豊田浄水場跡地の活用案を考える

先日郡山商工会議所が旧豊田浄水場の跡地利用を含め、今後10年20年に向けた郡山のまちづくりに対する提言を行ったとの報道があった。報道内容については新聞記事を引用するが、確かに豊田浄水場の跡地利用は気になるところではある。

郡山商議所、LRTの整備提言 中高一貫校設立も (日経新聞 2018/11/20 20:32)

郡山商工会議所(滝田康雄会頭)は20日、10~20年後の郡山市のまちづくりについての提言をまとめた。LRT(次世代路面電車)やモノレールの整備、中高一貫校の設立、郡山駅の新連絡通路など幅広く取り上げた。地元経済界の中堅・若手が中心になり、2000人を超える市民から声を集めたという。実現に向けて市役所や関連団体との連携を目指す。

「郡山グランドデザインプロジェクト」として12のテーマをあげた。開成山公園の東に広がる旧豊田浄水場跡地について、LRTやモノレールのターミナルとし、地下には自家用車から乗り換えられる大型駐車場を設けることを提案した。

市民から歩いて暮らせる街への要望が強かったといい、モノレールのルートとして市内を東西に結ぶさくら通りをあげた。世界で活躍できる人材を育てる中高一貫校の設立を求める声も多かったという。

JR郡山駅の北側に店舗を備えた東西連絡通路を設け、同駅東口に商業施設とホテルの複合施設をつくることを提案。国際会議場ビッグパレットふくしま前への新駅も求めた。

記者会見した滝田会頭は「若い人のこういう街に住みたいという声を中心にまとめた。具体的な議論のスタートラインにしたい」と述べた。


随分と古い話だが小学生の頃に遠足か何かで豊田浄水場に見学に行った事があって、夏場は1日でこの池の水を使い切ってしまうのだと説明されたような記憶があり(古い話なので間違ってるかもしれない)、郡山にとって重要な浄水場のイメージがあったのだが、実は震災の頃には既に一部の地域にしか給水しておらず、メインの浄水機能は堀口浄水場が担っている状況になっていて、豊田浄水場自体は2013年3月31日で給水の停止をもって廃止となった。
しかし、廃止となって6年が経過しようとしている今となっても具体的な跡地利用の案は示されず、今後どのような計画が立てられるのか注目されるところだが、そこで今回は旧豊田浄水場跡地利用について考えてみることにしたい。

廃止より6年が経過しようとしている豊田浄水場跡地だが未だ手付かず
suidoukyoku_ato1.jpg

具体的な私案は後述するとして、先ずは郡山において過去にあった跡地利用の事例をたどっていくことにしよう。郡山市民にとって一番分かりやすくてインパクトがあったものといえば、旧国鉄郡山操車場の跡地に作られたビッグパレットふくしまだろう。1960年代国鉄の操車場が計画された当時、今後の貨物輸送量の増加を鑑み、コンピュータによる自動化された車両操作を導入し整備された郡山操車場は取り扱い能力を4300両/日、人出に頼っていた車両操作の作業員数を1/3に、経費は年間7000万円低減するとされ、その規模と最新設備をもって東洋一の貨物操作場などと呼ばれたものだが、物流の主力は鉄道からトラックへと移り、また鉄道による貨物輸送自体も従来の貨車からコンテナ輸送に代わり(つまりフォークリフトでコンテナを上げ下ろしするだけになり、貨車の操作自体が不要になった)、1984年操車場は全廃されることになった。僅か20年と運用されなかった操作場自体の是非はここでは問わないが(サンクコストはどうこう言っても戻ってはこない)、しかしその後、県がここにコンベンションホール(当時は産業見本市会館などと呼ばれていた)を整備することとなったものが、このビッグパレットである。
今現在、郡山で大きなイベントをやるというならこのビッグパレット一択であり、大小様々なイベントが行われていてまあまあ成功事例と言える。周辺は区画整理も実施され(郡山市の後に町が付かず南 という住所になっている)、そして現時点では仮設住宅となっている部分も県の合同庁舎建設予定となっており、さらに新駅が整備されれば郡山副都心としての役割を果たすこととなるだろう。

跡地利用の成功事例ビッグパレットふくしま
big_palette_fukushima.jpg

次の事例は共に日東紡の工場跡地の二つである。一つはTHE MALL郡山であり、もう一つは麓山の杜と称する21世紀記念公園だ。THE MALL郡山はこの記事に書いた通り元々は西友が郡山駅前で西友郡山西武店として営業していたものが、郊外に移転しLIVIN業態で営業しているものだ。バブル崩壊後は西友自体が紆余曲折を経てきた事もあるし、開業当時はともかく今となっては他県にあるようなショッピングモールに比べ見劣りするのは否めないが、ベニマルの寡占状態に抗う存在として、また水戸のように同じく駅前にあった西友が営業していたなんちゃって西部をLIVINに業態を変更し、その後閉店となった事(郡山のように移転ではない)を思えば、やはり必要であるに違いないしその跡地利用に及第点はつけられるだろう。

THA MALL郡山としての跡地利用は及第点は付けられる
the_mall_koriyama2.jpg

対する21世紀記念公園の方だが、公園整備当時は確か藤森市長の時代で、その頃の郡山は大小の公園整備に躍起になっていたが、それは市長の奥さんの実家が造園業を営んでおり、そこに仕事を回す為だなどと陰口を叩かれていたものだ。実際は市の面積に対して公園が少ないとの理由付けはされていたようだが、それはともかくとして麓山公園の隣がまた公園とは首を傾げたくなるのは理解出来なくも無い事だ。個人的に公園整備を否定しているものではなく、公園も都市における必要な要素の一つでありその重要性も理解するが、ただもう少しやりようがあったとは思うものだ。つまり郡山開拓の歴史とこの麓山地区というのをどうあるべきかという事を総合的に考え整備すべきだったというのが僕の見解なのである。実際安直に公園として整備したものの、駐車場を付近の図書館、公会堂、公民館と共用している為、休日など駐車場がすぐに埋まってしまいまともに機能していない現状があるが、この麓山地区においては別途あり方を考えてみたいと思うものだ。個人的には及第点は付けられないと考えるが跡地利用はとしては止む無しだったと言ったところだろうか。

公園の隣にまた公園の21世紀記念公園はもう少しやりようがあった筈だ
21st_century_memorial_park.jpg

次に跡地利用の落第点の事例を見ていこう。それは郡山南インター近郊に整備された郡山総合地方卸売市場に伴って、廃止になった富久山の食品団地と安積町(安積永盛駅南西)の旧青果市場の跡地である。特に食品団地は市場機能こそ移転となったものの民間の関連業者がそのまま残った事もあり、その跡地はミニストップに、モスバーガー、すき家にラーメン屋もあったか、そしてカワチとパチンコ屋が(出店出来るならしておけとばかりに)深い考慮もなく出店してしまい殺風景なものとなってしまった。本来ならば、関連業者にも移転を促し(無論政策的な優遇措置が有ったっていい)東部幹線の拡幅を実現すべきだったと思うのだ。

旧食品団地跡はただ店が進出してしまい殺風景な印象だ
shokuhin_danchi_ato.jpg

安積町にあった旧青果市場跡もパチンコ屋が出来るなど、さほど有用な活用は出来ていないが、元々この周辺には工業団地と言う程でもないが中小の工場が点在している地域でもあり、また敷地自体もそれ程広くなく表通りに面してもいないので、失敗と言う程ではないのかもしれ無い。

旧青果市場跡にもパチンコ屋が…
seika_ichiba_ato.jpg

過去の跡地利用の事例を見たところで、ここからが浄水場跡地の活用案である。先ずは跡地の地理的な要素を加味するならば、西に開成山公園が存在し総合体育館もある。東には商業施設としてTHE MALLが存在するが、先ほど21世紀記念公園をもってして総合的に考えよと書いたが、やはりをれを考えるなら開成山公園の存在は無視できない。開成山公園は都市公園としての役割を持ちそして、総合運動場の役目も兼ね備える。特に総合運動場に目を向ければ、開成山野球場(ヨーク開成山スタジアム)、開成山陸上競技場(郡山ヒロセ開成山陸上競技場)、開成山屋内水泳場(郡山しんきん開成山プール)、開成山弓道場、総合体育館(宝来屋郡山総合体育館)とある。ここに足らないピースと言えばそれはやはりサッカースタジアムではなのいか。ネーミングライツは郡山に本社を構えスポーツ用品店を経営するゼビオしかないだろう。ゼビオとはかつてアイスホッケー場の建設で揉めたのどうのとの真偽不明なウワサがあるが、ここはサッカースタジアム建設をもって手打ちと願いたい。

西側は総合体育館に隣接
koriyama_sougou_taiikukan.jpg

無論サッカースタジアム建設に対し、プロチームもないのに作ってどうするんだとの批判も出ようが、ここはひとつ将来のJ2、そしてJ1入りを見据えてクラブチームを育成して行く事に取り組んでみるのもよいのではないだろうか。僕自身は現状を鑑みた現実主義者・実利主義者であるが、一つや二つ将来に向けて夢のある事をやっていくのも悪くないと考える。かつて郡山ではジョージ・ウェア騒動なんていうのがあったし、野球の話だが去年は独立リーグの福島ホープスの経営問題なんて言う事もあった。なんだかプロスポーツ不毛の地と言えるような状況の郡山だが、過去の失敗を糧に郡山が熱くなれるものを創り出していくというのも都市の魅力として必要な事に思えるのだ。

さて、サッカースタジアムを建設したとしてもまだまだ敷地に余裕があるので、総合運動場として勘案するなら富田にあるテニス場をここに移転してしまえばいいだろう。コンパクトシティという表現は何か手垢がついて好きな表現ではないのだが、あんな不便な場所にテニス場がある必要はなく、もっと利便性のいいところにあるべきものだ。幸い屋外施設ならば建屋もいらないし費用もさほどかからない筈だ。富田の跡地は払い下げて、住宅分譲地としてもいいしヨークタウン(無論手を挙げる者がいるならベニマル以外でも全然かまわないが)のような商業施設でもいいだろう。

さらにそれでも余裕があるので、東隣りに存在するTHE MALLに着目すれば、先述した通りTHE MALLの魅力自体が落ちている事もあり、ただそれを指をくわえて見ていても仕方ないから、THE MALLの魅力を向上させる施策が必要だ。

東側はTHE MALL郡山に隣接している
suidoukyoku_ato2.jpg

魅力をあげるとは具体的にはどういう事なのかといえば、それは増床であり2号館の建設である。例えば同じ西友の店舗であるTHE MALL仙台長町店は、道路を挟んでPart2と称する2号館を作り渡り廊下で本館とつないでいて、さら全く別会社である三井不動産経営のララ・ガーデン長町ともやはり渡り廊下で連結し相乗効果を生み出し、長町の核施設として仙台の中心部や泉のアリオ・セルバそして名取のイオンモールに対抗しているのである。

仙台にあるTHA MALL仙台長町店はPart2として別館が存在
the_mall_nagamachi.jpg

これはウワサに過ぎないので真偽は定かではないが、元々THE MALL郡山は計画段階では3階部分も商業フロアとなり、シネコン等もできる予定だったともいうが、どういう訳か計画は縮小され現状の形になったとされる。2000年11月22日開業からあと少しで20年が経とうとしているが、今後の20年を見据えるならば、他所のショッピングモールに引けを取る部分を是正しその魅力を高めていく必要があるのは言うまでもないことだろう。それにこの西友という会社だがどういう訳か郡山には好意的のように思え、先述した通り水戸などは閉店してしまったのに対し、さほど儲かるようにも思えない郡山で(郡山市民の所得は多いとは言い難い…)営業を続けていて、もし西友側にその気があるならば政策的な後押しがあってもいい。増床したPart2には以前ポシャッたシネコンを展開したり、手狭な現在のフードコートをリニューアルするなどし新たな需要を掘り起こすといいだろう。

Part2とは渡り廊下で本館と連結し連絡すればいい
the_mall_koriyama3.jpg

ただ、一つだけ気がかりなのは、日経新聞から西友の親会社であるウォルマートが西友を売却するとの報道があった事で、これに対しウォルマートは我々は日本で稼いでいると否定するコメントを出しているものの、日経の飛ばし記事ともウォルマートが上げた観測気球ともいえる状態で西友の先行きが不透明な事だろうか。

実際、西友自体も昔のなんちゃって西部からLIVINへと転換したいわゆるGMS業態を辞めたがっているようなフシがあって、例えば、姫路、周南、小倉のTHE MALLはここ数年で閉店(他社に売却)しているし、春日井も一部を大和ハウス工業に売却してしまっている。儲からないGMSからは手を引きスーパーマーケットに特化しているようにも見える。とはいえスーパーマーケット事業がそんなに儲かるのか?との疑問も湧くが、西友は小型店舗が地域内に点在していて、いわゆるネットスーパーにとっては好都合のようなのだ。つまり注文した商品を在庫しておく店舗兼倉庫の役割を果たせるというし、それは配達にも有利なのである。実際楽天と始めた楽天西友ネットスーパーもまだ始まって間もないにもかかわらず案外好調なのだそうだ。このような動きを見ていると確かに優良店舗を残し売却を伺っているというのも現実味を帯びてくる。

