさに観察することでその解の一助を得ていくことから始めていく必要があるだろう。

古町最後の砦となる三越新潟店 しかし閉店の噂がくすぶり続ける
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さて古町を後にし大通り沿いを歩いて万代へ向かう。途中万代橋を渡り信濃川を眺めれば確かに水辺の街並みというのは中々絵になるなどと思いながら、万代橋やメディアシップに朱鷺メッセを写真に収める。ただこの信濃川のおかげで鉄道を整備するとなった際に、この水辺という地理的要因から橋を架けるのが技術的にも金銭的にも困難で鉄道が古町から離れてしまった経緯があったようだ。そんな新潟市の欠点を補う役割を担ったのが路線バスで、物量作戦のごとく一日に2000本にものぼる大量の路線バスを走らせていたとの事だ。BRTについては先述した通りだが、人口減少時代のサスティナビリティを考えばやはり必要なことに違いない。

信濃川から万代方面の眺め
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万代橋と朱鷺メッセ
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さて、信濃川に架かる万代橋を渡ればその袂にそびえるのが地元紙新潟日報社の本社屋で有るというメディアシップである。2012年で創刊70周年の記念事業で建築されたというこのビルはまだ新しくそして人目を引くもので、新潟の中心が古町から万代へと移ったことを知らしめるには十分な効果があったと思う。
新聞などという斜陽産業がこんなビルを建てている場合なのかという疑問も感じないでもないが(なにせ若い人が新聞をホントに取っていないのだからその未来は暗い…)とりあえずそれは置いておくとして、展望フロアが朱鷺メッセやNEXT21の様に来る人を拒む様なことも無く開放されており、新潟市内を360度全方位に眺められ確かにこれは素晴らしいものだったと言っておこう。

メディアシップは万代のランドマーク
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朱鷺メッセと新潟港を望む
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信濃川と万代橋と新潟島
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万代シティを見下ろす
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そしてメディアシップから見下ろした万代シテイである。衰退する古町とは対照的でこちらは中々に賑わいが感じられる。元々この場所は新潟交通の車庫であったようだが1970年代に新潟交通がバスセンターの整備に続きダイエーをオープンさせ、80年代には伊勢丹を誘致、さらに90年代はビルボードプレイスを完成させるなど前進を続ける。2000年代に入り郊外化の流れや、経営が傾いたダイエーが撤退するさなかにおいても停滞する事なくむしろ郊外店に対抗すべく、ららぽーとを擁する三井不動産と組んでラブラ、ラブラ2を完成させた。万代地区に活気があるのは時代についていくため変化の手綱を緩めなかった結果ではなかろうか。
さらにもう一つは、その時点で考えられる店舗をすべて集積させた事もあると思う。たしかに万代シティを眺めてみると整備した時期がバラバラな為に新旧の店舗が入り乱れ、特にバスセンターの建屋自体がペデストリアンデッキとなって各店舗群が繋がっているのは迷路の様でなんだか雑然としている感は否めないが、しかし数多くの雑多な店舗群が集積している事は人々に万代シティに行けば根拠は無いけど何か期待が湧くし、それでもって何となく満足したような気分にさせられる事は間違いないだろう。

ただ、万代も万全というわけではなく8月に入り新潟アルタが2019年の3月をもって閉店との意向が伝えられた。古町に有ったラフォーレと共に若者向けの店舗であって、閉店は若者は給料が安いからとその影響を受けたと考えがちだが、むしろ若者たちのZOZOTOWNやメルカリのような新しいカタチのサービスに対する変化適応力の結果とみる方が適切なのかもしれない。
しかし、現在新潟交通は写真にも写っているレインボータワーの撤去を手始めにバスセンターの大規模改修を予定しているが、むしろこれを時代の変化に対応するチャレンジとして今後も取り組んで行くならば、万代の賑わい維持することができるだろうし、それが出来ないというならば、古町と同じ轍を踏むことになるだろう。

ラブラ バスセンター 伊勢丹と連なる
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伊勢丹から直角に曲がってビルボードプレイス1・2と続く
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万代シティは雑多な感じだがそれゆえ何か期待が湧くような気がする
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バスセンターの屋上がペデストリアンデッキとなりラブラ・ALTAを繋ぐ
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さて、万代シティを見て回って個人的な買い物も済ませたので、帰る前に腹ごしらえをしておこう。なんでもイタリアンというご当地グルメ的なものがあるようなのでこれを頂く。食べ始めてからふと思い出して、写真を撮ったので食べかけになってしまって申し訳ないが、スパゲッティというか焼きソバというか焼うどんというべきなのか、別に不味い訳じゃないけど何だか微妙な食べ物だなぁこれw。