西友を買える企業といば、イオン、7&i、ドンキホーテ、楽天、あるいはその他投資ファンドといったあたりだろうが、7&i自体グループ内のGMSであるイトーヨーカドーの立て直しがままならない現状があって西友にかまけている場合ではないからこれは無いとして、ネットスーパーで提携する楽天は携帯電話事業を始めるにあたり、基地局等への設備投資が必要で今は資金的に厳しく無理だ。とすると不調なライバル達を買いまくってきたイオンが買えるならばと取り合えず買うか、ユニーを買収しドンキ流店舗への転換によって成果を上げているドンキかといったところになる。実際、ドンキの社長は「(西友に)興味がある」、「(西友の)優良店舗だけ買う方法があるなら教えてほしい」との発言もしていて、何だか西友はどうなってしまうのかと思ってしまうのだ。

このような状況下にある西友のTHE MALL郡山増床案に対し、お前はなんでそんなに西友に肩入れするのか?西友の回し者なのかとの批判もあるだろう。その理由は単純明快だ。僕はもうこれ以上郡山に廃墟を増やしたく無いのである。
つまり、万が一にも西友が売却されたとして、今のままのTHE MALL郡山が存続できるかという事なのだ。THE MALL郡山の存続は買収先の考え一つであり、今のうちに収益が上がる(儲かる)店舗を作り上げ、その影響力を誇示したいのだ。そうすれば仮に西友が売却となったとしても、郡山店を無視することができず売却先から切り離され整理されるなんてことを回避できる。万が一にも閉店となってしまったら、郡山の場合跡地利用に時間がかかる例は後を絶たず、旧ダイエー跡など解決に20年も要したり、旧丸光跡も大して利用もされずにいた事。旧丸井跡だって震災がなければどうなっていたかさえ知らず、さらに駅前には廃墟となったままの、寿泉堂、太田、星の三病院跡が未だ存在していて、それはもう絶望的なのである。無論これは最悪のシナリオだが、しかしそうならない為にも今のうちに将来も存続できる儲かる店舗を作り上げておくべきだ。それは何も企業ばかりではなく、利用客である郡山市民にとっても魅力的な店舗が存在するのはメリットである事は言うまでもないだろう。

そして、仕上げにバスターミナルの設置である。現在郡山市は市役所周辺に新たにバスターミナルの設置を検討しているとされる。個人的に郡山の交通網に対してはまた別途その考えを述べたいと思っているが、とりあえず市役所近辺に設置となれば、まとまった土地のあるこの豊田浄水場跡地か、旧パラマウント硝子工場跡地のどちらかしかないだろう。ただどちらにしてもバスターミナルの位置的に使い勝手という点で、難が有るのは否めないところだ(なにせ市役所を起点とすると少しばかり距離がある)。

以上の内容を網羅した図をYahoo地図から同一縮尺で切り貼りした画像を載せておく。単純に重ねただけなので乱雑な仕上がりで申し訳ないが、イメージを掴めてもらえば幸いである。切り貼りした施設は、仙台のユアテックスタジアム、郡山庭球場、ララガーデン長町、郡山駅のバスターミナルである。見ての通り隅の部分や施設どおしの隙間など結構余裕があるので、きっちり細かいところ迄考えて設計すればあと一つぐらい何か施設を作れそうだ。
実際の所どのような跡地利用になるかはわからないし、多分大した事も出来ないであろうことは想像に難くないが、しかし食品団地のようにどうでもいい店が出来るような残念な跡地利用にはなって欲しくない。今後の郡山の大計として取り組んでもらう事を切に願うものだ。

豊田浄水場跡地利用イメージ図
toyoda_jyosuijyo_ato_plan.png

さて、最後に豊田浄水場跡地利用とは直接的な関係はないが、さくら通りを挟んだ北側にある旧パラマウント硝子跡地について動きがあったので少し取り上げて締めることとしよう。

郡山市の日東紡工場跡地、地元建設会社が取得 (日本経済新聞 電子版 2018/12/19 22:00)

福島県郡山市の旧市街地、長者地区にある日東紡績の工場跡地約5ヘクタールを地元の建設会社、金田建設などが取得したことが分かった。市内の中心部に残された数少ない遊休地について、工場の操業停止からほぼ10年ぶりに活用に向けた動きが具体化する見通しだ。

工場跡地は安積黎明高校の北隣。幹線道路のさくら通りを挟んだ斜め向かいには大型商業施設のザ・モール郡山(敷地約5ヘクタール)がある。

金田建設は地元不動産会社の宝沢商会と組み10月30日付で土地を取得した。市街地のうえ面積が広いため開発には行政との調整が必要になりそう。土地の用途規制上は商業施設、マンションなど幅広い施設をつくることができる。

この土地には戦前から綿糸などをつくる日東紡の第三工場があった。その後グループのパラマウント硝子工業が断熱材を生産していたが2009年に生産を停止した。

日東紡の第二工場の跡地が現在のザ・モール郡山で、近接する第一工場の跡地は郡山市が買収し21世紀記念公園麓山の杜(はやまのもり)として整備した。

金田建設は建築に定評があるほか不動産取引に強いことでも知られる。


このパラマウント硝子跡は敷地は広いものの、さくら通りからやや奥まった場所にある為、アプローチが悪く商業利用は難しそうだ。手前にあるネカフェのサイベックスも含めて一体的に開発できればよいのだがはたしてどうだろうか。無理に商業施設としてもTHE MALLと競合するし、無難にマンション開発や住宅分譲地でも全くかまわない。少なくても10年放置されるよしよっぽどマシで、取り合えず土地が何の形であれ有効利用されることを望みたい。

旧パラマウント硝子跡地の有効利用を望む
paramount_ato.jpg
スポンサーサイト

(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2018年4月) 新潟県新潟市

番外編の隣県の県庁所在地を訪れるシリーズ。今回は新潟県新潟市である。日本海側(裏日本などという表現をすると新潟市民に怒られるのだろうか)最大の都市でありまた日本海側唯一の政令指定都市でもあるのだが、郡山からは仙台に比べ距離的にやや遠いと事を勘案しても、その距離以上に遠さを感じさせる都市でもある。
新幹線なら一旦東北新幹線で大宮まで行き、上越新幹線の乗り換えとなるがおかげで運賃が高いし、かといって磐越西線ではとんでもなく時間がかかる(ヤフーの乗換案内で調べたら6持52分発の11持55分着で所要時間5時間3分と出た)。高速道路も磐越道が会津若松ICから西が片側1車線の対面通行となり地味に不便を感じさせる。高速バスも設定されているが、朝夕にそれぞれ1便のみで使い勝手が悪い。そのせいもあってか新潟の会社と付き合いがあるなんて話しはあまり聞かないし、確かに繋がりが薄い感は否めないものだ。そんな新潟県な為、僕にはなんだか凄く雪が降るところとか全くもってその程度の認識しかないのだが(隣の県なのに申し訳ない…新潟市民に言わせれば雪はそれ程でもないが天気は悪いそうだ)、今回あらためて訪れてその現状を探ってみようと思った次第である。

さて、例によって移動は公共交通機関という事で高速バスの郡山~新潟線である。当日はゴールデンウイークという事もあってか乗客は満員で比較的若い人が多かったけど、中年のオジサンもいたし高齢者いるといった具合で年齢の分布はある程度バラツキがあったように見えた。特に連休でもない普通の週末だと夕方発の新潟行は大体14~5人といったところだが、連休となるとそれなりの利用がるようだ。まぁそこまでする人はいないだろうが、予約をするのが出遅れたとかで乗れないなら一旦会津若松まで行き、会津若松発の新潟便という手もある。
当日はちょうど郡山シティマラソンの日で市役所前のさくら通りが規制された為、さくら通り、内環状線、うねめ通り、R49、郡山ICという経路だったが、最近高速バスはこの新潟便をはじめ、仙台便、会津若松便、福島便がさくら通り、R49と経路が変更されている(以前の郡山郵便局脇は通らなくなった)。それはこっちのほうが利用があるからという事なのだろうけど、何だろう郡山女子大関連の需要なのかな。

高速バス郡山・新潟線 GWの昭和の日とあって満員だった
highway_bus_to_niigata.jpg

運航自体は概ね順調で磐越道も連休初日だったにも関わらず渋滞もなく、ほぼ定刻通りに新潟の万代シティバスセンターへ到着。仙台便が片道約130kmで往復3,400円、新潟便が片道約160kmで往復5,550円というのは、時間はともかくとしてもやっぱりちょっと距離以上の差を感じてしまうものだ。
バスセンターの建屋に入り中を歩いていくと、何だかカレー臭い一角がある。そうえいばここカレーが有名なんだっけ?と思ったら、みんな必死にカレーを食べているではなかw。なんでもルーから手造りし、和風だしととんこつベースのスープで伸ばしてつくられるとの事でそういう自分もカレーを食べる訳だが、まぁカレーですよ位の感想。個人的には隣のどんぶりブッチャーという店が気になるなぁ。

万代シティバスセンターの一角がカレー臭くなるくらいみんながカレーを食べている
bandai_soba.jpg

これが万代そばのカレーライス まぁカレーですよ
curry_and_rice.jpg

腹ごなしを終えてまずは、新潟駅である。日本海側唯一の政令指定都市である新潟の表玄関はどれ程のものかと期待して来たのだが、なんだが古めかしい駅ビルが建っていてそれ程でもない印象だった。その古めかしい駅ビルの中に入れば通路が狭く歩きにくいし地下のテナントは時間が止まったかのような昭和の雰囲気であるが、それもその筈この駅ビルはすでに50年を経過し数年後には取り壊される予定だから、今更どうこうという事もないのだろう。

新潟駅ビルは築50年以上が経過し政令指定都市にそぐわぬ昭和な雰囲気
jr_niigata_st_bandai1.jpg

新潟駅のバスターミナルは、屋根付きだが車庫のようだ。雪国ゆえ屋根付きは有難いだろうが、バスがバックで入るターミナルなんて初めて見た。しかし笛でバックするバスを誘導するおじいさんは中々大変だ。今のバスはまだマシだけど昔のバスは排ガスがさぞ酷かったことだろう。

屋根付きだがバスがバックで入るターミナル
jr_niigata_st_bandai2.jpg

新潟駅であれこれ撮影していると連接バスがやってきた。実は今回の目的の一つであるのがこの連接バスを使ったBRTのツインくるである。これは明日じっくり乗ってみることにしよう。

連接バスの愛称はツインくる
jr_niigata_st_bandai3.jpg

さて、先ほど新潟駅ビルは数年後に取り壊されると書いたが、その理由がこの新潟駅連続立体交差事業にある。簡単に言うと新潟駅近辺の在来線を高架化し、ついでに新幹線ホームと並べて乗り換えの利便性を向上させるものだ。2018年春にその一部が完成し、従来の地上にあるプラットホームが廃止されている。引き続き残りの高架を増設し全ての高架化が完了するのが2021年の予定でその後、新潟駅ビルを撤去した上で新しい新潟駅広場を整備するとともに、駅の両側を往来出来る道路も整備するとの事だ。そういう訳でまずは新潟駅連続立体交差事業の完了待ちという状態なのである。

使用が停止された地上のプラットホーム
jr_niigata_st_platform1.jpg

新しい高架に車両がやって来た
jr_niigata_st_platform2.jpg

今度は渡り廊下を歩いて新潟駅の南口にやって来た。こちらはいわゆる新幹線側の駅ビルで、一応駅ビル内にもある程度のテナントが存在するが、100万都市の規模から考えるとお店の数がやや寂しい印象がある。駅ビル直結のCoCoLo新潟南館があってビックカメラ等も入っているのだが、人の数は万代口に比べるとだいぶ少ない。
ただ、訪れた日は昭和の日で広場でチューリップの花びらを使って絵にするイベントが行われていて、イベント自体にはある程度の人が居たのだけど、やはり地方都市で駅の両側を発展させるというのは中々難しい事なのだろう。

新潟駅 南口(新幹線口)
jr_niigata_st_south1.jpg

チューリップの花びらで作った絵
jr_niigata_st_south3.jpg

新潟駅直結のCoCoLo新潟南館
jr_niigata_st_south2.jpg

実際その新潟駅の南口周辺には、プラーカと称する複合施設が存在する。1985年にプラーカ123の3棟が商業施設として同時開業したのだが、結局万代や古町との競争に負け経営破綻になったとの事で、JRがCoCoLoにそれ程注力してないような印象を感じるのもこう言った事実があったからなのかもしれない。
ただ、プラーカにとって不幸だったのは、テナントの西友誘致が取りやめになった事や、それに新潟駅南口には新幹線開業後もしばらく車両基地があって(ようは今の駅前広場がなかった)、線路が邪魔してアクセスが悪いというのもあったようだ。