新潟のご当地グルメイタリアン なんだか微妙な味わいw
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新潟の旅は、帰りの郡山便に乗って終了である。本来なら他の行先のバスの利用状況なんかを見ておきたかったのだけど、夕方発のは郡山便が一番早いのでそれが出来なかったが、東京・大阪・名古屋の大都市行きを除くと、富山・金沢・郡山・山形・長野・会津・仙台の地方都市行きがあるようだ。ただ、バスの本数が朝晩の2便(高崎・富山・金沢・郡山・山形)、それに日中の2便追加で4便が(長野・会津)で、同じ政令指定都市でも東北各地のからバスが多数発着している仙台なんかとは違いって大分少ない印象だ。確かに新潟駅の人の数などは仙台との比較をするならば、東北各県から人を呼び寄せそれに伴ってその需要も存分に吸い取ってしまっているのだが、同じ政令指定都市としてみるならばややさみしい印象なのは否めないし、新幹線も北陸新幹線の開業は新潟にとって2017年問題として以前から危惧されていて、つまり上越新幹線が支線扱いになり将来的には東京・大宮間の容量の問題から東京直通便が減り高崎や大宮で乗り換えを余儀なくされるのではないかともいわれていて(ただですら車両は東北新幹線のお下がりなのに)、新潟の地位が低下しつつあるような印象をうける。
実はこのあたりが新潟の悩みの種と言ったところで、つまり他所から人を呼び寄せる求心力が弱い事だ。北は山形の庄内地方(酒田・鶴岡)あたりまでは求心力があるようにも思えるがしかし、西は上越まで行ってしまうと、長野市の方がう距離的に近いという事もあってそれ程つながりが無いようにも思える。
妄想を語れば上越新幹線を新潟駅から羽越新幹線として青森まで延伸させるとか(まず無理だろうが)、ロシアとの平和協定を締結して新潟港が対ロシアの貿易拠点になるとか(これも領土問題がこじれているからダメだろうが)、こういった事があれば更なる発展も望めるが、おそらくそんなことにはならないので一発逆転みたいなことも無いのかもしれない。

ただ、腐っても政令指定都市なわけだから、かつてダイエーの創業者である中内功は小売り業にとって「売上は全てを癒す」といったそうだが、それを都市に置き換えるならば「人口は全てを癒す」といったところで、他の地方都市に比べればその頭数は多いのだから、市政の運営においてまだまだやりようはある筈だ。それに4選の現市長も引退表明をしある意味あらたな道を歩みだす時期ということなのだろう。
今後大和跡の再開発ビルが完成するし、新潟駅を貫通する道路も開通する。閉店される三越のその後の動向なども個人的に気になるものでもあるので数年後にまた訪れてその状況を伺ってみたい所だ。とりあえず今回はこんなところで筆をおくことにしよう。

郡山新潟線へ帰路につく
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郡山に必要な3本の道 2018

2016年から取り上げてきた「郡山に必要な3本の道」であるが、新年度に入りその状況が気になる向きもあることだろうから今年の分を取り上げてみたい。各道路は年度末の3月に見て回ってきたものだが、今年はそれぞれ結構進捗が出ており見ていて中々期待が膨らむ状況であった。早ければ今年度末には開通するもので出てくるのではと思われるもので、20年位停滞していた郡山の道がいよいよ変化を迎える事になりそうだ。

まずは笹川大善寺線の阿武隈川を渡る橋から。ここは去年も取り上げた通り、橋梁工事中だったが橋自体はほぼ完成していて、あとは舗装を施すのみだ。またケーヨーD2側の交差点からの道路も形があらわになって、こちらもまた供用開始までに本舗装をすればいい状況だ。
この橋で気になるのは新幹線の高架との間隔で見た目で感じる分には相当近い事で、平成16年に規制緩和された全高4.1mの車両が通れるかは分からないが、少なくてもそれ以前の規制である3.8mの車両は通れる様にはなっている筈だと思うが、いやそうでなければいくらなんでも設計した奴のアタマが悪すぎるw。
今のところ片側2車線のみとなるものの、これは開通してしまえば4車線化は時間の問題だろう。この笹川大善寺線が開通すれば、慢性的に渋滞している国道49号線の実質的なバイパスとなるしその効果は相当なものがある。また、ここの開通をもって安積永盛駅から伸びる永徳橋は車両通行止めとなる模様だから、旧国道の右折待ちの渋滞解消も期待できるし、朝夕の学生と車が入り乱れるといった危険な状態も解消されるといい事尽くめである。