経営破綻したプラーカ123
jr_niigata_st_south_plaka123.jpg

さて新潟駅南口からは一旦バスに乗って郊外店のイオンモール新潟南へ向かう。ほぼ新潟亀田インターに直結と言ってもいい場所に立地しておりまさに地方にある郊外店のイオンその物の姿である。御覧の通り車は一杯で結構な混雑ぶりだった。店舗の内部についてはもう言わずもがなでありそれは紛うことなきイオンモールなのだが、僕のようにあっちこっちのイオンモールを見ているとその金太郎飴的な退屈さというかそういうものを感じてしまうようになってしまっている。当面は安泰だろうが、しかし早晩このあたりの対策を講じていかなければならないそんな時期に来ているのではないだろうか。

イオンモール新潟南
aeon_mall_niigata_minami_1.jpg

このイオンモール新潟南店で特筆するとすれば、高速道路を挟んだ向こう側にホームセンターを中心としたアークランドサカモトが存在し、さらに目と鼻の先にはアピタ新潟亀田店がある事だ。直接的にはこれらは競合店と言う事になるだろうが、しかし新潟亀田インター周辺の巨大店舗群の集積によって、郊外へ人を引き付けるという視点から考えるならそれは絶大な相乗効果を発揮したといえるだろう。ただこちらも、そのライバル店であるアピタの運営するユニーがファミマと統合しさらに、ドン・キホーテと資本提携をしていて、GMSの改革に乗り出している、今のところはドンキとの融合店は一部店舗に限られるがライバルもまた動き始めているのだ。

イオンモール新潟南
aeon_mall_niigata_minami_2.jpg

イオンを見て回った後は、再び新潟駅に戻ってくると、さっきのイベントで今度はキャンドルを灯して何やら駅前広場で雰囲気を醸し出していた。ちょっと調べてみても何のイベントだったのかは分からなかったけど何だったんだろう。

jr_niigata_st_south4.jpg

jr_niigata_st_south5.jpg

jr_niigata_st_south6.jpg

暗くなってきたので、少し寄り道でメディアシップによって新潟の夜景を見てこよう。この新潟日報のビルは展望階が解放されていて新潟市内を一望できるのだ。さすが夜景となるとにF2.8の手振れ補正付のレンズでも手持ちは中々厳しいが、縮小して見れそうな奴を張っておこう。夜景そのものは地方都市としてはまぁまぁだと思うけど、中心部にあるこのビルより映っている朱鷺メッセの方からこちらを望んだほうが奇麗なのかもしれない。

新潟港方面
media_ship_night_view1.jpg

古町方面
media_ship_night_view2.jpg

さて、今回の主たる目的のひとつであるのが萬代橋ラインラインと名付けられたこのBRTである。新潟では元々新潟駅万代口から万代シティ、古町、市役所あたりまで、物量作戦というか数に任せて路線バスをジャンジャン運行していて、実際この区間はバス停も数分間隔で運行みたいな事が記載されており、古町に行きたいなどというと大概のバスはそこを通るから来た奴に乗れ的な結構乱暴な案内だったりした位なのだけど、さすがに運転手不足や団子状態による運行の非効率さなどを改める為、要はBRTを基幹として通し、各方面向けに支線を分けるなどして効率化しようとした訳だ。

ただそのBRTの導入にあたり、その事前準備が稚拙だった事で、運行開始から運賃徴収にトラブルが発生(そのせいでしばらく運賃がタダになった)、しかも新潟日報の元記者だったという市長はトラブル収束の為に陣頭指揮をとらず、そうこうしていること今度は連接バス車両の接触事故まで起きるなど、散々なデビューとなってしまったようだ。

しかし、僕はBRTの導入に関しては将来に向けて必要との考えから肯定的な立場なのである。分野は違うけど技術者の立場から語るならば、新しいものをサービスインするにあたっては、事前に相当の検証を行ったとしても何かしらのトラブルというのはどうしても発生してしまうものだ。
一例をあげるとすれば、あの天下のJRだって山手線の新型車両が運行開始直後にトラブルが発生しその後3ヶ月もかけて検証し直しているのだ。しかし、こういったトラブルをやり玉にあげるのはマスコミな訳だが、そのマスコミ出身の新潟市長サマは責任は新潟交通とレシップ(運賃箱の製造会社)にあるとして、逃げ回っていたようなのだ。
自分が推進してきたBRTプロジェクトなのだから、トラブルが出たら自分が矢面に立つべきで、ただ選挙の時の実績作りの為などというセコイ考えは捨て、正々堂々と表に出て発信すればいいのである。そのいい事例は博多駅前陥没事故の際の福岡市の高島市長が上げられる。僕はトップに立つ人間は聖人君子ある必要はなくいざというときに仕事をしてくれればいいし、またそういうものだと思っているのだ。

新潟駅万代口のBRT用バス停 連接バスは全長18m追い越し注意だ
niigata_city_brt1.jpg

新潟駅万代口を発車する連接バス こうして見ると確かに長い
niigata_city_brt2.jpg

さて、実際にその連接バスに乗ってみる。行きは連結の前部車両に乗り終点の青山まで、帰りは連結の後部車両に乗り古町まで戻ってみたが、率直な感想はそのまんまだけどまぁ路線バスだなぁと。でもどうせ乗るならエンジンの音が前の車両まで伝わってこないので断然前側の車両のほうが快適である。後ろの車両はエンジン音がうるさいし、意外と通路が狭く窮屈な印象だったのだ。
ただ特筆すべき点としては運賃の支払いにSUICAなどの交通系ICカードが片利用できるようになっているのは評価したい。仙台の地下鉄ではSUICAと相互利用を実施したようだけど、地方の交通事業者なら片利用で十分だろう。地元の人間じゃない者にとっては、SUICAのような一般的なもので支払いできるのは非常にありがたいものだ。

終点の青山に到着のツインくる 乗るなら連接前部のほうが快適
niigata_city_brt3.jpg

折り返し青山からの発車となるツインくる
niigata_city_brt4.jpg

このBRT萬代橋ラインは、現時点で未だ道半ばと言ったところだ。連接バスで運行されるのはごく一部で、そのほとんどは通常のバス車両で運行されているから連接バスの増備もしなければならないし、そもそもBRTといっても一般道を走るので定時運行に難があることから、道路中央側にBRT専用レーンを設けさらに現在の歩道側にあるバス停から中央分離帯的な島式ホームへの移行もしなければならない。さらに先の新潟駅連続立体交差事業で駅のあちらとこちらで往来可能となった際には延伸する計画もあるといった具合にこれから実施する課題は多い。そして今後それらを実施していく過程では、当然様々な批判が出るだろうがそこは腹を決めて取り組んでいくしかない。ただそれを先の市長サマが実施できるのかといったところなのである。まぁ将来は市長が別の人に代わってるかもしれないけどね。

追記:その市長サマは引退を表明し、5選目はないとのことだ。

万代シティへ到着のツインくる 現状は歩道側にバス停がある
niigata_city_brt5.jpg

万代シティを発車するツインくる 萬代橋ラインの未来を背負って走れ!
niigata_city_brt6.jpg

次はBRTから降りて古町である。少し前から中心市街地として衰退してしまった印象の古町であるが、確かに一つ一つ見て回るとそれを裏付けるものだった。まずはかつて新潟で地価の最高地点だった大和新潟店跡である。大和といえば石川、富山、新潟の三県で百貨店を営んでいたが、リーマンショック後の赤字転落や建物の老朽化などもあり金沢と富山に経営資源を集中し新潟県の3店舗が閉店となったものだ。閉店後は暫く建物が残っていたが、それも解体され2020年の竣工ににむけて再開発ビル建設工事が始まっている。この大和撤退に対して先の市長サマが書いた文章がこれである。

許されない大和新潟店の撤退姿勢 最終更新日:2012年6月1日 新潟市サイトより引用
先週、大和デパートが新潟県に展開している3店を「来年6月までに撤退する」との発表がありました。
 1県に出店してきた3店を一斉に撤退することなど前代未聞でありますし、事前に県や3市に対し何の協議もなかったことは大変遺憾です。新潟市として「まず撤退を撤回するよう」大和に申し入れています。
 20日には大和新潟店のある古町地区の商店街の代表から市役所にお出でいただき、「撤退の撤回」について改めて要請を受けました。地元や経済界と連携して、大和に良識ある行動を求めていきます。
 大和新潟店は昭和30年代~50年代まで、大和の中でも最大の稼ぎ頭でした。しかし、新潟店への投資は限定的で、大きな投資をした香林坊店(金沢市)や富山店とは好対照です。新潟の経済界は、「新潟店にもっと投資を」と繰り返し要請してきました。
 私が新聞記者だった頃、あるいは市長になってからも、折に触れて「大和の経営資源を金沢と富山に集中しろ」という動きが大和の内外にあることを感じていました。大和が新潟県内から安易に撤退しないよう牽制するとともに、4年前には具体的な支援もしていこうと、行政サービスコーナーや子育て支援施設などを併設した「なかなか古町」を新潟店内に設置。年間11万人が利用しています。
 にもかかわらず一昨年の4月、「大和の新潟県内からの撤退も選択肢のうち」との報道が一部でなされ、騒ぎになったことがありました。そのときは大和の幹部が飛んできて「そういう気持ちはない」と明言していたにもかかわらず、今回の事態となりました。
 NHK大河ドラマ「天地人」にあった直江兼続の「長谷堂城の撤退戦」を例に引くまでもなく、どの世界でも撤退が一番難しいわけですが、今回の大和の撤退表明は戦 略も戦術もない拙劣なものです。何よりもこれまで大和を受け入れてきた地元や、支持してきた新潟市民に対して極めて礼を欠く対応は許せないと思っていま す。
 大和の宮社長は先月、石川県の新聞社のインタビューに対して新潟撤退に言及し「責任を取れと言われたら責任を取る。それくらいの覚悟」と語っています。しかし、宮社長は新潟撤退の大決断をしたにもかかわらず、新潟に姿さえ見せず、新潟県民に撤退の説明責任も果たしていません。
 「責任を取る覚悟」を大和には具体的に示してもらわなければなりません。私たちが求める責任は、まず無責任な撤退の撤回です。どうしても撤退なさるなら、最低限、雇用と新潟のまちづくりに道筋をつけた上で撤退するのが大和の責任です。
 これまでのやり方について反省され、地元に真っ当な対応をすることが、大和が今後も百貨店として生き抜いていくための最低条件と思います。このことについて、大和の最高責任者に申し入れていきます。
 一方では新潟市として、地元商店街や経済界と一体となって、古町など新潟の中心市街地の活性化に取り組んでいきます。その決意を示し、行動に結びつけるための「まちなか再生会議」を早々に立ち上げていきます。
 商業核だけでなく、これからのまちなかにはどんな機能や魅力が求められるのか、まちなか公共交通はどう改善していくべきかなどを議論し、早急に動いていきます。
 以前にダイエー新潟店が撤退したときに、「ダイエー以上の価値と機能が生まれるように」新潟市は動いていきました。今回も「まちなかの機能アップのため大きなチャンスが来た」との気概で関係者とともに取り組んでいこうと思います。
 市民の皆さまからもご意見をいただきながら、古町だけではなく「地域それぞれのまちなか再生」についても各区で練り上げていきますので、よろしくお願いします。

平成21年10月22日

新潟市長 篠田 昭


この文章をみるとなんて上から目線なんだと思う。まるで新潟で商売させてやっているのに撤退とは何事だと言わんばかりの内容だが、僕から言わせれば企業が撤退を検討する=企業にとってその都市に魅力が無い(薄れた)という事だから、それは市政を預かる市長の責任なのである。ましてや大和は上場企業だから、収益の上がらない店舗などにかまけている余裕などないのは新聞記者なら理解できる筈だし、実際この古町を少しでも歩けば誰にでも衰退が顕著な事がすぐにわかるものだ。それを棚にあげて、この上から目線の文章を書けるのだから、新聞記者というのは偉いんですねぇと、ちょっと嫌味の一つもいいたくもなるので市長サマと書いているのだ。

かつての地価最高地点の大和前は再開発ビルを建設中
daiwa_niigata_2.jpg

営業を停止し建屋が残っていた時期の大和跡
daiwa_niigata_1.jpg

2020年再開発ビルが竣工予定だがその行く末は疑問が残る
daiwa_niigata_3.jpg

その大和跡から続くふるまちモール5・6・7である。いわゆるアーケード商店街というやつだが、地方のシャッター商店街の例に漏れず閑散としている。流石に郡山のアーケード商店街や高崎の高崎銀座の様に小汚くはなかったけど、目ぼしい店なとないし、逆に空いているからドトールでコーヒーがゆっくり飲めるという、ただそれだけなのである。
これはやはり時代が求めている要求に対し商店街というものが対応で来ていない証拠なのだろう。日本というのはどいういう訳か、組合をつくりみんなでやりましょうとしたがるのだが、それでうまくいっているときはいいものの、調子が悪くなってくると何かの対策を打たなければならないのだが、結局商店街の組合など決定権が誰にあるのか不明で何かをやろうとして、反対意見が出てしまうと結局は何も出来ず、最後はゆでガエル状態でどうにもならなくなるといった具合だからとにかく問題解決に時間がかかるのだ。