阿武隈川を渡る橋自体は完成
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あとは舗装を施すのみ 気になるのはやはり新幹線の高架の近さ
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ケーヨーD2の交差点からの道路も形が露わに
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こちらも供用開始までに本舗装を施すのみ
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続いては徳定側である。去年は橋脚がもう一本欲しいねなどと書いたがすでにその橋脚は完成し今度は橋の上部工、つまり日大通りを跨ぐ橋を架ける段階に移っている。こちらは阿武隈川とは違い距離も短いし橋自体は案外早く出来上がるのではないかと思う。
ただ気がかりなのはその橋の先の部分で、まだ道路に引っかかる建物が残っていて土盛り等も進んでいない点だ。また末端の橋脚の位置関係が若干おかしいようにも見える。さらに日大通りからアクセスする取り付け道路などは到底出来そうもない状況だが、一応今のところは平成30年度開通予定となっているもののこれでは遅れが出そうで気がかりだ。それともやるとなったら意外と早く出来るものなのだろうか?

徳定側はまだ橋へのアプローチ部分が整っていない
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日大通りに面する新しい橋脚は完成済み
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既に日大通りを跨ぐ橋を渡す段階に移行
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この手前の橋脚は若干位置関係がおかしい様にも見える…
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少し引いたところからだと徳定部分は少々進捗具合が悪いようにみえる 足元のU字溝と奥の橋脚は一直線上に有るが手前の橋脚はやはり位置がおかしく見えるがもう一つ脇に作るのだろうか?
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土盛りされている部分から 現状2件ほど引っかかる建物がある
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そして、大善寺側である。元々こちらは20年以上前から既に片側2車線だけ(周辺の田んぼにアクセスできるよう)中途半端に整備して放置していたので通る気になれば通れるようにはなっていたが、ようやく国道49号の東山霊園入口交差点部分も舗装を実施したりと整備は進んでいる。当面は片側2車線だが、この状態では田んぼのトラクターやら田植え機が出てくる時期となるとかなりの渋滞を引き起こすだろうから、4車線化は早々に実施しなければならないだろう。

大善寺側は片側2車線だけ舗装した状態で20年以上放置されていた
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東山霊園入口交差点は新たに舗装を実施
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次は東部幹線の水神山工区である。去年造成していた部分は舗装が施されさらに、三春街道入口交差点にあるコナカの看板が見通せるようになった。逆に三春街道入口交差点側からだと今一つその状況が見えなかったのだが、窪地となっている陰では地面を掘り下げて造成が行われていた。また写真にある左隅の住宅は既に解体されているし、ここは今年度末には開通が期待できそうだ。

年造成されていた部分は舗装まで実施 その先にあるコナカが見渡せるようになった
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振り返るとこんな感じ
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造成部分の端点
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端点側から見下ろす
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端点側からコナカ方面の現在造成中の部分
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現在造成中の部分は窪んでいるので三春街道入口側から見通せない 
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三春街道入口交差点から 左にある住宅は既に解体されている
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次に伊賀河原工区である。道路自体に延伸は無いが、磐越西線を跨ぐための橋脚が新たに作られていた。ここも進展が見られるのは喜ばしいことだが、しかし郡山の場合橋脚を作っただけでは全く安心できないのだ。先に取り上げた笹川大善寺線の阿武隈川を渡る橋や東部幹線の桜木工区の逢瀬川部分がそうであるように橋脚だけを作って放置プレイなることが多いからだ。

道路の端点側は変化なし
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磐越西線を跨ぐ橋脚を作成中
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同じ橋脚を伊賀河原方面から 放置プレイとならない事を望む
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そしてちっとも進んでいない伊賀河原地区は郡山インター線の端点からの眺めは去年とほぼ変わらないが、しかし一部で住宅の解体が行わていた。しかしここは区画整理事業との兼ね合い進めているとの事だからこの様子だと当面で出来る事はなさそうに見える。確かに道路に掛かる部分は住宅が減ってきたようだが、そもそも区画整理自体が進んでいる様に見えずまだまだ区画整理されていない所に住宅がたくさん残っている状態だ。現状では移転した所とそうでない所が入り乱れここに住んでいる住人にすれば不便極まりない事だろうが、そういった意味からでも早急にケリをつけるべきだろう。

郡山インター線からの眺めはほぼ去年と変わらず
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一部住宅は解体されているが東部幹線や郡山インター線の完成はまだまだだろう
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伊賀河原の中でちょっとだけ期待が持てるのは、郡山荒井線の経路変更となる部分だろうか。去年も書いた通り、采女通りの伏流側から逢瀬川を渡るように経路が変更されるが、下部工実施中となっていたものが大分完成している。あとは上部工で橋桁を渡して経路変更を実現し、若葉町交差点そばの郡山荒井線交差点を塞いでしまい早晩の渋滞解消を期待したい。