古町モールと称するアーケード商店街 特に気になるような店はない
furumachi_mall_7.jpg

次は、日本海側で唯一の地下街とされる西堀ローサである。この西堀ローサは鉄道の駅などと連結しておらず、単独で地下街として存在する珍しいものだが、その経緯は古町の駐車場不足を解消すべく地下駐車場を作るとなったので、ならばついでに地下街も作ってしまおうとの事だったようだ。
1976年の開業からしばらくは賑わいを見せたものの、バブル崩壊後から陰りが見え、さらに万代やイオンモールなどの競合や古町自体の地盤沈下もあって大分廃れてしまったとの事で、一時期などは営業している店舗も疎らで本当に悲惨な状態だったようだ。
実際に見てきた範囲だと、どうにかこうにかしてテナントを埋めている印象だが、それは新潟市が政策的にテナントの入居条件を相当に甘くして、何とか入居するテナントを手当てしている状況なのだろうというのは想像に難くないものだ。さらに開業から40年を経過し古さも目立ち、床のタイルなどいかにも昭和的な古色蒼然たる雰囲気も醸し出してしまっている。頼みの綱である連結していた商業施設も、大和とラフォーレが撤退となり、三越を残すばかりとなってしまった。おそらくこのような状況を鑑みれば、今後のリニューアルなどは叶わず終焉を迎える可能性が高いのではないか?とそんな感想を受けたと記しておこう。
なにも僕は全く適当な事を言っているのではなく、地下街などというのは相当な都市でなければ維持できないものだと感じていて、例えば東京駅八重洲地下街や川崎アゼリアなどを見ても、周辺の商業施設である大丸やグランスタ、そしてラゾーナあたりと比べると、やはり人の数にはかなりの差がある(無論それは地下街の方が少ないという事)。東京や川崎といった大都市ですらそうなのだから、地下というのは何か心理的なものが働くのか相当なハンデが存在するのだろう。こんな事を鑑みれば簡単に想像がつくことなのだ。

古色蒼然として場末感のある西堀ローサ 存続は厳しいのではないか?
nishihori_rosa.jpg

そして古町のランドマークというべきのNEXT21である。このNEXT21は数年前までラフォーレ原宿がテナントとして入っていたのだが、2016年1月31日をもって閉店となっている。実は3年前ラフォーレが撤退表明をした後に訪れたことがあるのだが、(撤退表明後の)存在意義をを失った状態のラフォーレは全ての覇気を失ってしまったかのような空気に包まれいたのを思い出す。
その後は発表通りラフォーレは閉店となって、空いたフロアには新潟市役所の一部機能が移転という形で入居することになった。訪れた日は祝日とあって、中に入るとエスカレータが動いているものの各フロアに登るとシャッターが閉まっていてそれ以上進めない状態になっていた。
元々この場所は新潟市役所が存在していて現在の場所に移転した際、再開発ビルとしてこのNEXT21が建てられたもので開業は1994年というから、バブル崩壊後ではあったものの当時とすれば、新潟一の高層ビルで三越や大和とは違った若者向けのラフォーレも入って次世代を託したものでもあったし、これで古町繁栄の持続は約束されたものだと確信していたに違いなかった筈だが、どこで歯車が狂ってしまったのかラフォーレは撤退となり、ただですら西堀ローサでテナント集めに苦労している状態ゆえ結局商業施設としての存続は諦め、出戻りというと言葉が悪いが市役所の施設で埋めることになりなんだか元の木阿弥のようになってしまった。その名前は21階建てから来ているとされるNEXT21だが、輝けたる21世紀を迎えると共に次世代への架け橋的な意味もあったのだろうと思われるが、しかしいざ実際に21世紀を迎えてみるとその輝きは無かったようなのだ。

ラフォーレは撤退後は市役所の一部機能を移転という形になった
next21_2.jpg

撤退表明後の覇気のない状態のラフォーレ
next21_3.jpg

らせん状のエスカレータを登るとフロアのシャッターが閉まっていて進めない
next21_4.jpg

その名前からも伺える通り次世代を託されたNEXT21の未来に輝きは無かった
next21_1.jpg

最後はこの古町で正に最後の砦となる三越新潟店である。さらっと見た範囲ではそれなりにお客もいるしまずますじゃないかと感じるのも束の間、客層を見れはなんだかそれも時間の問題の様に思えてきたものだ。なぜなら三越の客層に若い人がおらず年配ばかりだった事に気づいたからだ。
そもそも現在三越自体が業績不振に喘いでいて地方店舗を閉鎖する流れにあって、この三越新潟店が閉鎖の候補となっているとのウワサがくすぶり続けている。幸か不幸か同じグループの伊勢丹が万代に存在しているが、伊勢丹の方はまだ年齢層が若い人も結構来店していて、その両店舗の将来をを比較するなら間違いなく万代の伊勢丹に軍配が上がると言い切れる状態だ。
現時点では三越新潟店がどうなるかは三越の経営陣の考え一つといったところだが、百貨店の代名詞のような存在の三越だが、しかし裏を返せば古く新鮮味を感じさせないともいえる。今後しばらく三越新潟店はその高齢者達に支えられるだろうが、その役割を伊勢丹に譲りそして支えられた人々ともに静かに眠りにつくことになるのかもしれないとそんな事を考えてしまったのだ。

追記:ここまで書いたら2018年9月26日、新潟三越を2020年3月22日に閉店するとの発表があった。

古町を一通り見てみれば確かに事前情報通り大分寂れてしまっていた。直接的には郊外化の影響も大きいだろうが、しかし同じく中心市街地にある万代は中々しぶとく頑張っているのに対し、古町の一人負けというのはその歴史ゆえにこの状態へと陥ってしまったのではないだろうか?
かつては北回り航路の寄港地として発展し江戸時代は日本でも有数の歓楽街であったともされ、長きに渡り繁栄しいつの時代も常に古町は新潟の中心であった。それがゆえ古町の人々は何があろうとも古町は新潟の中心であり、万が一にも古町がその中心から外れるなどと言う事は全く持って理解できなかったのだろう。しかし現実にはその理解できない事が起きてしまいそれに気づいた時には既に遅く、時代に取り残され古く年老いて新陳代謝が出来ず一部の細胞組織が壊死つまり大和やラフォーレが閉店となってしまったようだ。それに、同じ新潟市民でも新潟島の出身ではない人にとればそんなことはどうでもいい事で、より魅力的に映ったのは万代シティであり亀田にあるイオンモールだっただけの事だろう。つまり古町はその名前のごとく街も店も人も全てが古くなってしまったのである。

ラフォーレ無き後、市役所の一部機能が入ったNEXT21と再開発される大和跡を抱える古町は今後どのようになるのだろうか。しかし大和の撤退時に新潟市長が発した文章を読めばその未来は暗いと言わざるをえない。なぜなら新潟市長としてなぜ大和が撤退するのか、つまり古町では商売にならないと判断されたのかといった視点が欠けているからだ。僕に言わせれば古町の衰退の原因は単純明快である。先にも書いた通り、時代に取り残され魅力的では無くなっただけの事で、大和やラフォーレの撤退はその事を教えてくれているのである。
ところが、NEXT21に市役所の一部機能を移転しさらに大和跡の再開発ビルにもなにか公的な機関を入れるような話になっていて、完全に困ったときのお役所頼みな状態に陥ってしまっている。そもそもそのお役所の市長サマも市の職員も街づくりを生業にしているだけで決して活性化させたり発展させる能力を持っている訳ではないのは認識しなければならない事だ。もし古町がかつての賑わいを取り戻したいというならば、お役所だのみではなくしてやられた万代やイオンをつぶさに観察することでその解の一助を得ていくことから始めていく必要があるだろう。

古町最後の砦となる三越新潟店 しかし閉店の噂がくすぶり続ける
mitsukoshi_niigata.jpg

さて古町を後にし大通り沿いを歩いて万代へ向かう。途中万代橋を渡り信濃川を眺めれば確かに水辺の街並みというのは中々絵になるなどと思いながら、万代橋やメディアシップに朱鷺メッセを写真に収める。ただこの信濃川のおかげで鉄道を整備するとなった際に、この水辺という地理的要因から橋を架けるのが技術的にも金銭的にも困難で鉄道が古町から離れてしまった経緯があったようだ。そんな新潟市の欠点を補う役割を担ったのが路線バスで、物量作戦のごとく一日に2000本にものぼる大量の路線バスを走らせていたとの事だ。BRTについては先述した通りだが、人口減少時代のサスティナビリティを考えばやはり必要なことに違いない。

信濃川から万代方面の眺め
bandai_brige.jpg

万代橋と朱鷺メッセ
bandai_brige_2.jpg

さて、信濃川に架かる万代橋を渡ればその袂にそびえるのが地元紙新潟日報社の本社屋で有るというメディアシップである。2012年で創刊70周年の記念事業で建築されたというこのビルはまだ新しくそして人目を引くもので、新潟の中心が古町から万代へと移ったことを知らしめるには十分な効果があったと思う。
新聞などという斜陽産業がこんなビルを建てている場合なのかという疑問も感じないでもないが(なにせ若い人が新聞をホントに取っていないのだからその未来は暗い…)とりあえずそれは置いておくとして、展望フロアが朱鷺メッセやNEXT21の様に来る人を拒む様なことも無く開放されており、新潟市内を360度全方位に眺められ確かにこれは素晴らしいものだったと言っておこう。

メディアシップは万代のランドマーク
niigata_nippo_media_ship.jpg

朱鷺メッセと新潟港を望む
media_ship_view_1.jpg

信濃川と万代橋と新潟島
media_ship_view_2.jpg

万代シティを見下ろす
media_ship_view_3.jpg

そしてメディアシップから見下ろした万代シテイである。衰退する古町とは対照的でこちらは中々に賑わいが感じられる。元々この場所は新潟交通の車庫であったようだが1970年代に新潟交通がバスセンターの整備に続きダイエーをオープンさせ、80年代には伊勢丹を誘致、さらに90年代はビルボードプレイスを完成させるなど前進を続ける。2000年代に入り郊外化の流れや、経営が傾いたダイエーが撤退するさなかにおいても停滞する事なくむしろ郊外店に対抗すべく、ららぽーとを擁する三井不動産と組んでラブラ、ラブラ2を完成させた。万代地区に活気があるのは時代についていくため変化の手綱を緩めなかった結果ではなかろうか。
さらにもう一つは、その時点で考えられる店舗をすべて集積させた事もあると思う。たしかに万代シティを眺めてみると整備した時期がバラバラな為に新旧の店舗が入り乱れ、特にバスセンターの建屋自体がペデストリアンデッキとなって各店舗群が繋がっているのは迷路の様でなんだか雑然としている感は否めないが、しかし数多くの雑多な店舗群が集積している事は人々に万代シティに行けば根拠は無いけど何か期待が湧くし、それでもって何となく満足したような気分にさせられる事は間違いないだろう。

ただ、万代も万全というわけではなく8月に入り新潟アルタが2019年の3月をもって閉店との意向が伝えられた。古町に有ったラフォーレと共に若者向けの店舗であって、閉店は若者は給料が安いからとその影響を受けたと考えがちだが、むしろ若者たちのZOZOTOWNやメルカリのような新しいカタチのサービスに対する変化適応力の結果とみる方が適切なのかもしれない。
しかし、現在新潟交通は写真にも写っているレインボータワーの撤去を手始めにバスセンターの大規模改修を予定しているが、むしろこれを時代の変化に対応するチャレンジとして今後も取り組んで行くならば、万代の賑わい維持することができるだろうし、それが出来ないというならば、古町と同じ轍を踏むことになるだろう。

ラブラ バスセンター 伊勢丹と連なる
bandai_ciry_1.jpg

伊勢丹から直角に曲がってビルボードプレイス1・2と続く
bandai_ciry_2.jpg

万代シティは雑多な感じだがそれゆえ何か期待が湧くような気がする
bandai_ciry_3.jpg

バスセンターの屋上がペデストリアンデッキとなりラブラ・ALTAを繋ぐ
bandai_city_4.jpg

さて、万代シティを見て回って個人的な買い物も済ませたので、帰る前に腹ごしらえをしておこう。なんでもイタリアンというご当地グルメ的なものがあるようなのでこれを頂く。食べ始めてからふと思い出して、写真を撮ったので食べかけになってしまって申し訳ないが、スパゲッティというか焼きソバというか焼うどんというべきなのか、別に不味い訳じゃないけど何だか微妙な食べ物だなぁこれw。