下部工として南岸(写真右岸)も大分出来上がってきた
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下部工の北岸(写真右岸)は完成
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郡山荒井線の経路変更を早期に達成して欲しい
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東部幹線の最後は桜木工区である。こちらは例によって何もないんだろうな思っていたが、何やら囲いがしてあるので何か始まったのかと思ったが、除染土搬出の工事看板が出ていたので、東部幹線延伸工事とは関係がないようだ(というかこんなところにまで除染土を埋めていたのか)。ただ、逢瀬川の川岸に何やらテープで囲んであったので、いよいよ何かを始めるつもりなのかもしれない。

なにか囲いがしてあるが…
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工事看板には除染土搬出と有ったからこんなところにまで埋めていたのか
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例によって特に進捗無し
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ただ南岸にテープで囲いがしてあったから何か始めるつもりなのだろうか?
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次は内環状線である。現状では郡山小野線から芳賀小までの盲腸線のような状態になっている内環状線であるが、去年は工事が始まっていてどのくらい進んだのか楽しみにして見に来てみると、一見もうほぼ完成状態にある。車線のラインこそ引かれていないが、舗装の上塗りも施されているしあとはクルマを通すばかりじゃないかと思い奥に進んで行ったらなんと、150mばかり残してセブンイレブン郡山芳賀1丁目店の有る通りまでつながっていないという状況で、いくらなんでもこれはちょっと惜しい、いや惜し過ぎるとしか言いようがないものだ。たった150mでこれである。しかもその150m程の土地が大して活用されてないのだ。こういうのをみてしまうとつくづく、公益と私益の関係つまり公共の福祉の定義を真剣に考えねばならいないと思うのだがいかがだろうか。それからもう一つ、アパートが一部歩道にはみ出したりもしていたけど、僕がアパートの大家ならみっともなくてとてもこんな事出来ないけどね…。

車線こそ引いていないがほぼ完成状態
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アパートが歩道にはみ出している
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奥まで歩いていくとあれっ?繋がっていない…
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残り僅か150m程で繋がらないのは惜しい実に惜しい惜し過ぎる
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振り返ればここまで出来ているのに
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次は小ネタで国道288号バイパスである。去年内環状線と旧国道の交差点に右折レーンを設けた事を取り上げ、それによってその先が混むようになったと書いたが、そしたら今年は一部車線を広げる工事が始まって、ついに拡幅を行うのかと喜んでいたら、どうやら地域区分局として郡山東郵便局が出来てその丁字路を出入りするトラックの右折待ち渋滞を緩和する措置の工事のようで、これもちょっと右折街のトラックをやり過ごせるようにお茶を濁した程度の拡幅の様だ。
そもそも、郵便局は今のところ国が株を持ってはいるものの民営化された筈で、一民営企業の為に道路を拡幅するのはどうなのよ?という疑問がわかないでも無いが、どうせやるならこんなケツの穴が小さい事をしないで阿武隈川を渡る橋まで一気に4車線化してほしいところだ。

なにやら車線を広げる様な工事を始めているが…
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でも工事区間は丁字路の部分のみ
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この奥には地域区分専門局の郡山東郵便局がある
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最後に郡山中央スマートインターチェンジを取り上げよう。土地買収に手間取って共用を2年先送りした郡山中央スマートインターチェンジだが、今年はだいぶ工事が進んだようだ。概ねインターチェンジ部分の土盛りが行われだいぶ形が出来てきた。ジューケン葉山も移転済みで元の建屋も解体中で、障害となる建物も無くなったようだし後は着実に工事を進めていけば、間違いなく今年度末には完成となる筈だ。
僕は安積町に住んでいるので高速を使う時は専ら郡山南インターになるし、仙台行きの高速バスは今のまま郡山インター経由だろうから個人的には余りお世話にならなそうだけどね。

下り線側の入り口
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下り線側は概ね土盛りが完了
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下り線側の合流部分
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こちらは上り線の合流部分
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上り線側は新桜通りに向かって工事中
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ジューケン葉山の元の建屋を解体中
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完成予定図をみると下り線側はすごく大回りしている
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以上今年は冒頭に書いた通り、それぞれだいぶ進捗が見えてきた状況だ。来年このシリーズの記事を書くころには、そのいくつかが開通している事を期待したい。
プロフィール

あさか野

Author:あさか野
郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

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