新潟のご当地グルメイタリアン なんだか微妙な味わいw
Italian_mikazuki.jpg

新潟の旅は、帰りの郡山便に乗って終了である。本来なら他の行先のバスの利用状況なんかを見ておきたかったのだけど、夕方発のは郡山便が一番早いのでそれが出来なかったが、東京・大阪・名古屋の大都市行きを除くと、富山・金沢・郡山・山形・長野・会津・仙台の地方都市行きがあるようだ。ただ、バスの本数が朝晩の2便(高崎・富山・金沢・郡山・山形)、それに日中の2便追加で4便が(長野・会津)で、同じ政令指定都市でも東北各地のからバスが多数発着している仙台なんかとは違いって大分少ない印象だ。確かに新潟駅の人の数などは仙台との比較をするならば、東北各県から人を呼び寄せそれに伴ってその需要も存分に吸い取ってしまっているのだが、同じ政令指定都市としてみるならばややさみしい印象なのは否めないし、新幹線も北陸新幹線の開業は新潟にとって2017年問題として以前から危惧されていて、つまり上越新幹線が支線扱いになり将来的には東京・大宮間の容量の問題から東京直通便が減り高崎や大宮で乗り換えを余儀なくされるのではないかともいわれていて(ただですら車両は東北新幹線のお下がりなのに)、新潟の地位が低下しつつあるような印象をうける。
実はこのあたりが新潟の悩みの種と言ったところで、つまり他所から人を呼び寄せる求心力が弱い事だ。北は山形の庄内地方(酒田・鶴岡)あたりまでは求心力があるようにも思えるがしかし、西は上越まで行ってしまうと、長野市の方がう距離的に近いという事もあってそれ程つながりが無いようにも思える。
妄想を語れば上越新幹線を新潟駅から羽越新幹線として青森まで延伸させるとか(まず無理だろうが)、ロシアとの平和協定を締結して新潟港が対ロシアの貿易拠点になるとか(これも領土問題がこじれているからダメだろうが)、こういった事があれば更なる発展も望めるが、おそらくそんなことにはならないので一発逆転みたいなことも無いのかもしれない。

ただ、腐っても政令指定都市なわけだから、かつてダイエーの創業者である中内功は小売り業にとって「売上は全てを癒す」といったそうだが、それを都市に置き換えるならば「人口は全てを癒す」といったところで、他の地方都市に比べればその頭数は多いのだから、市政の運営においてまだまだやりようはある筈だ。それに4選の現市長も引退表明をしある意味あらたな道を歩みだす時期ということなのだろう。
今後大和跡の再開発ビルが完成するし、新潟駅を貫通する道路も開通する。閉店される三越のその後の動向なども個人的に気になるものでもあるので数年後にまた訪れてその状況を伺ってみたい所だ。とりあえず今回はこんなところで筆をおくことにしよう。

郡山新潟線へ帰路につく
highway_bus_from_niigata.jpg

郡山に必要な3本の道 2018

2016年から取り上げてきた「郡山に必要な3本の道」であるが、新年度に入りその状況が気になる向きもあることだろうから今年の分を取り上げてみたい。各道路は年度末の3月に見て回ってきたものだが、今年はそれぞれ結構進捗が出ており見ていて中々期待が膨らむ状況であった。早ければ今年度末には開通するもので出てくるのではと思われるもので、20年位停滞していた郡山の道がいよいよ変化を迎える事になりそうだ。

まずは笹川大善寺線の阿武隈川を渡る橋から。ここは去年も取り上げた通り、橋梁工事中だったが橋自体はほぼ完成していて、あとは舗装を施すのみだ。またケーヨーD2側の交差点からの道路も形があらわになって、こちらもまた供用開始までに本舗装をすればいい状況だ。
この橋で気になるのは新幹線の高架との間隔で見た目で感じる分には相当近い事で、平成16年に規制緩和された全高4.1mの車両が通れるかは分からないが、少なくてもそれ以前の規制である3.8mの車両は通れる様にはなっている筈だと思うが、いやそうでなければいくらなんでも設計した奴のアタマが悪すぎるw。
今のところ片側2車線のみとなるものの、これは開通してしまえば4車線化は時間の問題だろう。この笹川大善寺線が開通すれば、慢性的に渋滞している国道49号線の実質的なバイパスとなるしその効果は相当なものがある。また、ここの開通をもって安積永盛駅から伸びる永徳橋は車両通行止めとなる模様だから、旧国道の右折待ちの渋滞解消も期待できるし、朝夕の学生と車が入り乱れるといった危険な状態も解消されるといい事尽くめである。

阿武隈川を渡る橋自体は完成
sasagawa_daizenji_line_sasagawa1_2018.jpg

あとは舗装を施すのみ 気になるのはやはり新幹線の高架の近さ
sasagawa_daizenji_line_sasagawa2_2018.jpg

ケーヨーD2の交差点からの道路も形が露わに
sasagawa_daizenji_line_sasagawa3_2018.jpg

こちらも供用開始までに本舗装を施すのみ
sasagawa_daizenji_line_sasagawa4_2018.jpg

続いては徳定側である。去年は橋脚がもう一本欲しいねなどと書いたがすでにその橋脚は完成し今度は橋の上部工、つまり日大通りを跨ぐ橋を架ける段階に移っている。こちらは阿武隈川とは違い距離も短いし橋自体は案外早く出来上がるのではないかと思う。
ただ気がかりなのはその橋の先の部分で、まだ道路に引っかかる建物が残っていて土盛り等も進んでいない点だ。また末端の橋脚の位置関係が若干おかしいようにも見える。さらに日大通りからアクセスする取り付け道路などは到底出来そうもない状況だが、一応今のところは平成30年度開通予定となっているもののこれでは遅れが出そうで気がかりだ。それともやるとなったら意外と早く出来るものなのだろうか?

徳定側はまだ橋へのアプローチ部分が整っていない
sasagawa_daizenji_line_tokusada1_2018.jpg

日大通りに面する新しい橋脚は完成済み
sasagawa_daizenji_line_tokusada2_2018.jpg

既に日大通りを跨ぐ橋を渡す段階に移行
sasagawa_daizenji_line_tokusada3_2018.jpg

この手前の橋脚は若干位置関係がおかしい様にも見える…
sasagawa_daizenji_line_tokusada4_2018.jpg

少し引いたところからだと徳定部分は少々進捗具合が悪いようにみえる 足元のU字溝と奥の橋脚は一直線上に有るが手前の橋脚はやはり位置がおかしく見えるがもう一つ脇に作るのだろうか?
sasagawa_daizenji_line_tokusada5_2018.jpg

土盛りされている部分から 現状2件ほど引っかかる建物がある
sasagawa_daizenji_line_tokusada6_2018.jpg

そして、大善寺側である。元々こちらは20年以上前から既に片側2車線だけ(周辺の田んぼにアクセスできるよう)中途半端に整備して放置していたので通る気になれば通れるようにはなっていたが、ようやく国道49号の東山霊園入口交差点部分も舗装を実施したりと整備は進んでいる。当面は片側2車線だが、この状態では田んぼのトラクターやら田植え機が出てくる時期となるとかなりの渋滞を引き起こすだろうから、4車線化は早々に実施しなければならないだろう。

大善寺側は片側2車線だけ舗装した状態で20年以上放置されていた
sasagawa_daizenji_line_daizenji1_2018.jpg

東山霊園入口交差点は新たに舗装を実施
sasagawa_daizenji_line_daizenji2_2018.jpg

次は東部幹線の水神山工区である。去年造成していた部分は舗装が施されさらに、三春街道入口交差点にあるコナカの看板が見通せるようになった。逆に三春街道入口交差点側からだと今一つその状況が見えなかったのだが、窪地となっている陰では地面を掘り下げて造成が行われていた。また写真にある左隅の住宅は既に解体されているし、ここは今年度末には開通が期待できそうだ。

年造成されていた部分は舗装まで実施 その先にあるコナカが見渡せるようになった
tobu_kansen_mizukamiyama1_2018.jpg

振り返るとこんな感じ
tobu_kansen_mizukamiyama2_2018.jpg

造成部分の端点
tobu_kansen_mizukamiyama3_2018.jpg

端点側から見下ろす
tobu_kansen_mizukamiyama4_2018.jpg

端点側からコナカ方面の現在造成中の部分
tobu_kansen_mizukamiyama5_2018.jpg

現在造成中の部分は窪んでいるので三春街道入口側から見通せない 
tobu_kansen_mizukamiyama6_2018.jpg

三春街道入口交差点から 左にある住宅は既に解体されている
tobu_kansen_mizukamiyama7_2018.jpg

次に伊賀河原工区である。道路自体に延伸は無いが、磐越西線を跨ぐための橋脚が新たに作られていた。ここも進展が見られるのは喜ばしいことだが、しかし郡山の場合橋脚を作っただけでは全く安心できないのだ。先に取り上げた笹川大善寺線の阿武隈川を渡る橋や東部幹線の桜木工区の逢瀬川部分がそうであるように橋脚だけを作って放置プレイなることが多いからだ。

道路の端点側は変化なし
tobu_kansen_igagawara1_2018.jpg

磐越西線を跨ぐ橋脚を作成中
tobu_kansen_igagawara2_2018.jpg

同じ橋脚を伊賀河原方面から 放置プレイとならない事を望む
tobu_kansen_igagawara3_2018.jpg

そしてちっとも進んでいない伊賀河原地区は郡山インター線の端点からの眺めは去年とほぼ変わらないが、しかし一部で住宅の解体が行わていた。しかしここは区画整理事業との兼ね合い進めているとの事だからこの様子だと当面で出来る事はなさそうに見える。確かに道路に掛かる部分は住宅が減ってきたようだが、そもそも区画整理自体が進んでいる様に見えずまだまだ区画整理されていない所に住宅がたくさん残っている状態だ。現状では移転した所とそうでない所が入り乱れここに住んでいる住人にすれば不便極まりない事だろうが、そういった意味からでも早急にケリをつけるべきだろう。

郡山インター線からの眺めはほぼ去年と変わらず
tobu_kansen_igagawara4_2018.jpg

一部住宅は解体されているが東部幹線や郡山インター線の完成はまだまだだろう
tobu_kansen_igagawara5_2018.jpg

伊賀河原の中でちょっとだけ期待が持てるのは、郡山荒井線の経路変更となる部分だろうか。去年も書いた通り、采女通りの伏流側から逢瀬川を渡るように経路が変更されるが、下部工実施中となっていたものが大分完成している。あとは上部工で橋桁を渡して経路変更を実現し、若葉町交差点そばの郡山荒井線交差点を塞いでしまい早晩の渋滞解消を期待したい。

下部工として南岸(写真右岸)も大分出来上がってきた
tobu_kansen_igagawara6_2018.jpg

下部工の北岸(写真右岸)は完成
tobu_kansen_igagawara7_2018.jpg

郡山荒井線の経路変更を早期に達成して欲しい
tobu_kansen_igagawara8_2018.jpg

東部幹線の最後は桜木工区である。こちらは例によって何もないんだろうな思っていたが、何やら囲いがしてあるので何か始まったのかと思ったが、除染土搬出の工事看板が出ていたので、東部幹線延伸工事とは関係がないようだ(というかこんなところにまで除染土を埋めていたのか)。ただ、逢瀬川の川岸に何やらテープで囲んであったので、いよいよ何かを始めるつもりなのかもしれない。

なにか囲いがしてあるが…
tobu_kansen_sakuragi1_2018.jpg

工事看板には除染土搬出と有ったからこんなところにまで埋めていたのか
tobu_kansen_sakuragi2_2018.jpg

例によって特に進捗無し
tobu_kansen_sakuragi3_2018.jpg

ただ南岸にテープで囲いがしてあったから何か始めるつもりなのだろうか?
tobu_kansen_sakuragi4_2018.jpg

次は内環状線である。現状では郡山小野線から芳賀小までの盲腸線のような状態になっている内環状線であるが、去年は工事が始まっていてどのくらい進んだのか楽しみにして見に来てみると、一見もうほぼ完成状態にある。車線のラインこそ引かれていないが、舗装の上塗りも施されているしあとはクルマを通すばかりじゃないかと思い奥に進んで行ったらなんと、150mばかり残してセブンイレブン郡山芳賀1丁目店の有る通りまでつながっていないという状況で、いくらなんでもこれはちょっと惜しい、いや惜し過ぎるとしか言いようがないものだ。たった150mでこれである。しかもその150m程の土地が大して活用されてないのだ。こういうのをみてしまうとつくづく、公益と私益の関係つまり公共の福祉の定義を真剣に考えねばならいないと思うのだがいかがだろうか。それからもう一つ、アパートが一部歩道にはみ出したりもしていたけど、僕がアパートの大家ならみっともなくてとてもこんな事出来ないけどね…。

車線こそ引いていないがほぼ完成状態
uti_kanjosen_haga1_2018.jpg

アパートが歩道にはみ出している
uti_kanjosen_haga2_2018.jpg

奥まで歩いていくとあれっ?繋がっていない…
uti_kanjosen_haga3_2018.jpg

残り僅か150m程で繋がらないのは惜しい実に惜しい惜し過ぎる
uti_kanjosen_haga4_2018.jpg

振り返ればここまで出来ているのに
uti_kanjosen_haga5_2018.jpg

次は小ネタで国道288号バイパスである。去年内環状線と旧国道の交差点に右折レーンを設けた事を取り上げ、それによってその先が混むようになったと書いたが、そしたら今年は一部車線を広げる工事が始まって、ついに拡幅を行うのかと喜んでいたら、どうやら地域区分局として郡山東郵便局が出来てその丁字路を出入りするトラックの右折待ち渋滞を緩和する措置の工事のようで、これもちょっと右折街のトラックをやり過ごせるようにお茶を濁した程度の拡幅の様だ。
そもそも、郵便局は今のところ国が株を持ってはいるものの民営化された筈で、一民営企業の為に道路を拡幅するのはどうなのよ?という疑問がわかないでも無いが、どうせやるならこんなケツの穴が小さい事をしないで阿武隈川を渡る橋まで一気に4車線化してほしいところだ。

なにやら車線を広げる様な工事を始めているが…
r288bp_1_2018.jpg

でも工事区間は丁字路の部分のみ
r288bp_2_2018.jpg

この奥には地域区分専門局の郡山東郵便局がある
r288bp_3_2018.jpg

最後に郡山中央スマートインターチェンジを取り上げよう。土地買収に手間取って共用を2年先送りした郡山中央スマートインターチェンジだが、今年はだいぶ工事が進んだようだ。概ねインターチェンジ部分の土盛りが行われだいぶ形が出来てきた。ジューケン葉山も移転済みで元の建屋も解体中で、障害となる建物も無くなったようだし後は着実に工事を進めていけば、間違いなく今年度末には完成となる筈だ。
僕は安積町に住んでいるので高速を使う時は専ら郡山南インターになるし、仙台行きの高速バスは今のまま郡山インター経由だろうから個人的には余りお世話にならなそうだけどね。

下り線側の入り口
koriyama_sic_down1_2018.jpg

下り線側は概ね土盛りが完了
koriyama_sic_down2_2018.jpg

下り線側の合流部分
koriyama_sic_down3_2018.jpg

こちらは上り線の合流部分
koriyama_sic_up1_2018.jpg

上り線側は新桜通りに向かって工事中
koriyama_sic_up2_2018.jpg

ジューケン葉山の元の建屋を解体中
koriyama_sic_up3_2018.jpg

完成予定図をみると下り線側はすごく大回りしている
koriyama_sic_info_2018.jpg

以上今年は冒頭に書いた通り、それぞれだいぶ進捗が見えてきた状況だ。来年このシリーズの記事を書くころには、そのいくつかが開通している事を期待したい。

(番外編)隣県の県庁所在地を訪れる(2017年11月)群馬県高崎市

番外シリーズ「隣県の県庁所在地を訪れる」の第三弾。2017年の文化の日の連休は群馬県の高崎市である。ちょっと待て…群馬県の県庁所在地は前橋だろうが!とのツッコミはもっともであるが、その県での一番都市と言う視点で見れば群馬県の場合はやはり高崎市だと思うのである。例えば人口や市内総生産も高崎が上で有るし、新幹線が止まる交通の要衝でもある。さらに北陸新幹線開業をもってして、それは今後とも揺るぎないものになったと言えるだろう。特に北陸新幹線の開業は高崎にプラスの影響を与えたようで、現在高崎駅周辺では再開発事業も盛んに行われている。
県としては県庁所在地が地域の一番都市であって欲しい所だろうが、現代の世の中は競争社会であってそれは都市にとっても例外ではなく、特に都市にとっては利便性というのは大きな要素であるのがこういった事からも分かるというものだ。

いつもで有れば隣県の県庁所在地を訪れる際は、鉄道や高速バスなどの公共交通機関を利用していたが、それはどれだけの人の利用(行き来)があるかとか、年齢層はいくつ位かなどそういったあたりを大まかに見る為だったのだが、今回は残念ながら公共交通機関での移動は少々厳しいものが有るので、クルマで行くことにした。新幹線の大宮乗り継ぎでは値段が高いし、東北本線を小山で乗り換え両毛線というのは時間がかかり過ぎる。昔は北関東ライナーという高崎-宇都宮-水戸を繋ぐ高速バスがあったが、高崎-宇都宮間は思った程の需要が無かったのか運航休止となったままだ(宇都宮-水戸間は運行中)。
その高崎までの経路であるが東北道を南下し佐野から北関東道へ入り所要時間は大体2時間半位だろうか。昔は群馬・栃木の県境部分で北関東道が通じておらず、群馬側の国道50号が2車線で渋滞が酷く時間がかかったものだが今はそれも解消され快適である。直接高崎へ向かっても良かったのだが、それでは前橋にあんまりなので前橋駅に程近いけやきウォークに寄り道をしてみた。

前橋中心市街地にあるけやきウォーク 関東中部地方ではユニーがイオンに対抗すべくウォークやアピタを展開する
keyakiwalk.jpg

このけやきウォークはユニーグループがイオン対抗として関東中部圏でアピタと共に展開しているものだ。(ココの他にはアクアウォーク大垣にも行った事が有る)ユニー系列の中ではこのウォークと名の付く世代の店舗からは、モール型のSCとしてはまぁまぁ及第点位の出来になって来ていて、確かに巨大なイオンモールあたりと比べればその規模では負けているものの、広過ぎないのでその分手頃で使い勝手よく、こういった店舗が近くにあれば便利な事には違いないものだ。少なくても郡山にある二つのイオン(イオン郡山フェスタ店、イオンタウン)なんかより全然マシである。つくづく残念なのは郡山の二つのイオンは出来た時期が少々早過ぎた事だろうか。

高崎市郊外にあるイオンモール高崎 けやきウォーク前橋とはクルマで30分程の距離
aeonmall_takasaki.jpg

軽くけやきウォークを見て回った次は、イオンモール高崎である。けやきウォークとはクルマで30分位の距離で、需要の食い合いが気になるところだが、高崎と前橋の人口を合わせれば70万人となるからそれなりにやっていけるといった所だろうか。店舗そのものは特に言うまでもなくいつも通りの金太郎飴であり、それはまごう事なきイオンモールなのである。
ただ今回訪れた際は、空いている訳ではないものの混み具合がそれ程でも無かったのだが、それは高崎OPAが開業して間もない時期だったのでそちらに人が流れていたのかもしれない。

さて、次は高崎駅前にあるその高崎OPAである。以前水戸の記事にも書いたが、イオンはOPAを足掛かりに中心市街地に進出を始めていて、ダイエーから継承した店舗を除くと、まず水戸駅南口に2017年3月18日、高崎OPAは2017年10月18日、そしてフォーラスから転換した秋田OPAが2017年10月28日と今年は3店舗を開業させている。今迄郊外の店舗を展開してきたイオンだが、OPAをもってして中心市街地に出店すると言う事は、今後の人口減少局面における中心市街地回帰やネット通販の脅威に対する施策としていわゆるイオンの本流GMS業態ではなく、ファッションビルという業態がこのような実験的な施策を実施していくのに対して都合が良かったのだろう。
初日は日も暮れて夜になってしまったので詳しい内容は明日に譲るとするが、開業して間もない事と夜21:00までの営業(飲食店は23:00)とあって結構な人出と賑わいであった。

翌日の朝は高崎駅東口から見て回る。この東口は2010年に整備されたとの事で確かにまだ新しい感じを受ける。地上部は乗降場として割り切っていてあくまで歩行者はペデストリアンデッキを利用する事を前提とした作りで、利便性を鑑みれば確かにこの方が合理的ではあるが、駅前広場が無いというのも若干物足りない感じもしないでもない。このペデストリアンデッキはぐるっと一周は出来ないけど対面まで伸びているので、回遊性はまずまずといった所だ。

高崎駅東口 2010年に整備とあるのでまだ新しい印象
takasaki_st_east_exit1.jpg

ペデストリアンデッキ直結でヨドバシやビックではなくヤマダが有るのはお膝元ゆえご当地らしいが、実はビックも高崎が発祥で少し離れた所に存在する。そのペデストリアンデッキからの街並みは、ビルが立ち並び中々立派に見えるが、ものの数分も歩けば低層の建物も多くなりごくごく普通の地方の街並みである。ただ駅と並行及び駅から正面に延びる道路が道幅を確保し整備されているのは狭い道路の郡山の現状からするとうらやましいと感じる。

高崎駅東口の地上部は乗降場に割り切って駅前広場としての役割はペデストリアンデッキが受け持つ ペデストリアンデッキ直結でヤマダが有るのはお膝元ゆえご当地ならでは
takasaki_st_east_exit5.jpg

高崎駅東口から正面を望む
takasaki_st_east_exit2.jpg

駅と並行する道路 幅の広さは立派なものだ
takasaki_st_east_exit4.jpg

ただこのペデストリアンデッキ一周は出来ないが回遊性はまずます
takasaki_st_east_exit3.jpg

冒頭で再開発が進む高崎と書いたが完成したものもあれば、これから整備が進むものもある。完成したものと言えば今回は訪れなかったが高崎駅の南にある高崎アリーナに、高崎駅西口の高崎OPAである。そしていま進められているのが、高崎駅東口周辺再開発の目玉事業として行われている高崎パブリックセンターと称するものだ。
これは高崎駅東口にあるビックカメラ周辺と、廃止された高崎競馬場の敷地を利用して高崎文化芸術センター仮称(コンサートホール的な物)と群馬県コンベンションセンターに加えビジネスゾーンとして、商業及びオフィスエリアを合わせの整備するといったものだ。
当初は今のビックカメラ周辺に高崎市が高崎文化芸術センターを整備する事を計画していたが、隣接する高崎競馬場跡地に群馬県がにコンベンション施設を整備するとしたことで大々的な中心市街地の再開発となった。
郡山市民からすれば少々イメージが掴みにくいだろうから分かりやすく例えるなら、郡山駅東口の保土谷化学の敷地に市民文化センターとビックパレットを作り、さらにATiの商業施設を併設するものだと言えば、相当のインパクトがあるものだと理解してもらえるだろうか。2019年とされる竣工に向け、高崎にとって大いに期待のかかる再開発事業となることだろう。

高崎文化芸術センターと群馬県コンベンション施設が整備中 道路が工事中なのはそこまでペデストリアンデッキを延長するから
takasaki_public_center.jpg

さて次は高崎駅の西口である。こちらもペデストリアンデッキが整備されていて地上部の乗降場と役割分担をした割り切った作りだ。高崎駅ビルと合わせて何となく年季を感じるが、これは整備された時期が早かったということだろう。余談を言うと駅の両側の整備具合が(片方がやや古くもう片方が新しい)、栃木県宇都宮市や茨城県水戸市と合わせて北関東3県の県庁所在地として何となく同じような雰囲気を感じるのが面白く、良くも悪くもライバル同士といったところだろうか。
ただ、ちょっと気になるのは高崎はあまりバスが走っていないように感じた事だ。きちんと確認した訳ではないが都市の規模からするといくら自動車社会といわれる土地柄とはいえ、宇都宮や水戸などは結構バスが走っていたのにだいぶ少ない印象なのだが、将来コンパクトシティの様なものを目指すとするならば懸案となる事だろう(もしかすると実は違うところにバスターミナルがあったりするのだろうか)。
その西口の中で一際目に付くのは、真っ正面にそびえ朝日を浴びて輝き圧倒的な存在感を示すOPAであるが、まだ開店時間前なので、一旦高崎の中心市街地を見て回ってみよう。

高崎駅西口 朝の日差しを受けて白く輝くOPAが眩しい
takasaki_st_west_exit1.jpg

西口も同じく地上部は乗降場に割り切り歩行者はペデストリアンデッキの利用が前提
takasaki_pedestrian_deck.jpg

高崎駅から大通りをそのまま10分程歩けば、高崎市役所へ到着である。ここは元々高崎城があった場所でその名残としてお堀や櫓なども一部残っているが、本丸・天守の類はなく市役所をはじめとして学校や図書館その他諸々の公的な施設が立地し、お城の敷地を公的な施設に転用した典型的な例と言える。お城があった都市というのは何かとお城を復元したがったりするものだが、(このブログで取り上げた山形市の霞城は大手門を復元した次には天守復元もしたいとの事、しかし山形は江戸時代は譜代大名の左遷場所だったと言うのに…)案外高崎はお城に未練はない様で、群馬県でお城の建物が現存しているものは写真に収めてきた乾櫓のみとなっており、しかもこれとて民間に払い下げられ納屋として使われていたものがたまたま残っていたのでとりあえず文化財にした程度である。もっとも高崎の場合既にいろんな公共施設が建っちゃっているので今更戻しようもないということもあるのだろう。

高崎市役所は高崎駅から徒歩10分程度の距離
takasaki_prefectural_road_31.jpg

高崎市役所は旧高崎城の敷地に建つ
takasaki_city_office.jpg

高崎城のお堀が残る
takasaki_castle_moat.jpg

乾櫓は払い下げられ納屋として使われてたそう
takasaki_castle_site.jpg

この高崎城跡にある公共施設群の中でちょっと気になるのはもてなし広場というイベント広場。ココにもある通り元の市役所が建っていた場所で市役所が現在地に移転し建て替えた際にイベント広場としたものだが、いくら何でも殺風景過ぎると思う。確かに何もなくだだっ広いからイベントをやるには都合もいいし使用料も安いが、中心市街地の広場としてもう少しやりようがあったのではないという気がするものだ。暖かくもてなしたいとの事だが、夏場はアスファルト舗装されて日陰もないから暖かいどころか灼熱地獄と化すだろうし(高崎の夏はクソ暑いゾ)逆に冬は風除けもないから寒風が吹きすさぶのは(冬はこれまた風が強い)想像に難くないものだ。とはいえ、同じく北関東の宇都宮にある宇都宮城跡も半分だけお堀と城壁を復元し残りは変な広場にしていて、なんだか張りぼてみたいになっているから城跡の活用と言うのは、会津若松の鶴ヶ城の様に歴史の表舞台となったなところでもない限り案外難しいモノなのかもしれない。

もてなし広場は確かに広い
motenashi_plaza1.jpg

広いがゆえにイベントには都合がいいだろうがやや殺風景か
motenashi_plaza2.jpg

次はもてなし広場の目の前にある地元資本の百貨店スズランと行きたい所だが、まだ開店の10時には時間が有るのでその裏手にある高崎銀座というアーケード商店街を少し覗いてみることに。高崎の繁華街はどんなもんよとばかりに向かっていったのだが、しかしそこに有ったものは郡山のアーケード商店街に勝るとも劣らぬ小汚い商店街だったw。やっているのかいないのか分からない店や、基本的に入りたくない雰囲気を醸し出している店、店主も高齢化していて店舗への投資などするべくもない古びた店が立ち並んでいた。さらには廃墟と化した潰れた映画館も有って商店街としては命運が尽きている様相なのである。綺麗なのは飲み屋関連の店ばかりで、これが夜になれば客引きが闊歩するという絵が浮かぶのもので、地方の商店街など程度の差はあれどこもこんなものかとある意味安堵ともとれる印象を受けたものと正直に白状しておこう。

高崎銀座と名の付くアーケード商店街は、郡山のアーケード商店街に勝るとも劣らぬ小汚さだったw
takasaki_central_ginza1.jpg

そんな、高崎銀座を歩いていくとなにやら一部だけアーケードが架け替えられている部分がある。これは2014年の大雪でアーケードが崩落し再建したからそうで、その再建が完了した際には昭和風情を活かした商店街を整備する構想なのだそうである。しかし僕はその構想を知って開いた口が塞がらないというか愕然としてしまったものだ。
それはせっかく新たに再建したものをわざわざ昭和の雰囲気に戻すセンスに救いようがないものを感じたからだ。確かに昭和の時期において中心市街地が賑わい見せていたのは事実であるし、それを知っている世代が夢よもう一度と思う事は理解できない事も無い。しかし、昭和どころか平成すら終わりを告げようとしている今、昭和の雰囲気にどれだけの価値があるのか考えてみるといい。つまりその昭和の雰囲気が本当に魅力が有ったかと言う検証が抜けているのだ。全てがそうだとは言わないが魅力が有ったというより単に郊外に店が無かったから中心市街地が賑わっていたのも大きい要因だろう。

僕は個人が経営する店は飲食店を除いてはもう無理だと思っていて、例えばこの高崎銀座に限らないが個人の店主がマーチャンダイジングと称して人的、金銭的なリソースを投入し施策を打ち出してくる大手に対し、どれだけの対抗策を打ち出せるのかというとこだ。その大手たるイオンやイトーヨーカドーとてGMS店舗の立て直しに苦労しているのに、問屋から仕入れてただ店に並べているだけのような個人の店では到底かなわないのも理解してもらえるだろうし、そもそもこの店は俺の代で終わりだとばかりに惰性で続けている事もあるのだろう。こういった商店街の衰退問題は誰かの責任というより構造的な要因な訳も含んでいるのでまたいずれ何かの時に考えてみたいと思うものだ。

一部アーケードを新しくしたのは2014年の大雪でアーケードが倒壊ししたから そしてそれを昭和で売り出すという…
takasaki_central_ginza2.jpg

さて高崎銀座を見て10時を回ったところで、地元資本の百貨店スズランである。開店直後というのもあったのだろうし、僕が訪れた時がたまたまだったのかもしれないが、なんだか客が少なくちょっと大丈夫かな?といった印象で、それに店員も若い人がおらず年配者ばかりと来ている。古びた店舗のせいもあってかなんだが若々しさあるいは新鮮味なんかこれっぽっちも感じられなかったし、スズランは元々大衆路線ということで高級感がある訳でもなく、気張らないのが良いところなのかもしれないがしかしそれでは今後の将来を見通すには心許ないのではないかとの印象を受けた。先程、昭和の雰囲気に愕然としたと書いたが、昭和とはつまりこういう事なのである。

僕は今迄で、あちこちの百貨店を色々見てきたが、ここ数年の例を出すと山形市の十字屋は閉店となり、同じく大沼は経営再建中である。福島市の中合は二館構成から二番館を閉じて縮小し、丸光を由来とする仙台のさくら野は倒産してしまっていてる。これらに共通なのは古色蒼然たる店舗に対し建て替えなどの大規模ななリニューアルを達成出来なかった店舗である。それに対し我が郡山のうすいやバブル期に撃って出た宇都宮の福田屋は新店舗へ移行していて確かにその新店舗が過大投資の原因となり経営が傾いた時期も有ったが、支援を取り付け何とか息を吹き返しているのだ。こういった事からもいい加減旧態依然たる昭和の亡霊を断ち切る事が必要なのは明らかなのではないか。
ただ、スズラン自体は店舗のリニューアルを達成すべく色々と画策はしたようだが、力及ばす土地の権利関係などを解決できず断念し、小規模な別館を建てるにとどまった経緯が有るようで、そのことについては大変残念なことに感じた次第だ。

地元資本の百貨店スズランは大衆路線だが将来を見通せるか
suzuran.jpg

さて、スズランをみた後は高崎駅に戻ってきて駅ビルの商業施設モントレーを見てみる。駅ビルという制約から店舗とその動線が細長い配置になっているのは致し方ないところが、ただ何というか経営母体によってその運営する店舗に雰囲気と言うか同じ匂いが感じるというのが面白くモントレーの経営はアトレでだから、まぁそうことになってしまうのだろう。これば別にこのモントレーに限らず、イオンモールには独特の田舎臭さがあり、丸井には古典的なファッションビルの粘着臭があり、三越や高島屋にもデーパート独特の匂いがあると言った具合だ。
モントレー自体は駅ビルの商業施設といったところだが、ただ食品売り場はどうだろう通路が狭くて動きにくいのも駅ビルの商業施設その物なので、OPAの食品売り場にだいぶ食われたんじゃなかろうか?(OPAの方は遅くまでやっているし)まぁ年寄なんかは狭い方がある意味安心するのかもしれないが…

モントレーはいかにも駅ビルの商業施設
montres.jpg

次はようやくOPAであるが、そもそもなんでここにOPAが建ったのかと言えば、元々ここはニチイが営業していたものだがそのニチイが経営破綻となるりイオンに買収されるが、その後老朽化した店舗を建て替えとなった際、当初イオンモールで開業を予定していたものの結局はOPAとなって開業としたものだ。昨日の夜も覗いてみたが、開業間もないだけあってとにかくたくさんの人出だった。
先述した通り今後将来へ向けての施策を展開するにあたりイオンはファッションビル業態を選択したようだが、僕が見て来た限りでは何といえばいいのか以前訪れた水戸OPAにもいえるのだが、このOPAはファッションビルと言う事になってはいるが実は何だかよくわからない店という感じなのである。よく言われるのはGMSは何でも売っているが欲しいモノが無いのに対し、このOPAは何を売っているのかよく分からないが欲しいモノがないという印象で、先の表現でいえば何というかOPAの匂いというものがまだしみついていないというかそんな印象だった。ただこれは僕の感性が鈍く新しい時代の店舗についていけてない事は否定出来ないと言っておかなければならないだろう。
ただその規模の大きさからも判る通り高崎OPAは相当に力が入っているのは事実であるし、これからあれこれ将来へ向けて施策を模索しながら進めていくとなれば、常に新しい何かが提供されていくことになるだろうから(それが消費者に受け入れられるかは別として)そういった意味では価値のある店舗になるのかもしれない。

OPAはイマイチ何が売っているか分からない店だ
takasaki_opa.jpg

最後に高島屋を取り上げておこう。このOPAが出来てタナぼた的に得をしたのは実は高島屋のだったのではないかと思う。なぜならペデストリアンデッキも整備されて店舗と直結になったし、OPAに来た客のおこぼれも結構期待できそうだ。実際同じ百貨店としてスズランとは異なりだいぶ客の入りも多かった。ハイランドグループを形成したり、イオンと敵対するのではなくイオンモール岡山の食品売り場に出店するなど、高島屋は結構したたかな会社でもあるのだろう。ただそれは別に悪い事でもないし、形はどうであれ相乗効果があるのならばそれもアリではなかろうか。

タナぼた的な感じの有る高島屋
takasaki_takashimaya.jpg

今地方都市では勢いがある高崎の中心市街地だが、そこを歩いて見れば駅前と商店街とでその明暗を分けたものが見えてくる。それは新陳代謝と集積で、それに伴う利便性と相乗効果であるといえるだろう。これから地方都市における中心市街地の活性化に取り組むとするならば、このあたりをテーマとして取り組んで行くことにその解を見つけることが出来るのではないだろうか。

最後にOPA開業による影響などを新聞報道を引用して締めることとしよう。

《ニュース最前線》オーパ開業半年 熱帯びる高崎駅西口商戦(2018年4月15日 上毛新聞)

約37万5000人の人口を抱える群馬県内最大都市・高崎。その中心部、JR高崎駅西口で大規模な再開発が進んでいる。シンボルは昨年10月に誕生した大型商業施設「高崎オーパ」だ。開業から半年がたち、県内外からの買い物客でにぎわう。近くの高崎高島屋や高崎モントレーも改装。駅前から伸びるペデストリアンデッキも開通した。各商業施設は時に連携し、時に役割分担し、相乗効果で商圏拡大を狙う。

◎相乗効果で活況 ライバル店連携 商店街にも波及
 東口も施設整備やタワーマンション建設が進む。全国の地方都市で人や施設の郊外流出が相次ぐ中、これらを駅前に集め、街の機能や価値を高める取り組みに期待が寄せられている。
 3月に発表された公示地価で、最も高かった商業地は西口の高崎市八島町だった。
 新たな商業施設の誕生で高崎駅前はどう変わっていくのか。周辺を歩き、さらなる飛躍に挑む商都の未来を追った。

■新ランドマーク
 あいにくの雨の中、3000人もの人が開店待ちの列をつくった。昨年10月13日。JR高崎駅西口に大型商業施設「高崎オーパ」が開業した。中には、前日の午後10時から並んだ客もいて、新たなランドマークへの期待がうかがえた。
 集客目標は年間800万人。イオンモール(千葉市)が2016年3月に子会社化したOPA(同市)が運営する。群馬初出店のテナントも多くそろえ、客層も年齢にこだわらず、幅広い世代の誘客を図っている。
 相乗効果を狙い、隣の高崎高島屋は店内を大規模改装。化粧品や婦人雑貨を強化した。駅構内の高崎モントレーも駅利用者を照準にした売り場づくりを実施した。3月には、駅とオーパや高島屋をつなぐペデストリアンデッキが延伸し、さらに回遊性が向上した。開業から半年。高崎駅西口は、にぎわい創出のシンボルになりつつある。

■入店3割増
 オーパ開業から1カ月がたった昨年11月。オーパ、高島屋、モントレーの3店は、全店舗で買い物した人が参加できる共同抽選会の実施を発表した。本来ならば集客を競い合うライバル店。合同企画を行うのは珍しい。だが、オーパの山岡浩館長は「店舗間でなく、今は地域間の戦い」と強調する。ニーズの隙間を埋め合い、駅前というエリア全体で買い物客の満足度を高めるために手を組んだ。
 高島屋は化粧品を中心に売り上げが伸び、入店客は3割増加した。より一層の集客に向け、品ぞろえの見直しを継続的に行っていく。モントレーもレストランフロアの改装や、エスカレーターの設置などで買い物客の利便性を向上させた。
 こうした各店舗の戦略は、国土交通省が3月に発表した県内の公示地価にも現れた。高崎駅西口前の八島町の商業地が県内最高額となり、前年比の上昇率は唯一、2桁の伸びだった。オーパ開業を契機に、にぎわいへの期待が地価に反映。高崎駅前の価値がさらに高まっていく可能性を感じさせる。

■「起爆の年」
 拡張整備が進むペデストリアンデッキは、オーパや高島屋といった商業施設と高崎駅を直接つなぎ、駅利用者らの利便性は格段に高まる。一方で、駅前の飲食店関係者の中には「上だけで買い物が完結してしまい、商店街まで足が伸びない」といった、冷ややかな声もある。
 駅周辺を訪れた人を少しでも呼び込もうと、地元の東二条通り商店街チームハナハナストリートは今月、加盟店舗をまとめたホームページ(HP)を開設した。飲食やアパレル、サービスなどに分けそれぞれの店の情報を発信している。
 ハナハナストリートの岡田恵子会長(59)は「昨年秋以降、歩く人が増えた」と実感する。オーパや高島屋は県外からの買い物客も多い。HPで個人商店の魅力を知ってもらい、商店街に足を運ぶきっかけにしてもらいたい考えだ。
 「10年後の高崎を見たときに、(開業した)2017年は『あれから変わった』という起爆の年になる」。山岡館長は力を込める。高崎を変える、変えなければいけないというそれぞれの思いが、結実に向けて動きだしている。

◎高崎芸術劇場やマンション建設 東口も再開発進む
 東も負けていない―。JR高崎駅周辺は西口だけでなく、東口でもマンション建設や施設整備をはじめとした再開発が進んでいる。
 高崎市は2019年度中の完成を目指し、音楽ホールなどを備えた「高崎芸術劇場」を整備している。西隣には、市と民間による再開発ビルも建設される予定。
 徒歩圏内にある高崎競馬場跡地には、県がコンベンション施設「Gメッセ群馬」を整備中。完成は19年度末となる。駐車場不足が懸念されることから、市は近くに拠点を持つ太陽誘電(東京都)と協力し、東口に新たに計2800台分の駐車場を確保する。
 タワーマンションの建設も進む。県内では県庁、高崎市役所に次ぐ高さとなり、ランドマークとしての役割も担う。
 芸術劇場やマンションには、延伸整備されるペデストリアンデッキが接続。西口の商業施設とも行き来できるようになり、駅を中心にしたまちづくりに期待が高まっている。

《記者の視点》さらなる成長 期待
 高崎駅が近づくと、昨年開館した高崎アリーナが見えてくる。東にはヤマダ電機のLABI1高崎、そして西には昨秋に開業した高崎オーパ。電車からのぞく地元の街は大きく変わった。
 中学、高校時代から高崎駅前でよく過ごした。大学進学で東京に出た2000年代初頭までは景色はあまり変わらなかったが、今は都会に降り立ったような感覚にもなる。
 駅前ではマンションの建設や施設整備が進む。高崎が活気を失わず、さらなる成長にも期待が持てるのは、民間や行政が絶えず努力を続けてきたからに他ならない。郊外型の商業施設が増え、郊外に住む人も増えた。それでも、駅前の活気は街の活性化と密接につながっていると感じる。
 高崎で生まれ育ち、高崎に住む者として地元が元気なのはうれしい。10年後、20年後にどんな街になっているのか。未来に思いをはせている。(報道部 堀口純)

郡山駅前の近況など  2017年8月

昨年の6月に取り上げた郡山駅前の状況であるが、ダイワロイネットも完成して半年が経った事でもあるし、この辺で一旦今年の分として取り上げておこう。

まずは、郡山市民なら誰もが気になるダイワロイネット郡山からだろうか。長らく建設中で有ったダイワロイネットも無事竣工し2017年の2月中旬から営業を開始した。ホテルの方は郡山市民が利用する事はほぼないだろうが、お客さんを案内するとなれば郡山で一番新しいホテルでかつ駅の目の前であるからなにかと都合がいいだろう。今迄だと比較的新しいホテルとなると東口のコンフォートか、美術館通りのドーミーインでどちらもちょっと遠かった。
一方、期待のかかるテナントフロアであるがこれは予想にたがわず微妙なものになったw。入っているテナントは後述するとして、気になるのは空きテナントの方だ。以前から何度か書いているが、とにかく駅前の一等地と言う事でその賃料が高いと周辺の飲み屋では持ち切りであり、すが波さんよく入ったなぁといった声が聞かれるものだ。
開業当初は少し遅れてテナントも埋まる様な話も有ったが、半年経って埋まっていない状況を鑑みれば、少々残念ではあるものの結局これが現時点での郡山の実力値ということになる。

ビルも完成しダイワロイネットが営業を開始して半年だが…テナントフロアの空きが気になる
daiwa_roynet_hotel1.jpg

さて、僕が去年勝手な予想を立てたが実際のテナントを見てみよう。まずは牛タンの利久であるが、これは素直に良いと言える。気軽に牛タンを頂けるし結構混んでいるように見えるが、回転が速いのでそんなに順番を待たずにも済む。味は仙台の牛タン屋と同じだし、店の狭さまで同様だw。その狭さもくつろぐ様な店じゃないから、下手に広いとくつろがれて回転が落ちてしまうからむしろ狭い位が都合がいいのだろう。
次はドトールであるが、まぁこれは可もなく不可もなく普通である。しつこい様だが僕的にはプロントが良かったのだけど(夜メニューで軽く一杯二杯飲むのに丁度いい)、出来てしまったものは仕方あるまい。だた、20時まで営業しているものの、やっぱり夜はすいているようなのでアルコールを出す店の方が売り上げが立ったんじゃないかと思うのである。
そして、寿司屋の築地魚力である。外の看板には郡山人の所得にあわせてくれたのかw、お安いメニューが載っているが実際に食べてみると何だがお味の方もお安い印象で、これならピボットの中の海鮮丼を食べた方がいいなと思ってしまう。これではちょっと期待外れというか先が思いやられる。
最後にニャーベトナムであるが、個人的にはそもそもベトナム料理を食べようと思わないので、飲み会でも設定されない限り利用する事はなさそうだが、ホテルの朝食を請け負っている様だから何とかやっていけるのかも知れない。

ヨドバシ側からの眺めはとても良い
daiwa_roynet_hotel2.jpg

お次はダイエー跡である。建屋を解体後は当初の発表通り駐車場となって営業している。ただ、こんなところを駐車場にしてどれ程の需要があるのかと思っていたが、どういう訳か予想に反していつも車が一杯になっている。一体どこからこんなに利用者がは集まって来るのか個人的にその理由を知りたい位だ。ただ少しだけ想像がつくのは、駅の近くの割には駐車料金が安いのと、平面駐車場であると言う事だろう。安い事は説明不要だが、平面駐車場であるというのは特に女性からすると有難いもので、例えば、みずほ銀行隣のうすいの平面駐車場は平面であるがゆえ駐車し易く女性が利用しやすいと言う事なのだそうだ。

尚、せっかく1ブロック4辺全てが道路に面し、まとまった大きさがあるこの土地が駐車場というのはなんとも勿体ないが、ここは大町区画整理事業が進まないとどうにもならないといったところなのだろう。実際その区画整理事業の道路拡幅部分はしっかり除いて造成してあるのも見て取れる。これを見るとおおよそこのラインで拡幅される様で、そうするとその先にあるマギーのタワー駐車場は道路に引っかからないのが分かる。

ダイエー跡の駐車場は区画整理事業の道路拡幅部分を除外済み
elite_park.jpg

次も同じくエリート物件のエリート42ビルで有るが、まずは新聞報道を引用しよう

郡山・エリート42ビル、年内解体へ 入居店舗と契約終了次第(2017年02月05日 08時44分 福島民友)
 JR郡山駅前のエリート42ビルが年内に解体されることが4日、所有する不動産賃貸業エリート(郡山市)への取材で分かった。解体後は駐車場として活用する方針。
 エリート42ビルは、かつて旧丸光百貨店郡山店として営業していた。1967(昭和42)年に地下2階・地上8階建てで開店し、80年に閉店した。現在はエリートが商業ビル「エリート42」として運営。居酒屋などが入居している。入居している店舗との契約が終了次第、解体工事に入る見通し。
 同ビルは郡山駅前大通りに面しており、同社は今後、駅前活性化に向けて活用方法を模索するという。


このビルは元々昭和42年丸光が仙台から進出し、デパートを営業していたものだが、地元デパートのうすいや、その後のイトーヨーカドー、西友、丸井、ダイエーといった大手資本が郡山に進出してくると、競争が激化し郡山からの撤退を余儀なくされる(余談だが丸光はその後、ダックシティ、ビブレ、さくら野と変遷を経たものの、2017年2月27日倒産してしまった)。
丸光撤退後の残ったビルは朝日生命が取得し、上層階をオフィスに下層階をテナントスペースに改修、朝日生命郡山センタービルとして2013年頃迄と結構長いこと所有していたようだが、朝日生命自らは清水台に移転しビルはエリートに譲渡。いつの間にかエリートビルになっているなと思ったのもつかの間、解体との方針になった。実際7月下旬頃から囲いがなされ解体工事が始まったようだ。

丸光百貨店、朝日生命郡山センタービルそしてエリート42ビルと変遷したこのビルも解体が始まった
elite42_3.jpg

丸光撤退後の朝日生命が所有していた時代のテナントスペースは、僕からするとまともにテナントが入っていた時期など殆どなかったのではないかと思う。親に連れられて街に行ったとき(街という表現が懐かしい)、高校生になり自らチャリンコで来るようになっても、働き始めて酒を飲みに駅前に来てもずっと空きのままだった。
結局所有がエリートになってもそれは変わらなかったし、丸光は昭和42年に進出したと言うから築50年にもなる古いビルを耐震補強までしてリニューアルする気など起きなかったと言う事なのだろう。

このビルはテナントが埋まったことなど見た事が無い
elite42_2.jpg

この、解体されるエリート42ビルを見て思う事は、市街地活性化の為に新たな枠組みが必要だと言ったことだ。つまりどういう事かと言うと、1ブロックの土地の内、過半数以上の面積を所有する者は、極めて近い条件の土地と区画を交換できる権利を持てるようにしたらどうかと言うものだ。
例えばエリートは、駅前2丁目1駅前2丁目2の両方のブロックでそれぞれ51%以上の面積を所有しているが(衛星写真で見える駅前2丁目1の駐車場はエリートの物だ)、エリート以外の所有となっている低層の建物は、どちらかのブロックに移動(交換)集約し手放す代わりに、エリートは残った1ブロックの4辺が道路に面した土地として丸々所有できるといった具合である。その移転改築費用はエリート持ちとするが、その為少々負担があるものの4辺が道路という土地は貴重であるがゆえ価値があり活用の幅が広がるし、移転する方も小汚い建物にしがみつくよりよっぽどいいと思うのだが果たしていかがだろうか。
これは勝手に僕が考えた案に過ぎないが、しかし、こういった事が出来ないから地方の中心市街地は硬直化し衰退しているのである。それゆえ活性化の仕組みは必要な事に違いないし、その仕組みについてはまた別の機会に改めて考えてみたいと思っているものだ。

せっかくビルを壊すなら何か活性化の仕組みが欲しい
ellte42_1.jpg

さて今度は東口に来て、去年工事していた東西自由連絡通路のバリアフリー化を取り上げよう。バリアフリー化については今年の5月頃には大体終わった様で、残りは自転車置き場を整備し直している。この東西自由通路は暫定などと言いながら長いこと放置されてきたが、何てことは無いやれば出来るじゃないかと言ったところだ。

上り下りのエスカレーターと奥にエレベーターが設置
koriyama_east_enter_new1.jpg

写真だとエスカレーターしか見えないが、きちんとエレベーターも設置されているし、以前はクランク状に曲がっていた通路も、直線的に改められている。そしてまだ新しいだけに小綺麗な印象もよい。

まだ新しいだけに小綺麗な印象
koriyama_east_enter_new2.jpg

郡山の駅裏は、ホームの他にJR郡山工場や日本オイルターミナルの待避線等がある為、線路を跨ぐ幅が広く結構歩く距離があるのは致しかたあるまい。これは今すぐではなく追々で構わないが、この連絡通路に改札を設けホームへ行けるように整備するといいだろう。

多少歩くがこれで及第点はつけられる
koriyama_east_enter_new3.jpg

最後に、郡山駅前とは離れるが新しく開業した郡山富田駅について触れておこう。これは磐越西線の駅として郡山駅と喜久田駅の間に出来たものだ。1度ぐらいは乗って見なければならないだろうと、試しに乗って見たが郡山からだとものの5分と経たず到着である。バスとは違いこの定時性は中々よいものだ。ただしワンマン車両だったので無人駅で有る当駅で降りる場合、最前車両の運転手の所から下車するようアナウンスされていたが、それを知らずに最後尾の車両に乗ってしまった為、流石に4両編成の車両で一番前まで狭い車両の通路を歩かされるのは閉口してしまった。しかもSUICAで乗った場合は何かチェックする訳でも無いという、天下のJRとしてはお粗末なオペレーションは改善願いたいところだ。

郡山富田駅ホーム
koriyama_tomita_st1.jpg

駅前にはロータリーと自転車置き場が整備
koriyama_tomita_st2.jpg

駅自体には簡単な駅舎とロータリーそして駐輪場のみであり、特にどうって事ないものだが、取り合えず当面はこれで十分だ。だだ単線なのに交換設備つまりすれ違い不能なのが残念だ。今の所運行頻度は1時間に1本であるから交換設備は不要とのことだろう。近くに奥羽大や郡山北工があるからそれらの通学需要はある程度見込まれるが、それ以上となると中々難しい様にも思える。それは一般的な郡山市民は、駅の有難みなどまず理解出来ないから、クルマがあるのに駅?なんで?位の感覚だろう。この辺りは、郡山の交通をどうするのかという都市としての方向性の問題でありこれもまた別に考えてみたいところだ。

線路と道路を跨ぐ歩道橋も設置
koriyama_tomita_st3.jpg

奥羽大や北工が近いせいか日曜日にも関わらず結構若者の利用者がいた
koriyama_tomita_st4.jpg

最後にこの郡山富田駅が出来て一番喜んでいるのは誰かと言えば、それはセブンイレブン郡山奥羽大学前店のオーナーではなかろうか。だって駐車場の敷地こそ半分取られてしまったが、この連絡通路のおかげで駅利用者の吸引効果は絶大だと思うのだw。

この歩道橋はセブンイレブンへの吸引効果は絶大ではないかw
koriyama_tomita_st5.jpg
プロフィール

あさか野

Author:あさか野
郡山の行く末を思案するロスジェネ世代の郡山市民

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR